15.良い子と馬鹿な子
「明日、二人が魔法を使いに、こっちに来るよ」
そうハイドさんが伝えに来たのは、ダイナンさんと会ってから1週間ほど経った後だった。
「けどね。ゾルオ先生も一緒に来たいと言っていてね。シュリさんとエイルが血土を復活する所を見たいそうなんだ。私としても、拒否する理由はないからねえ。……大丈夫かな?」
「……大丈夫。俺の魔法を知られなければ」
実際、巻き戻る前のゾルオの事を思い出すと、当然の行動だと思う。そもそも、クレアとマイタンの伝説を調べる歴史学者なのだ。研究のために来るのは、当然の事だろう。
「なるほどねえ。ということは、隠れて見るぶんにはいいかな?」
「うん」
ふと、俺はハイドさんを見る。ハイドさんは、毎回俺の希望を確認してくれる。そして、何故とはあまり聞いてこない。
一度、ハイドさんの事を知らなかった理由を問われて断ってから、聞いてくることはなかった。それが心地良くもあり、申し訳なくもあった。
「どうしたの?」
ハイドさんが俺を心配そうな顔で覗き込む。いつも優しく声をかけてくれる、ハイドさんの声が暖かかった。
もし全部本当の事を話したら、どんな反応をするのだろうか。巻き戻ったって言ったら? 俺がディーレを復活させてしまったって言ったら?
そんなの駄目だ。
俺の中で、否定する声が聞こえる。思い出すのは、巻き戻る直前にシュリとエイルから向けられた、軽蔑の混じった目。おかしなことに、ハイドさんから同じ目を向けられる事を考えただけで苦しくなった。
ハイドさんはただの仕事で俺に接しているだけ。結局ゾルオみたいに俺を騙しているだけかもしれないのに。
なんでこんなに、ハイドさんに嫌われるのが嫌なのだろう。
『子供にできなかったこと、おまえに重ねてる部分もあるだろうなあ』
ダイナンさんの言葉を思い出す。ハイドさんが俺に優しくしてくれるのは、死んじゃった子供の代わり。普通の子供は、何をするのが正しいのだろうか。
ああそういえば、ハイドさんは俺が文字を学びたいって言うと喜んでくれた。
「ハイドさん、せっかく来たなら文字教えてよ。ちょっと自分でも勉強してみたんだ」
「……!! 勿論だよ。今日はここに泊まる予定だったからねえ。明日に響かない程度にやろうか」
俺がそう言うと、ハイドさんは嬉しそうに笑った。ゾルオみたいに騙ししているだけかもしれないのに、ハイドさんが喜ぶと、嬉しくなってしまう俺がいた。
「ラキ君は、真面目で良い子だねえ」
「俺、良い子なの? 何にもできないのに?」
良い子と言われると、心の奥が熱くなった。そんな俺に、ハイドさんは少し眉を下げて言った。
「良い子だよ。ラキ君は真面目で優しい良い子だ。でもね、本音を言うと、もう少し私に心を開いてくれると嬉しいなあ」
ハイドさんの言葉に自覚があった俺は、見破られていたのかと少しドキリとした。けれども、見破ってくれていること自体が、なんだかこそばゆくて嬉しかった。
次の日、俺とハイドさんは俺が再生した血土の跡地に向かった。人が沢山いる中、俺とハイドさんは少し離れた木の陰に隠れて覗き込む。
血土の跡地は、やはり土が赤くなくても異質に見えた。ぽっかり穴が空いたように、木も草も何も無いのだから当然だろう。シュリもエイルも、彼らを護衛する騎士団の人達も、驚いている様だった。
「これは! 確かにクレアとマイタンの伝説に出てくる血土とそっくりです! 想像以上に赤くはありませんが、描写がそのままですね!」
と、聞いたことのある声に、心臓が飛び跳ねた。離れていても、興奮しているからか、ハッキリと俺の耳に届いた。
ゾルオだ。
ゾルオを認識した瞬間、息が少し苦しくなった。
この頃からゾルオは何か企んでいたのだろうか。ゾルオは土を見ては本を見て、何かを調べているようにも見えた。巻き戻る前と全く同じ反応だ。
『伝説では、クレアが血土を再生させたようです。ラキ、調査した結果、あなたの魔法はクレアの使えた魔法の一部です! あなたならできるのではないですか?』
俺にそう教えてくれたのはゾルオだった。
『ディーレは封印されているのに何故血土が再び現れたのか。いやあ、気になりますねえ!』
今思えば、血土の存在に異常に喜んでいた。嬉しそうに笑うゾルオの声が、ディーレが復活した瞬間の笑い声と重なる。
「大丈夫? 顔青いよ?」
隣にいるハイドさんが、小声で俺に声をかける。
「戻るかい?」
「だ、大丈夫」
そうは言ったものの、心臓がうるさく鳴っていた。
それから間もなく、二人が魔法を使った。種がその空間にばら撒かれ、それがぐんぐんと成長して行く。それは非現実的で、神が世界を創造した神話に出てくる御伽噺のようで、美しい光景に違いなかった。そこにいる誰もが、ハイドさんでさえ見とれていた。
俺以外は。
歓声があがる。無事成功したのだ。シュリとエイルも笑っていた。幸せな光景。けれども俺の頭の中では、あの日の出来事がぐるぐると回っていた。
『お父さん……? なんで……、ディーレが……』
『もうお父さんなんて呼ばないでください。茶番は終わりですよ。本当に親子になれると信じていたのですか? 良いように使われていたと気づけない馬鹿な子』
『みんなが……、幸せになれるって……』
『幸せになれますよ! 世界がまっさらに生まれ変わるのですから!』
何をしてるんだろう。俺は。ハイドさんをまた信じて、また繰り返す気なのだろうか。
気付いたら走っていた。走って、でも帰る場所は無かった。たどり着いたのは、ここ一カ月程住んでいただけの小屋だった。
「馬鹿だなあ、俺。たった一カ月だけで、また信じそうになって」
そう声に出したら、いかに自分が馬鹿なのか思い知らされた感じがして、笑えて来た。
「ラキ君!」
後ろから、ハイドさんの声がする。
「どうしたの? 急に走り出して……、って、顔色凄く悪いよ!? ねえ……」
俺は一歩後退った。違う、前みたいに話さなきゃ。これは、ただのハイドさんの仕事と、俺が普通に生きるためのメリットが上手く合わさった条件付きの関係。住むとこが無くて、文字も知らない俺と、子どもを失ったハイドさんの、茶番のような親子であって親子でない関係。
どうしてたっけ。最初、どうやって話してたっけ。
「ラキ君!!」
目が霞む。ハイドさんが駆け寄って来る姿が、ぼんやり見えた。
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