第8話 《噴水に落ちた赤ペン》
陽子は信也と噴水の囲いに腰掛けながら、空を見上げている。
ふいに両手を皮ジャンの中に突っ込む。
右のポケットに何かが入っている。
手に持って見てみると、赤ペンだ。
持つところに赤いゴムのクッションがついている。
長時間使っても、ペンだこも出来ることなく手に優しい。
0.7ミリ。
私のお気に入りだ。
こんなふうに、私の上着やズボンの中には、決まって忘れられた赤ペンが隠れていて、ある日突然、ひょっこり顔を見せて驚かすのだ。
「ほら信也、また赤ペンが出てきたよ」
陽子は赤ペンを指でつまみ、信也の顔の前に差し上げて、ヒラヒラさせた。
あっと思ったら、赤ペンは宙に飛んで、噴水の水の中にポチャンと落ちた。
やっちゃった。
調子に乗りすぎて、指の間にはさんだまま、赤ペンを振り過ぎたのだ。
水しぶきで揺れ動く波紋の中から、赤ペンの沈んでいるのが見える。
水深三十センチくらいだろうか。
肘の上まで袖(そで)まくりすれば、なんとか手は届きそうだ。
陽子が取ろうかどうしようか迷っていると、信也の手が陽子の肩に伸びた。
「あきらめよう。新しいの買ってあげるよ」
目を見合わせるようにして、一緒に立ち上がる。
もう行こうと、信也は促すかのように陽子の手を引っ張り歩きだした。
一度はあきらめてみたものの、何だか妙に、胸が苦しい。
たかが赤ペンだと思ってみても、その赤ペンが、実は誰よりも一番、私を寂しがらせてくれる。
気がついて良かった。
信也の手を振りほどくと、振り向きざまに、陽子は走り出した。
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