50.乗り越えられないこととマイナスな感情

結局、その日はあまり眠れず朝を迎えた。

前日の昼間にぐっすり眠れたから気分はまだマシだけれども、昨晩見たものが頭の中でぐるぐると残っていた。

まだぐっすり寝ているハイドさんを起こさないように、俺はベッドを出る。


ふと、俺はハイドさんの部屋を見た。

今なら、仕事の事がわかる書類が一つぐらいは入っているだろうか。

けれども、昨日よりも見たいという気は起こらなかった。

あの事実で、ハイドさんとの関係はただの他人なのだと思い知らされた気になった。

そんな俺がハイドさんの仕事をあさるなんて、申し訳ない気がした。


朝食を準備していると、眠そうなハイドさんが起きて来た。


「まだ寝てなくて大丈夫? 昨日遅かったんでしょ?」

「私はこれぐらい眠れれば大丈夫だよ。それに今日は久々にラキ君と過ごそうと思ってね。昨日ちょっと遅くなっちゃったけど、仕事全部終わらせてきたよ」


その言葉に、今までの俺だったら素直に何も考えずに喜んでいたのだと思う。

今だって、嬉しいのは間違いない。

けれども、これは本当はエイルにやりたかった事なのではと思ってしまう自分がいた。

ダイナンさんも、出会った時にそんな事を言っていた。

そう思うと、この優しさは自分ではなく本来エイルに向けられるはずだったのだと思ってしまう。


「……ラキ君?」

「あ、ううん。なんでもない。ありがとう。楽しみ!」


そう言ったけれども、ハイドさんは俺を心配そうに見たままだった。


「昨晩も、あまり眠れなかった?」

「いや……」


眠れていないと言えば、きっとハイドさんは心配してくれるだろう。

けれどもその心配すら、今はなんだか受け取りたくなくて、俺は咄嗟にごまかした。


「えっと、まあ昨晩は確かに寝つき悪かったんだけど。昨日、シュリが来て、森に連れて行ってくれて、そこで沢山お昼寝しちゃったんだ。だから、別の意味でちょっと眠れなくて……」

「そうか、お昼寝沢山したんだね」


ハイドさんは、ほっとした顔をした。


「シュリさんが来てくれたんだね。……一人で?」

「うん。抜け出してきたんだって。ただまあ、護衛がこっそり着いて来てたけど」

「あはは。ラキ君も気付いてしまったか。よく抜け出してるみたいだよ」

「なんとなく察した」


そんな他愛ない話をしながら、ふとダイナンさんの怪我の事を思い出す。

シュリは、敢えて黙っておくことにしたと言っていた。

俺が責任を感じすぎるからだと。

これ以上心配かけてはいけない。

もう大丈夫な事、ハイドさんにも言わなきゃ。


「……ダイナンさん、怪我してたんだね」

「えっ……」


ハイドさんの顔が一瞬青くなる。

それを見て、俺は静かに笑った。


「大丈夫だよ、ハイドさん。シュリにも言われたんだ。俺が魔法を使わなかったら、もっと酷いことになってたって。今までならそれでも悩み続けてたかもしれない。けど、シュリと話してて、ちゃんと飲み込めた。だから、もう大丈夫」

「そうか。シュリさんが……。シュリさんは流石だね」


そう言うハイドさんは、安心したように笑った。

きっと、ずっと気にしてくれていたのだろう。

それが、ハイドさんの優しさだってことは、ちゃんとわかってる。


「俺が最近眠れてなかったから、言わないでいてくれたんでしょ? ごめんね」

「ラキ君が気にすることはないよ。戦場に出したのは、私たちの責任だ。また新しいトラウマを植え付けてしまうなんて……」


まだ、相変わらず夢を見ていた。

誰かが死ぬ夢。

その中でも、ハイドさんは一番夢の中で死んでいた。


「あれから、何度も誰かが死ぬ夢を見ちゃうんだ。俺は、何もできなくて、助けられなくて、そのまま皆死んじゃう。そして、目が覚めちゃう。でも、それも頑張って乗り越えないとね」

