53. 我儘と逃げたい気持ち

 心地良かったはずの場所が、一気に地獄へと代わった。木も水も枯れ、土は赤く染まる。それに合わせて、そこにいたウサギが、鳥が、鹿がどんどんとローグ化していった。

 止まらない。俺の魔法が作っているはずなのに、自分で止めることができなかった。


「ラキ君!」


 耳に入ったのは、今一番会いたくない人の声。


「来ないで!!」


 俺は叫んだ。今来たら、感情が余計に止まらなくなる。

 ハイドさんに会いたくなかった。そして、こんな感情を知られたくはなかった。


「おねがい!! 今だけは来ないで!!」


 けれども、ハイドさんは止まってくれなかった。襲い掛かるローグをハイドさんは避けながら、俺のもとへ近づいて来た。


「やめて、やめてよ……」

「ラキ君、危ない!!」


 俺は顔を上げる。ローグ化した鹿、ローグ・ディアが俺に向かって突進してきた。

 ふと思う。このまま死ねたら、全ては終わるのだろうか。こんな大嫌いな感情すら、ハイドさんに知られず消えてくれるのだろうか。もし死んだら、この感情すら消えてくれるなら。

 それもいい。全てが消えるなら、それもいい。そう思いながら、向かってくれローグ・ディアを眺めた。


 その瞬間だった。ハイドさんが俺を庇うように飛び込んできた。ハイドさんは剣でローグ・ディアの角を受けようとする。けれども、受けきれず、弾き飛ばされた。


「ハイドさん!!」


 咄嗟の事で、魔法は間に合わなかった。そのまま、ローグ・ディアはハイドさんを突き刺した。


「嘘……」


 目の前で飛び散る、ハイドさんの血。何が起こったか理解するのに、時間はかからなかった。


「いや、そんな……」


 ハイドさんは、地面に倒れ、そのまま動かない。何度も見た夢がフラッシュバックする。けれども触れられる冷たい地面が、血の匂いが、現実だと思い知らされた。

 認めたくなかった。ハイドさんがいない現実なんて、認めたくなかった。

 ローグが、一斉に倒れたハイドさんに襲いかかろうとする。いやだ、ハイドさんを俺から奪わないで。


「いやだああああ!!!!」


 その瞬間だった。目の前にいたローグ達が、血土が、一瞬にして消えてなくなった。正確には、何もなかったかのように元に戻っていた。倒れたハイドさんだけが、一人倒れていた。


「ハイドさん!!」


 俺は慌てて近づいた。ハイドさんは何故か、服こそ破れていたが、傷一つ無かった。


「ん……。ラキ君……?」

「良かった……。本当に良かった……」

「あれ、私は……」


 ハイドさんは、自分のお腹をさする。

 そりゃそうだ。ハイドさんはさっきローグ・ディアに刺されたのだ。けれども飛び散ったはずの血すら消えていて、破れた服から見える肌は綺麗そのものだった。


「なんで、俺を守ったの……」

「だって、ラキ君が死んじゃいそうな気がして……」

「俺は、死なないっていったでしょ!?」

「わかってる。わかってるんだけど……」


 ハイドさんは、起き上がって俺を抱きしめた。


「ラキ君が、死を受け入れたように見えたんだ……。そうしたら、本当に死んでしまう気がして……」


 と、遠くから別の足音が聞こえた。ダイナンさんと、シュリとエイルだ。


「おい、何があったんだ! 血土とローグが現れたと思ったら、一瞬にして消えちまった!」

「もしかしてラキがやったのか!? それだったら大発見だ! 確かにラキの魔法がローグを生むというのなら、確かに血土の再生と同じようにローグを戻すことができてもおかしくない! ……ラキ?」


 俺は、ハイドさんの体を押しのけて、立ち上がる。


「でも、ローグをこの場で作ったのも俺だよ? 制御できなかった」


 今は落ち着いている。けれどもそれは、ハイドさんが生きていた安心感から。きっとまた、俺は繰り返す。


「ラキ……。俺が変な事教えちまったから……」

「違うよ」


 ダイナンさんの言葉に、俺は首を振る。


「ダイナンさんが教えてくれた事、それに対して言ってくれた事、本当にその通りだよ。でも、俺が似てるなら、わかるでしょ? まっすぐ受け取りたくても受け取れなくて、勝手に変な風に考えちゃって暴走しちゃうんだ。頭ではわかってるんだ。だけど……」

