08:加護の力と召使いの少女

 訓練場を揺るがす、轟音。その音を発したのは、ホノカだった。


「やああああッ!!」


 ホノカは地面をひと蹴りしただけで急速に加速すると、クリオに真っ直ぐ飛翔する。頭上から真っ直ぐ振り下ろす速度に本人の速度が上乗りし、鉄の弾丸となってクリオに迫る。

 クリオは右足を後ろに引いて迎え撃つ。鎧を着こんだ上体はそのままに、僅かに腰を落として半歩踏み込み、自身の剣の先のホノカの斬撃に当ててはじき返した。

 ホノカは弾かれた勢いのままクリオの背後に降り立つと、再び地面を蹴って加速し、飛翔する。今度は振り下ろした剣を左に構えて横薙ぎを繰り出すが、クリオは鎧の重量をまったく感じさせない速度で身を翻すと、一歩下がりながらホノカの剣を上へ弾いて凌いだ。

 ホノカはその場に着地すると、袈裟切り、回転切り、上段突き、下段突きの四連撃を目にも止まらぬ速さで繰り出すが、クリオは踏み込みと弾きを駆使しながら的確に捌いていく。

 ホノカの瞳がさらに強い緑色に輝き、二人の周囲に強烈な風が巻き起こる。


「うわあっ?!」


 ハヤトが顔を覆っている間にも、瞼の向こうでは鉄と鉄が衝突する甲高い音が幾度も鳴り響き、風が舞い、砂埃が立ち上がる。

 剣と剣がぶつかる度に火花が散り、砂塵を燃やし、二人を照らす。

 ハヤトはただ、遠くで見ていた。

 見ていることしか、できなかった。

 一分か、それ以上か。正確なところは定かではないが、二人の衝突はしばらく続いた。

 ただ、やがてホノカは肩で息をするようになり、攻撃にはキレが見えなくなっている。

 一方でクリオは体力的には幾分か余裕がありそうだが、かと言って風を纏うホノカを前にしては決定打に欠けている様子だった。

 少しの間、離れて睨み合う状態が続いた後、ホノカの瞳が緑色に煌めく。

 彼女の周囲に風と砂埃が混ざった渦が巻き起きると、ホノカの全身を這うように包み込み、右肩越しに構えた鉄剣を見えざる風が迸る。


「なるほど……。」


 ホノカの様子を見たクリオは頬に汗を垂らす。しかしその凛々しい双眸はしっかりと彼女の姿を見据えまま、剣を右腰まで引き、右足を後ろに下げた。真正面から迎撃するつもりのようだ。


「風神__一閃ッ!」


 見えざる風の化身が大地を駆け、飛翔する。その速さは今までで最も鋭い。


「女神ウルンよ、ご照覧あれ!」


 クリオの瞳が茶色に煌めく。すると両足が足首まで土に包まれ、体と大地が一体となった。

 右肩から勢いよく振り下ろされる剣にホノカの速度が合わさり、鉄の風と化す。クリオはそれを右腰からの大振りで迎え撃つ。

 二人の力が。二人の剣が。交錯する。

 ホノカの振り下ろしと、クリオの大振りが衝突する。その瞬間。

 ホノカの剣が粉々に砕け散った。

 剣の衝突によって相殺されるはずだった勢いに振り回される格好で体勢を崩したホノカは、飛び散る鉄の破片を目で追いながら地面に落ち、それでもまだ勢いを殺せずに転がってしまう。クリオも足首を固めていた土が崩れた後、苦悶の表情で右膝を地につけた。


「ホノカッ!!」


 ハヤトが駆け寄ると、仰向けに倒れていたホノカはのっそりと顔を上げる。


「へへ。やっほー……。」


 口を緩ませてはいるが、頬と膝には土塊と血が混ざった物が付着していて、右肩から先が不自然な形に捻じれている。地面に落ちた時の姿勢がかなり悪かったに違いない。

 ハヤトがホノカの上体をゆっくりと抱き上げると、ホノカは歯を見せるように笑う。


「へへへっ、すごかったでしょー。いっぱい、練習したんだよ……。」


 苦しみに歪む顔を無理に明るくしようとしているのが、むしろ痛々しい。


「く、クリオさん!」

「え、ええ……。」


 ハヤトがつい助けを求めてしまい、そして声では答えてくれたクリオもまた力を使い果たしてしまったらしく、重い体になんとか力を込めて動かそうとしている姿は、もはや満身創痍といった状態だ。

