12:二人の先達①

 傭兵ギルド「鉄の鎖」の二階に、ハヤトは通された。

 王の城の宴会場ほどではないが、数人が輪になって踊れるくらいのその部屋は、立派な板金の鎧や太い柄の槍。銀色に輝く兜。色とりどりの鉱石や宝石の塊などによって彩られている。

 その中心に立つ、革のベストを着ているブロンドの髪の優男。彼こそがハヤトを地下牢から連れ出した男である。


「自己紹介しよう。私はカルヴィトゥーレ。『鉄の鎖』のオーナーで、ギルドマスターも務めている。よろしく。」

「はじめまして、ハヤト・エンドウです。ギルドマスターにお会いできて光栄です。」

「ふふっ。キミは若いのに礼儀正しいんだね。実に素晴らしい。」


 満足げに微笑むギルドマスターのカルヴィトゥーレは、机の上に置かれていた革張りの鞘に納められた剣を、ハヤトに手渡した。


「これを返そう。まさかこれほどの品をキミのような少年が持っているだなんて、誰も思わないだろう。だとしても、部下の身勝手な誤解を本人に代わって謝罪する。」

「い、いやいや!俺も迂闊でした!こちらこそ混乱させてすみません。」


 短い間ではあったが手元から離れてしまった剣を、ハヤトは腰のベルトにしっかりと装着した。


「それにしても彼がこれほどまでに一人の少年に入れ込むとはね。正直驚いている。」

「入れ込む、ってどういう……?」


 確かにクリオからは大きな期待と心配をどちらも受けていたことは、よく理解している。ただ単純に言えば、彼が城で身につけていた剣を受け取った……ハヤトにとってはそれだけのつもりだったのだが。

 理解できてない様子のハヤトに、カルヴィトゥーレは「なるほど。」と頷いた。


「異界から来たキミが知らないのも無理はない。私たちにとっての『剣』の価値を。」


 カルヴィトゥーレはそう言うと、部屋の中をゆっくりと歩き始めた。


「私たちオナー人は長く、戦乱の歴史に身を置いていた。その中で私たちは武術を磨いただけでなく、『武器』に対して特別な……儀式的、と表すべき価値を見出すようになった。」


 カルヴィトゥーレは立派な槍置きに飾られている太い柄の槍を手に取る。


「例えば、槍。これは武器としては最も普及していて、おそらく剣よりも多く作られたであろう武器だ。そのため一般にもよく親しまれ、オライオ教の僧兵は決まって、槍の使い手が頂点に立つことになっている。」


 カルヴィトゥーレはハヤトとの距離が近いにも関わらず、槍を振る。その槍さばきは滑らかで一切の無駄がなく、しかし眼前を過ぎる度に強い風圧が丈長の衣を揺らす。


「ただ『剣』だけは別格だ。私たちオナー人にとって……特に王侯貴族は、剣という武器に対して非常に大きな価値を見出している。」


 太い柄の槍を槍置きに戻すと、ハヤトの左腰に目線を向けながらゆっくりと歩く。


「男から女へ剣を渡すことがある。これはもっぱら求婚を意味する。男から女への剣の譲渡は、自身の尊厳と魂を捧げる……すなわち、絶対的な服従を意味するためだ。この時は純粋に剣そのものの価値が高ければ高いほど、熱意が込められているとみなされる。女から男へ渡す時も概ね同じ意味だが、求婚は男が女にするものだから多くはない。」


 それから、とカルヴィトゥーレは続ける。


「先達から若い者へ、剣を渡すことがある。これは相手への期待、信頼を示す目的がある。逆に若い者から先達へ渡す場合は、相手への地位的、実力的な挑戦を意味する。どちらも根元の部分には相手の実力を認めること、相手への敬意を示すことが由来としてある。」


 カルヴィトゥーレはそこまで話し終えると、元いた位置に戻ってきた。


「その剣の装飾は、モンカソー男爵家の家紋であるトリカブトの葉だ。花言葉は『騎士道』、『栄光』、そして『復讐』。近衛騎士隊長の任を代々務め、『王の盾』と称されるモンカソー男爵家によく合っている。彼を知っているキミも、そう思わないか?」


 カルヴィトゥ―レが時折言う「彼」。それは十中八九、クリオを指しているだろう。

 騎士道、栄光、復讐。近衛騎士隊長としても、一人の男としても、非常に信頼できる人物だった彼を思うと、カルヴィトゥーレの言う通りだとハヤトも感じる。


「モンカソー男爵家の魂が形になったとも言える、トリカブトの葉が装飾された剣。それをモンカソー男爵である彼が、キミに渡した。その意味が理解できないほど、キミは愚かではないだろう。」


 ハヤトの手にある、革張りの鞘に納められた短めの剣。手を守る鍔は銀色に輝いていて、深い切り込みが特徴の三つ又の葉……モンカソー男爵家の家紋、トリカブトの葉が装飾されている。

