第2話 《信也からの手紙》
陽子は信也からの手紙を机の上に広げている。
手紙の上端を習字に使う文鎮で押さえ、下端を手で押さえながら、ぶつぶつと声に出して読んでゆく。
〔週末は僕たち、とことん愛モードで楽みましょう〕
歯が浮くような文面に、陽子はリスのようなくしゃみをする。
口を押さえていた手が、自然と赤ペンのほうへゆく。
「し、が抜けています」
ふいと口から出た言葉が、いかにも事務的なことに、陽子は自分でも驚く。
が、構わず慣れた手つきで、〈楽〉と〈み〉の間から、行の空いた右上のところに線を引っ張りだす。
そしてその先に、蛇が大口開けたような線を描き、蛇の卵を飲み込めるほどの大口の中に〈し〉と記した。
桜の花開く頃、つぼみの中で、自然と花びらが薄紅に染まってゆくように、そんな感じで、手際よくいろんな校正記号が陽子の赤ペンの先から生まれては、手紙の文面を赤色に染めてゆく。
初めて信也の手紙に赤を入れたのは、半年ほど前のことだった。
あの頃は、まだお互い知り合ったばかりで、週に一度は、信也からの手紙が来た。
甘ったるい愛の言葉を、まるでヒヨ鳥のさえずりのように、繰り返し手紙に書いてよこす信也を、陽子は愛されている喜びに溺れながら、初めは嬉しそうに受け止めていた。
信也の手紙を、仕事に持ち歩くバックの中に入れて、お守りがわりにしたこともある。
何度か枕の下に忍ばせて寝たことも、取り消せない事実だ。
そんな中で、必ず週に一度、信也から手紙が来た。
「君と出会えてからというもの、毎日が五月病で困る」
とかなんとか言っちゃって、規則正しく、まめに手紙を送ってくるではないか。
いつしか信也の斜め上がりのクセのある文字が、陽子の胸の中まで届かなくなるまでには、余り時間はかからなかった。
陽子は、愛され続ける恋から覚めて、信也への手紙の返事にこう書いた。
「むやみやたらに、街角で配られているティッシュみたいに、愛の言葉を使わないで下さい。悲しくなります」
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