 助けてくれる人はいない。全てを誰かが助けてくれるはずの、この城にいるというのに。

 誰でもいい。誰でもいいから、この幼馴染を助けてほしい。


「ハヤト様!」


 そんな胸の内の叫びが、届いた気がした。


「ほ、ホノカの肩が……!」


 咄嗟にハヤトが振り向くと、そこにいたのは大きな瞳の召使いだった。

 偶然近くにいたのだろうか。いや、今は理由なんてどうでもいい。

 大きな瞳の召使いはホノカの肩の様子を見ると、すぐに笑顔で答える。


「大丈夫、肩が外れているだけです。私が戻しますから、ハヤト様はホノカ様の体を支えてあげてください。」


 彼女の指示に従って、ハヤトはホノカの体を自分の体に乗せてしっかりと支える。その間に召使いはホノカの腕をしっかりと握ると、正しい向きに直してから声をかけた。


「ハヤト様だけ見ててくださいね。」

「う……は、ハヤト……!」


 ホノカが潤んだ瞳でハヤトを見上げた瞬間、ホノカの顔が十七年間で一度も見たことのないくらいに苦痛で歪んだ。


「はいっ!もう大丈夫!」


 だが大きな瞳の召使いの底抜けた明るい声を聞いた途端、長いまつ毛についた大粒の涙とは対照的に、何事もなかったようなあっけらかんとした表情に戻った。

 右手もスムーズに握ったり開いたりしていて、痛みが残るわけではなさそうだ。


「ありがとうございます。」

「いえいえ。ハヤト様とホノカ様のお役に立てて光栄です!」


 満面の笑みを浮かべている大きな瞳の召使いは、次にクリオの下に駆け寄ると、身動きが取れない彼の代わりに鎧の金具を外しはじめた。

 ハヤトとホノカは体に寄せ合ったまま、テキパキと行動する召使いの背中を眺めている。

 ホノカが体重をハヤトの胸に預ける。丈長の衣の荒い生地を挟んで、ホノカの火照った体の熱と背中の湿り気がじんわりと伝わってくる。


「……すごいね、ホノカは。」

「カミサマからいっぱいインチキパワー貰ったからね。」


 そうなのだ。この文武両道才色兼備の、でもあどけない顔でリラックスしているこの幼馴染は、武具の加護と属性の加護を全て受け取っている。

 対して、自分は「幸運の加護」だけ。

 その差が、「あれ」だった。


「……ハヤト?」


 ホノカが見上げた幼馴染は、どこかを見つめていた。

 自分と同じその黒い瞳がどこを見つめているのか。じっと覗き込んでも、見慣れたその瞳が映すモノは、見えてこない。

 しかし、自分がどうしたいかは、自分の胸の中にある。


「一緒にもっと頑張りたいよ。」


 ホノカの手が、ハヤトの頬に触れる。

 幼馴染の温かい頬。見慣れた幼馴染の、慣れない体温。

 幼馴染の柔らかい手のひら。見慣れた幼馴染の、慣れない体温。

 ハヤトの手が、ホノカの手を包み込む。


「……もちろん。」


 ハヤトの瞳には、微笑む幼馴染が映っている。



 ハヤトはホノカを背負い、ホノカの部屋に来た。

 部屋の前にはホノカを担当しているらしい召使いが二人いて、ハヤトの背中の上でぐったりとしているホノカを見つけると険しい表情で駆け寄ってきた。


「ここからは私たちにお任せください。」

「えっ。いや、このままベッドまで__」

「いいえ。結構です。」


 当然のようにベッドに寝かせるところまでするつもりでいたハヤトだったが、言葉は途中で遮られてしまう。

 完全に前後を塞がれてしまっていて、言葉も聞いてもらえないとなれば、もはや二人に従わざるをえない。ハヤトは足からゆっくりと下ろすと、二人の召使いはすかさずホノカを両側から抱えた。


「ホノカをお願いします。」

「当然です。」


 召使いたちはホノカを抱えながら、部屋の中に入っていく。

 全てを誰かが助けてくれるはずの、この城にいるのだ。あの人たちに任せれば大丈夫。そのはずだ。

 外れた肩を治すことさえできなかった、自分ではなく。


「ハヤト様っ。」

「わっ?!」


 突然、背後から声がかかる。驚きと共に振り返れば、大きな瞳の召使いがころころと笑っていた。


「もう。そんなに驚かれなくってもよろしいのに。」

「す、すいません。」


 愛らしい顔で愛らしく微笑む大きな瞳の召使いは、その大きな茶色の瞳でハヤトの黒い瞳をじっと見つめている。


「私に、お助けして差し上げられることはありますか。」


 そう言って少女は小さな手で、ハヤトの目尻から涙を拭った。

 本人も気が付かないでいた、小さな涙を。


「……俺たち。ずっと一緒だったんだ。」



 俺たちは、ずっと一緒だった。

 同じ病院の、同じ分娩室で産まれた。保育器が隣同士で、母親の病室も隣。そして、実家も隣。

 だから俺たちは、ずっと一緒にいた。

 保育園に上がる前は、両親たちに連れられて公園に行ったり、ちょっと遠くまで旅行に行ったりした。それから互いの家で二人の誕生パーティーを二回やった。

 保育園に上がってからも同じ組で、母親たちが色違いの手提げ袋を用意してくれて。それだから保育士の先生からは、双子のきょうだいのように見えていたと思う。

 小学校も、もちろん同じ。クラスも六年間ずっと同じ。「遠藤」と「田貫」だから、さすがに出席番号では隣り合わなかったけれど、運動会やハロウィーンといったイベント事では一緒に取り組むことがめっぽう多かったし、ずっと同じ図書委員だった。