 鞘から刃を引き抜くと、鋭く輝く片刃がハヤトの顔をクッキリと映している。

 ぽたり、と刀身に落ちる、小さな雫も。

 ハヤトの脳裏に鮮明に映る、あの時の表情。

 肩を掴んで、いつも落ち着いた雰囲気だった彼がまくし立てていた、あの時の顔。

 そして彼が贈ってくれた、誓いの言葉。


『私、クリオ・オーラ・モンカソーは国王陛下より賜った爵位において、あなたの名誉と身分を保証し、あなたを庇護すると誓いましょう。』


 あれは旅立つ相手の無事を祈る、テンプレートのようなものかと思っていたが。

 しかし今になって彼の言葉を文字通り受け取ると、自身の爵位をかけてまで、たった一人の少年の存在そのものを守ろうとしてくれていたのだとわかる。


 __どうして、そこまで。


 目の前にいない彼に聞かなければ、わからないことなのに。どうして今更、知らなければならないのだろう。

 無知だった。自分があまりにもこの世界に無知だったせいで、彼が自分になぜ、何を、どれだけ期待してくれているのかを理解する機会は目の前にあったというのに、機会があることにすら気が付かないまま、この南の辺境に来てしまった。

 たった六日だ。けれど六日もあそこにいたのに、一日もいないこの場所で知ってしまった。

 自分がどれだけ無知であったかなんて、エルクからバラについて教わった時にわかったはずだったのに。

 ハヤトの手が、小刻みに震える。

 それは純然にして真っ直ぐな、怒りだった。

 無知であることに無知だった、自分に対しての。


「お願いしたいことがあります。」


 ただハヤトは、いたって冷静だった。


「俺に、教えてください。」

「何をだい?」


 ハヤトはカルヴィトゥーレの青い瞳を射貫く。純然にして真っ直ぐな、怒りと共に。


「あなたが持っている、全ての知識を。」


 黒い瞳に宿る、炎。

 怒りという新たな薪を得た炎は、燃え盛っていた。

 その光を、青い瞳はしっかりと捉えた。


「いいとも。私程度の知識でいいのならば、キミが欲しいというのならば、私は惜しむことなく、今までに得た知識を注ぎ込んであげよう。」


 白い歯を見せ、細長い口を三日月のように曲げるカルヴィトゥーレ。


「よろしくお願いします、カルヴィトゥーレさん。」


 二人は強く、硬く、握手を交わした。

 コンコン、と部屋の扉が叩かれたのは、ちょうどそういうタイミングだった。


「ハヤト・エンドウの登録証が完成しました。」

「そうか。入ってくれ。」


 カルヴィトゥーレの合図で入ってきたのは、ハヤトの受付をした受付係のジューダだった。彼女は部屋にいたハヤトにすぐに気が付くと、素早く目の前に駆け寄って頭を下げる。


「た、大変失礼しました!モンカソー男爵が後見人を務める方が来ることは知らされていたのですか、まままっまさか、普通の格好をした少年だなんて微塵も思わず!」

 ガタガタと頭からつま先まで震えながら必死に釈明するジューダ。ふと振り返ると、真っ黒に染まった笑顔で彼女を見下ろすカルヴィトゥーレがいた。


「か、カルヴィトゥーレさん……この人に何を……?」


 ハヤトが訊ねると、カルヴィトゥ―レは恐ろしい笑顔のまま答えた。


「教育、だよ。」

「……ッ?!」


 自分はまた、とんでもない人に教えを乞いてしまったのではないかと思うハヤトだった。




 ジューダはハヤトの手元に登録証の写しを残していって、そそくさと部屋を出た。あの青ざめた表情が、次に会う時は治っていることを願うばかりだ。


「ところでハヤトくんは、武術は習ったのかい。」

「一応、六日間だけ、くり……モンカソー男爵の訓練に参加したんですけど……。」


 それだけでは足りないことくらい、わかっている。

 傭兵ギルドのギルドマスタ―の世話になることになったのだから、代わりに傭兵としてギルドに貢献するのが筋というものだろう。それに傭兵活動を通じて、ベイグルフ王から与えられた「治安維持」の任務の達成にも近づけるはずだ。

 であるならば、知識だけでなく武術についても教えてくれる先達が必要になる。

 その考えをカルヴィトゥーレに話すと、彼はまた満足げな笑みを浮かべた。


「そう言うと思って、既に手配しておいた。そろそろ君の武術指南役が来るはずだ。」


 武術指南役、という響きに胸の中に燻る期待が膨れ上がる。できればクリオのような淡々と厳しくしてくる系ではなく、丁寧かつ誠実に教えてくれる系が__


「オレの指導を受けてェってヤツぁここかあ?!」


 来なかった。どう見ても違う。

 扉をけたたましく開けて現れたその男は恐ろしく大柄で、丈長の衣の下にあっても浮き上がって主張してくるほど巨大な筋肉を携えている。そして何よりも、もみあげから喉の下まで蓄えられている髭が、彼のゴツゴツとした厳つい顔面をより恐ろしくしている。


「この筋肉の塊はハアースの自警団の教官を務め__」

「レオノルド・アールディー!それがオレの名前だ!んで?!オレに指導されてェっつう畜生野郎はテメェか?!」


 目をひん剝いて迫ってくる、レオノルドと名乗った男の圧倒的な存在感に、ハヤトは完全に気圧されてしまっていた。


「はっ、はい!ハヤト・エンド__」

「よし小僧ッ!さっそく訓練だ!オレについてくれば、三か月で立派な戦士にしてやるからな!舟に……泥舟?に……黙ってオレについてこいッ!!」

「わッ?!痛い痛いッ?!」


 ハヤトの手よりも二回りは大きい手でハヤトの二の腕をガッチリと掴むと、レオノルドはそのままハヤトを引きずっていってしまう。


「とりあえず今日はレオンの訓練に集中するといい。明日の夜、ここで待ってるよ。」


 カルヴィトゥーレはこれ以上ないというくらいの満面の笑顔で見送ってくれた。

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