「……ラキ君は強いね」


ハイドさんはそう言った。

けれども、俺はそう思わない。

こんな夢を見ている時点で強くなない。


「まだ、完全には乗り越えられてないから……」

「簡単に乗り越えられるものじゃないと思うよ。人が死んでしまうことなんて、慣れるものじゃない。……私だって、ラキ君が何があっても死なない魔法を持ってることに何度救われたか。それでも、死なないとわかっていても、危険な事をしたり、無理したりするラキ君が、いつか想像もつかない理由で死んでしまうのではないかと不安になったりはするけどね」


ハイドさんは何故か、寂しそうな顔をした。


「私も、誰も死ななければいいのにって思うよ。けれども、安全なところにいると思っていても、急に突拍子のないことで死んでしまう時だってある。だから、無責任に大丈夫だよって言えなくて。ごめんね」


ハイドさんは、誰かを思い浮かべているようだった。

もしかして、昨日見たハイドさんの奥さんの事だろうか。

ハイドさんも、まだ奥さんが死んだことを乗り越えられていないのだろうか。


俺は、立ち上がった。

そして、ハイドさんと食べようと思って残していたものを取り出す。

シュリがしてくれたように、俺はハイドさんの口にクッキーを入れた。


「シュリが教えてくれたんだ。甘い物を食べながら話すと、少し幸せになって前向きになれるんだって!」

「……確かにそうかもしれないね。美味しいよ」


そう言って、ハイドさんは少し涙ぐみながらクッキーを食べた。

皆簡単に死んでしまう。

それは、きっと俺だけじゃなくて皆辛いこと。

けれども、俺が死なないことで皆が安心できるなら、それはそれでいいんじゃないかと思えて来た。


「……今のラキ君なら、伝えてもいいかもしれないね。今起こっていること」


と、ハイドさんが静かに俺を見て言った。

ハイドさんの仕事が急に忙しくなったことだろうか。


「実は、今回ローグの数が異常に多かったんだ。今までに無いぐらい」

「えっ……」

「だから多分使った魔法の量じゃなさそうなんだ。そして、これはクレアとマイタンが石に刻んだ話と今の状況から、今ゾルオ先生が立てた仮説なんだけど……」


ハイドさんが、困ったように笑った。


「恐らく、ラキ君の感情が大きく影響しているんじゃないかって事になってる。ディーレがローグを沢山出した時も、クレアとマイタンがディーレを信じられなかった時って書いてあったでしょ? だから、単純に恨みが生んだんじゃなくて、操る者のマイナスな感情に比例してローグを沢山生んだんじゃないかって」

「俺の、マイナスな感情……」


確かに、心当たりは沢山あった。

寧ろ、ありすぎた。

今回なんて、確かに俺の気持ちはいつにも増して不安定だった。


「だから、ラキ君の気持ちが落ち着いたタイミングで、今度は血土の再生をしつつ魔法を使ってもらってどれくらいローグが生まれるか見てみようということになっててね。それを見てから、ラキ君に魔法を前回と同じぐらい使ってもらって……」

「もしローグがあまり出なかったら、俺の気持ちの問題……。もしかしたら、ローグを出さずに魔法を使えるかもしれない!」


魔法を自由に使える可能性がある。

それは、皆をちゃんと守ることができるというわけで、気持ちが高ぶった。


「……マイナスな感情を持たないのは、きっと難しいと思うよ。誰だって、落ち込むときもあれば、悲しい時もある。勿論、マイナスな感情にもいろいろあって、全てのマイナスな感情がローグを生むとも限らないけどね。だけど……」

「とりあえず、色々と試してみる!」

「そうだね。それが一番だね」


ハイドさんは立ち上がる。


「じゃあ、それのために、ラキ君が幸せを沢山感じられるようにしないとね。今日は沢山楽しいことをしよう。それに、前行こうといっていた森も、シュリさんに先を越されてしまったけれど、また皆で行ってもいいね。王都の周辺には、いくつか行きやすい森があるんだ」


それは、エイルも一緒だろうか。

まだそう思ってしまう俺もいる。

きっとこれも、いつか飲み込まなくてはいけないようなマイナスのドロドロとした感情だけれど、この感情だけはハイドさんに言えなかった。


「そうだね。楽しみにしてる」


そう言って俺は笑って誤魔化した。

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