「ラキ君、いったい何をダイナンから教えられて……」

「なんで、どうにもならないんだろうね」


 そう言って、俺は皆に背を向けた。


「ダイナンさん。ハイドさん、ローグに投げ飛ばされて刺されたんだ。多分もう大丈夫だと思うけど、ちゃんと問題ないか見といて」

「はっ!? えっ、ハイド、おまえ、服破れて……。待て、なんでこれで傷一つねえんだ!? って、おい、ラキ!?」


 俺はまた逃げた。確かに、俺はダイナンさんに教えてもらった昔のハイドさんに似ているのかもしれない。考えたくないことから目を背けるには、そこから逃げるしかなかった。

 けれども俺に、逃げる場所なんて無い。あったとしても、ハイドさんの家ぐらいだ。結局俺は、ハイドさんの家に来ていた。


 ハイドさんの家は、初めて来た時とは違って、沢山のものが揃っていた。調理具や食器、俺とハイドさんの服に、俺の勉強道具や剣も。

 けれどもここにいてはいけないと思った。ここにいたら、きっとまた、繰り返して皆を傷付ける。


 俺は最低限の荷物を急いでまとめた。ハイドさんが帰ってくる前に、ここを出なければいけない。

 行く先は決まっていない。けれども、俺を監視しなければいけない国だ。行く宛はあるだろう。


 俺は、そっとドアを開ける。良かった、誰もいない。そう思って外に出た瞬間だった。


「やっぱりここにいたわ!」


 いたのは、ハイドさんでもダイナンさんでもなく、シュリだった。シュリは、俺の腕を掴む。


「シュリ……? えっと……」

「あなた、逃げようとしたでしょう! 逃がさないわよ!」

「いや、その……」


 俺は一歩後退る。けれどもシュリも、俺に一歩向かってきた。


「えっと……。ハイドさんとダイナンさんは……?」

「何か話すことがあるみたいよ。あなたを追ってほしいって、その二人に頼まれたの!」


 俺はあたりを見渡す。護衛らしい人はいなかった。

 そりゃそうだ。今日に限っては、ハイドさんとダイナンさんが護衛役なのだから。そんな状態でシュリを一人で行かせるなんて、どうかしている。いや、ある意味わざとなのかもしれない。


「……寮まで送るよ」

「大丈夫よ! 何度も一人で抜け出してきてるもの!」


 そうだけど、そうじゃない。けれども実はこっそり付いて来ているとバレると、きっとその後の護衛の人も大変だろう。


「……逃げないから。大丈夫」

「じゃあ、その荷物は何? どこ行こうとしてたの?」


 シュリは、俺の荷物を指さす。


「えっと……」

「ねえ、教えて? あたなは今度は、何に悩んでるの?」


 シュリのまっすぐな言葉に、俺は大きく息を吐く。何故かシュリの言葉は、言ってもいいかという思いにさせてくれた。

 きっとシュリは嘘をつかない。率直な言葉をくれる。そういう安心感があった。

 けれども、流石にここで話したい事ではなかった。それに、ハイドさんが帰ってきたら、色々と問い詰められるだろう。


「……寮に向かいながら話そう。今度は本当に、逃げないから」

「……本当ね?」

「うん」


 俺達は、寮に向かって歩き始めた。シュリの手はずっと俺の手を握っていたけど、その手が何故か安心した。


「それで? 何があったのかしら」

「……ただ、本当に、我儘で馬鹿な事思っちゃっただけ。あ、でも、このことはエイルには言わないで欲しいんだ。これは、俺の問題を超えた話だから……」

「わかったわ。約束する」


 そう言って真面目な顔で頷くシュリに、俺は話し始めた。

 ハイドさんとエイルが実の親子だったこと。それに、どうしようもなく嫉妬してしまったこと。ハイドさんの一番がいいって思ってしまった事。そしたらローグが生まれたこと。先ほど起こったこと。


「傷が消えたから良かったけど、俺、ハイドさんを殺しかけたんだ。俺のしょうもない感情で……。それに、ローグを生んだ時、感情が止まらなかった。だから……」

「離れなきゃって思ったわけ?」

「うん……」


 実際、先ほどの状態は、ディーレを復活させたときに似ていた。今までは普通に魔法を使っても、目の前にできたことは無かった。きっと俺の感情が爆発して、ディーレのようなことをしてしまったのだ。


「……その気持ち、ハイドさんには言ったの?」

「ううん。言えるわけない……」

「どうして?」

「だって、こんな我儘な気持ち言えるわけ無いじゃん。俺だってわかってるんだ。ちゃんと俺に愛情を注いでくれてるって。ハイドさんの子供になんかなれっこない。なのに勝手にエイルに嫉妬して、これ以上愛情くれなんて……。流石に我儘過ぎるでしょ……」


 そう言うと、シュリは首をかしげた。


「別に我儘ってハイドさんが言ったわけじゃないんでしょ? なら言えばいいのよ! 言わないとわからないわ! 私だって言ってるもの!」

「で、でも……」

「いい? ハイドさんは大人よ! だから無理なことは無理って言うわ! 私だって、お父様やお母様に、仕事行かないでとか、一緒に遊んでとか、散々言ってきたもの。そしたら、大丈夫な時は大丈夫、無理な時は無理って言ってくれるの! 仕事行かないでなんて、無理だってことわかって言ってたわ! でも、無理でも言えばすっきりするのよ!」


 俺は、そんなシュリが簡単に想像できてしまって、思わず笑ってしまう。


「何かおかしいこと言った?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「そうだ! それにもう一つ言いたい事があるわ! もし私が、ラキとずっと一緒にいたいとか言うのは我儘かしら? この前森に行きたいとか言ったのも、お菓子屋さん行きたいって言ったのも、迷惑だった?」

「いや……。でもあれは、元気付けるために来てくれたわけじゃ……」

「それもあるけど、半分は私があなたに会いたくて、あなたと出かけたかっただけよ! そうじゃないと、たとえ元気が無くても会いに行かないわ!」


 寮の門の前に着く。俺とシュリは立ち止まった。


「ということで、逃げるより前にハイドさんともぶつかってみる気にはなったかしら」

「う、うん……」


 まだ、少し自信はない。けれども、ハイドさんに伝えてもいいかもなんていう気持ちになっている自分もいた。やっぱり、シュリは凄い。


「あら、迎えが来たみたいね! もう選択肢はないみたいよ」


 そう言われて、俺は後ろを振り返る。そこには、息を切らしたハイドさんがいた。


「じゃあ、私は寮に戻るわね! また会いましょう」


 そういって、シュリは寮の中へ消えて行った。


「良かった……。見つけた……。このまま会えなかったらどうしようかと……」


 俺は気づいたら、ハイドさんに抱きしめられていた。

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