一章「南の辺境都市」
11:南の辺境都市
フラガライア辺境伯領は、フロリアーレ王国の南端に当たる。リアヌ人が支配する隣国との国境地帯でもあるその場所は、王族ローゼイ家の分家であるフラガライア辺境伯家が統治している。
王都からひたすら馬車に揺られ続けること、十九日。
ハヤトはフラガライア辺境伯領の西部にある都市ハアースに辿りついた。
「……うっわ。」
第一の言葉は、それであった。
都市の壁は大部分が石造りだが崩れかけている部分もあり、また丸太を地面に刺して立てただけの部分もある。門には見張りの兵士が数人いるが、装備品は小手と胸当て、脛当て。そして細い槍を一本ずつ。
彼らによる雑な荷物チェックを通過して中に入るが、内部も内部で大概だった。
通りはどこも舗装されておらず、道の土は水気が混じっていて泥に近い。しかも排泄物か生活廃棄物かわからない山がところどころにあるので、道なのか肥溜めなのか判別しにくい。
建物は薄汚れている干した泥煉瓦の壁がほとんどで、石造りの立派な建物と言えば、都市の入り口近くに一件、そして目抜き通りと思われる大きな通りの中心部に一件だけだ。
手頃な宿屋の前に馬車を止めてもらい、武器や板金鎧といったかさばる荷物は宿屋に預けてしまう。
「兄ちゃん、行くアテはあんかぁ?」
うーん、と喉奥で唸ってから。
「とりあえず傭兵ギルドを訪ねてみようと思います。」
「そうけぇ。ま、達者でなあ。」
それだけ言って、御者は馬に鞭を打った。
泥のような土道を、鉄板を履いた車輪で進んでいく天幕付きの馬車。ハヤトはそれが人ごみで見えなくなるまで見送ったあと、もう一度宿屋に入った。
「傭兵ギルドはどこにありますか。」
受付台にいる中年の女は、台帳にハヤトから預かった荷物を書き記しながら答える。
「通りで一番デカい建物さ!そこの、目につくやつだよ。」
「わかりました。」
通りで最も大きな建物。それは先程も荷台の中から見た、この都市で数少ない立派な石造りの建物のことに違いない。ハヤトは逸る心を静めつつ、ゆっくりとした足取りでその建物に向かった。
絡み合った鎖を模した看板の下で両開き扉を開けて建物に入ると、そこの雰囲気もまた、外と大して変わらなかった。
さすがに床は石張りで掃除も多少はされているし、なにより肥溜めはひとつもない。しかしそのような雰囲気にさせるのは、何よりもそこにいる人たちの影響だった。
剣や槍、弓といった思い思いの武器を携え、革や金属といった事情様々であろう鎧を身につけている男たちが、入ってすぐの広間のあちこちで輪を作って立談している。床に座り込む集団も、ちらほらあるが。
奥にはこちら側とあちら側が頑丈そうな鉄柵で仕切られている受付台があり、男たちが列を作っている。ところどころで口喧嘩が起きているのも、趣があってままいい。
ハヤトは列の中の一つに並んで、静かに順番を待つことにした。
「おい、そこん兄ちゃん!見ねえ顔じゃねぇかよ新人か?」
静かに待っていたかった。しかしそうあることを許してくれない人物は、残念ながらどこにでもいる。
「……はい。そうです。」
「ギャハハハッ!『そうです。』だってよ!なんでぇ新人ッ、お貴族様気取りかあ?!」
口調は荒いし体臭もキツイが、酔っているわけでも機嫌が悪いわけでもなさそうだ。実際にこの男からはアルコール臭は一切しないし、表情もとても生き生きとしている。
しかし彼の腰には幅広の剣が一本と、背中には木の丸盾が見えている。
「おい新人、今から先輩が色々と教えてやっから、ちゃーんと覚えんだぞ?」
余計なお世話だ、とは言いたいが、まあ暇つぶしとして耳を傾けてあげよう。
「このギルド『鉄の鎖』は、ハアース唯一の傭兵ギルドだ。だから仕事は山ほどあるし、所属してる傭兵も山ほどいる!見りゃわかんだろ、ええ?」
どこを見渡しても武装した者が二十人はいて、その誰もが門の警備をしていた兵士よりもしっかりとした武装をしている。特別立派だったり、何かしら特徴のある鎧や武器を持っていたりする傭兵も数人見受けられる。
「だからオメェみてぇな新人も、遠慮しねぇで依頼はバシバシ掻っ攫え!自分で掴みにいかねえと、ここじゃあ割りの良い仕事は死ぬまで回ってこねえぞ!」
確かに、とハヤトは頷く。ここに詰めている全員が傭兵として食っているのだ。自分もその輪の中に入ろうと言うのだから、自分の食い扶持を得るべく自分で掴みかかるべきなのは、まったくもって当然のことである。
「あとよお。たまぁにカネ払いの良さそうなヤツが訪ねてくる時があんだ。それを逃さず、新人はしっかり実力を見せつけていけよ!もしかすっと顔を覚えられるかもしんねえ。顔を覚えられるっつうことは……わかんだろ!」
「実力を見せつける、ですか。」
「おう!まッ、色々やり方はあるがよぉ……とりあえず……剣とか、鎧でも見せつけとけ!さりげなーく、でもなるべく目立つようにな!」
口数の多いの男はハヤトの肩に腕を回しながら、腰に手を当てている。手本を見せてくれている……と、ハヤトは解釈した。
「最後に、これはこのギルドで最も重要な情報だ……。本来はいきなり新人に話すべきじゃねえんだが……オメェは素直に聞いたから、特別に教えてやるぜ……。」
ここまで心構えとして役に立つ情報しか話さなかったこの男が、最も重要だと評する情報。いったいどれだけの内容なのかと、ハヤトは喉を鳴らした。
「いいか……受付の姉ちゃんはな……。」
「受付のお姉さんは……。」
一拍、二拍、三拍。口数の多い男はしっかりと肺に空気をため込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「ジューダちゃんが……一番おっぱいがでけぇ。」
「……なるほど!」
それは確かに耳よりな情報だ。この男、かなりやり手の情報屋なのではなかろうか。
「……で?なんのご用でしょうか?」
「ジューダ」と書かれた名札を胸元に着けている女が目の前にいなければ、有能と言えたかもしれないが。
「登録をしに来ました!」
「はーい。ではお名前と出身をお教えください。」
「ハヤト・エンドウです。出身は……。」
出身地?