 中学校、言わずもがな。クラスも三年間同じ。この頃は委員会も同じ美化委員をやっていて、部活も同じテニス部に入っていた。思えばホノカがテニスを始めたきっかけは、俺がテニス部に興味を持ったからだった気がする。

 高校、以下同文。クラスも同。この頃には委員会だとか趣味だとかが、かなりバラバラになってきた。でも毎日一緒に登下校しているのは変わらないし、互いの家で誕生パーティーを二回やるのだって、産まれてから今までずっと続いている。

 俺たちは、ずっと一緒だった。

 でも最初から違うことだって、たくさんあった。

 産まれたのはホノカが先で、翌日に俺が産まれた。歯が生えたのは俺の方が早い。歩き始めたのはホノカが一週間くらい早い。言葉を話し始めたのは俺の方が少し早かったらしい。おねしょをしなくなったのはホノカが先。

 それから、勉強はずっとホノカの方が上だ。テストで九十点未満を取ったことは一度もないはずで、対して俺は八十点が取れれば上出来なくらいだ。

 運動は中学まではほぼ互角だった。一緒にテニス部で練習していたからだろう。でも俺は高校で部活に入らず、ゲームやアニメ、マンガに没頭するようになってからは、運動もあっという間にホノカの方が得意になった。

 それからホノカの不運体質は産まれつきで、俺の幸運体質も産まれつきだ。

 それでも俺たちは、ずっと一緒にいた。

 ずっと、一緒にいた。

 そうあるべきだと、どこかで思っていた。

 そうでなきゃいけないと、どこかで求めていた。


「でも、違う……俺は。俺は……。」


 頭の出来も。運動神経も。加護の力も。なにもかも、ホノカが上。

 文武両道で才色兼備な、幼馴染。

 ……では、自分は?

 ……自分の価値とは、何だ?

 頭も体も平凡で、友達付き合いも平凡。せいぜい幸運体質なことくらい。

 それがホノカにとっての「幼馴染」という存在の価値。

 それが、自分の価値なんだ。



 そのことに、ハヤトは気が付いてしまった。

 いや、とっくに気が付いていて、しかし「幼馴染」に目を向けていることを免罪符に目を反らしていた、紛れもない事実だった。


「俺には、ホノカが必要で。でも、ホノカには……。」


 ぼたり、ぼたりと床に落ちる雫。

 大きな瞳の召使いはハヤトの手を引くと、ハヤトの部屋に入る。

 ここなら、誰の目にもつかない。


「情け、ないなあ、て……へへ……。」


 ハヤトの体から力が抜けていく。倒れ込みかけたハヤトの体を召使いの少女は必死に支えようとするが、しかしハヤトの肩辺りしかない身長と少女の膂力では支えきれるはずもなく、ベッドの上に自分ごと倒れ込むので精一杯だった。

 召使いの少女は自分の貧相な胸にのしかかったハヤトの頭を、両腕で優しく包み込んだ。


「ハヤト様はおバカさんです。」

「ん……。」


 左腕で包み込んだまま、右手で黒い髪をそっと撫でる。


「ホノカ様と一緒にいたいから、騎士隊長の訓練に食らいついて、倒れてしまうくらい無理をなさって。それでもまた朝から訓練をなさって、また無理をなさる。とんでもないおバカさんです。」


 優しい声で耳元に囁きかける少女の細い腰に、ハヤトの腕が絡みつく。


「でもそういう、とっても一途で頑張り屋さんなハヤト様は、とっても素敵です。」


 胸の上ですすり泣くハヤトの頭を、召使いの少女は両腕で、ぎゅー、と力いっぱいに抱きしめた。


「そういうハヤト様のこと、私は好きですよ。」


 ぴくり、とハヤトの肩が動く。

 召使いの少女がハヤトの頭を解放すると、ハヤトはゆっくりと頭を上げた。


「……俺は……。」


 しかしそこにはまだ、虚ろなままの黒い瞳がある。

 すると召使いの少女は二度、三度とゆっくり呼吸する。そして大きな茶色の瞳を宝石のようにきらきらと輝かせながら自身の胸元のボタンに手をかけると一つ、また一つと外していく。そうして緩んだドレスの胸元をあられもなくはだけさせた。


「その曇ったお心は、どうか私の体でお慰めください。」


 虚ろな瞳の行く先が自分の貧相な胸になったのを確認すると、召使いの少女は大きな瞳をさらに愛らしく潤ませた。


「私が全て引き受けてさしあげますから。」


 少女の艶やかに赤らんだ唇が、緩やかに弧を描く。

 少女の小さな体は、ずっと大きな体で覆われていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る