第3話 《文字の世界の刑事》


信也から返事が来た。



可哀想なくらい、ごめんなさい、すみません、と、萎縮して、陽子に交際の続行を嘆願してきた。



テレビドラマによく出てくる、浮気がばれた腰の低い夫タイプ。



思い直して、悪代官に、殺しの仕事をしくじり、命ごいする浪人者か。



どっちでもよい、何だかホロリときたから、許すことにした。



信也は、決して魅力がないわけではない。



何よりも根が優しい。



女性への気配りも、不器用ではあるが、心得ている。



スポーツマンタイプではないが、体つきも案外しっかりしている。



蒼白な顔も、真面目な顔をしているときは引き締まって見え、思わず私をドキリとさせることもある。



大人しすぎることもなく、出過ぎもせず、普通を何気なくこなしているところがいい。



それどころか陽子は、普通の人も、その人なりに磨けば光るんだ、ということを、信也から教わったような気がしている。



信也の何が悪いのだろうか?



一つだけ思い当たる。



手紙だ。



あの誤字脱字の羅列のような文面が、陽子には許せない。



校正の仕事をしている陽子は、プライベートの手紙でも、間違いがあれば直してしまうクセがある。



なんと言えばいいのか。



今、目の前に犯人がいるのに、礼状が無くて逮捕することが出来ない刑事のような心境。



信也の手紙の誤字を見逃そうとする時、きまってそんな胸焼けしそうな想いになる。



赤ペンを手にして、いろいろな校正記号で信也の文面を征服するまでは、訳の分からない罪悪感に陽子は苦しんだ。



信也からの五通目の手紙を机に広げて、ついに赤ペンへ手を伸ばすと、陽子は、吐き捨てるような口調でつぶやいた。



「私は、文字の世界の刑事かもしれない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る