「……出身地の情報って、必要なんですか?」
受付係の女ジューダは、訝し気に聞き返す。
「あたりまえでしょう。あなたが死んだ後、あなたの資産を相続する人を探すんです。」
あー、とハヤトは胸の中にすとんと落ちて嵌る感覚を覚えた。傭兵というならば、戦場に行ったり盗賊退治をしたりと、命を危険に晒す仕事を請け負うことも多いだろう。そうして稼ぎ、築いた財産は、ちゃんと家族に届けてくれるようだ。
そして同時に、面倒な状況に陥っていることも理解した。テキトウなことを言ってしまってもいいが、もし、仮に、考えたくはないが自分が死んだ場合、彼らを混乱させかねない。余計な手間をかけさせてしまう。
やはりここは、自分の名前を知っている人物に辿りつく可能性が高い……。
「王都。王都テルナです。」
「へえ、テルナにご家族が?」
「いやー……まあ、そんな感じ?の人たちがいます。」
「……そうですか。」
腑に落ちない様子だが、ジューダは手元の巻物に「テルナ出身」と書き加えた。
「それから身分保証人の方のお名前は?」
「身分、保証人……?」
傭兵なのに、と思いはする。だが遺産相続の手続きをしてくれることや、都市の問題事を一手に引き受けるのであろうことからして、ある程度は信頼できる人物であることは、仕事を任せる側にとっては重要なのだろう。
だが。身分を保証してくれる人、と言われても。この世界には親族はいないし、ホノカの名前を使ったところでそれが身分保証人に足るとは考えづらい。彼女だってこの世界の人間ではないし、戦場で戦果を挙げている有名人でもないのだから。
ではこの世界で、自分の身分を保証してくれる人とは。改めて考えた時、ハヤトは左腰に携えている短めの剣のことを思いだした。
「クリオ・オーラ・モンカソー男爵……です。」
「……一応、聞きますけど。担保になる物はありますか?」
まあ、そうなるだろう。鎧の一つも身につけず、短い剣一本でやってきた十七歳の少年が、自分の保証人として名門貴族の当主の名前を出せば。
「この剣じゃ、だめっすか……?」
ハヤトはクリオから受け取った剣を、鉄柵の下からジューダに差し出した。
ジューダは剣をまじまじと見つめ、特に鍔に施されている深い切れ込みが特徴の三つ又の葉の装飾をじっくりと観察すると、蛇のように鋭く冷ややかな目で、萎んでいるハヤトを見下ろした。
「これをどこで手に入れましたか。」
「モンカソー男爵から、直接いただきました……。」
「……バカバカしい。」
ジューダはぼそりと呟くと小さく舌打ちをし、受付台の近くに立っていた大柄な男に声をかけた。
「そこの愚かな盗人を捕まえてください。」
「承知。」
ハヤトは大柄な男に脇で抱えられながら、建物の奥へと消えていった。
ギルドの地下に、なぜ鉄格子の牢屋があるのか。そんなことを考えはじめてから、かなりの時間が経った。
淡々と考え続けて得た結論は、手癖の悪い人物がのこのことギルドにやってきた時、傭兵総出で捕らえて収容するため、だ。
例えば……今のように。
ネズミが三匹、ハヤトの周りをちょこちょこと歩き回っている。新しい仲間が来たと思っているのか、それとも新しい食い扶持が来たと思っているのか。きっと後者だろう。
できないことをできるようになる。できることを、もっとできるようになる。
そう思って、頑張ろうと決めたのに。自分はこの真っ暗な地下牢の中でひっそりと息を引き取り、ネズミたちの餌になるのだろうか。
そうして頭の中まで真っ暗になりつつあった頃、ランタンを持った人物が一人、ハヤトの下にやってきた。
「キミがハヤト・エンドウくんだね。」
柔らかく、けれど奥底に硬い芯と揺るぎない自信を感じさせる声。
「手酷い扱いをしてすまなかった。異界からの来訪者くん。」
そこには優しく微笑む、一人の男がいた。
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