04:晩餐会

 扉の向こう側から聞こえる声に合わせ、開かれる扉。

 案内してくれた中年の女からも目配せを受け、ハヤトは一歩、また一歩と緩やかな足取りで部屋に入った。

 中は他の部屋とはまったく異なる空間が広がっていた。夜の帳は大きな暖炉や松明などの温かみのある照明によって和らげられている。中央には巨大な長机が鎮座し、上には香りが入り口まで漂ってくる肉や魚、果物といった彩り豊かな料理の数々と、酒が入っているらしき小樽が幾山も積みあがっている。

 そして部屋に集う、立派な仕立ての服を纏い、威厳のある髭を蓄えた男たちと年齢それぞれの男女が、銀色の杯を片手にたった一人へと目線を向けている。

 ハヤトは強張った口元と喉を力ずくで動かすと、肺に息を吸った。


「み、皆様お初にお目にかかります!ハヤト・エンドウです!よろしくお願いします!」


 どこからか穏やかな笑い声と拍手が起き、他の男たちや男女も拍手をする。

 こそばゆいやら、恥ずかしいやら。なんとも言えない感覚に胸をいっぱいにしていたハヤトは、こちらに近づいてくる一人の男を見つけて背筋を伸ばした。


「いやはや素晴らしい声量だった。我が私兵軍に来てほしいくらいだ。」


 ハヤトの体が隠れてしまうほど大柄で肩幅が広く、勇ましさと厳格さを感じる眉と目元、角張った顎から喉仏の下まで伸びた髭が特徴的な、幅広の剣を腰に帯びる男。


「私は名誉あるアプリー公爵。名をバルロン・フラ・アプリーという。」


 アプリー公爵家。クリオから受け取った巻物によれば、王家であるローゼイ家の分家にして、優秀な騎士や指揮官を多数輩出してきた武門の一族。歴史的な実績と王家からの信頼を表すように、「名誉のアプリー」と称えられ、フロリアーレ王国の「軍務卿」を代々務めている。

 戦争になれば、この人物の指揮に従って戦うことになる。仲良くならなければいけない要人の一人、というわけだ。


「は、ハヤト・エンドウです。よろしくお願いします。」

「宴席なのだからそのようにかしこまる必要はない!もっと肩の力を抜け!」


 そう言いながらハヤトの肩を掴む手はハヤトのそれより一回り大きく、力強い。武骨な剣がよく似合う手だ。若い頃は武勇で名を馳せていたに違いない。

 ただその手の主の後ろから二人の若い女が顔を覗かせている。


「お父様、わたくしたちも紹介してくださりませんと。後ろがつかえております。」

「お話しがしたいのは皆同じなのですから、後ほどお酒と一緒にゆっくりと。」

「おおと、それもそうだな。妻のアルリスティアと、娘のアストリエスだ。」


 アプリー公爵が大きな手を背中に添えて「妻」と「娘」として紹介した、この二人の女。正直なところ、目の前で紹介されてもどちらが妻でどちらが娘なのか、ハヤトはすぐには判別できなかった。

 なぜならば、見た目からはどちらも同年代……二十歳くらいにしか見えないのだから。


「え、えと……。奥さんと、娘さん?」

「あらあら……ふふふ。」

「ですってよ、お母様。」


 どうやら逆だったらしい。


わたくしが娘のアストリエス・フラ・アプリーです。異なる世界から私たちの世界までお越しいただき光栄ですわ、ハヤトさん。」


 両手をひらりと広げてたおやかに会釈したのは、とても華やかで愛らしい顔立ちをした、けれどその灰色の瞳の奥に強い熱と固い意思を感じさせる女。


わたしは妻のアルリスティア・オーラ・フィグマリーグです。夫共々、どうぞお見知りおきください。」


 続いてゆったりと会釈したのが、凛とした表情には穏やかさが、淡い青色の瞳には確かな気品が宿る女。上品な雰囲気こそ似ているものの、見れば見るほど妻なのか娘なのかわからない二人だ。


「す、すみません。間違えちゃって。」


 ただ妻を娘や姉妹と間違えるならまだしも、娘を妻と間違えることが、身分は関係なく不躾なことだということはわかる。


「いえいえ。実際のところ、わたくしたちはあまり歳が変わりませんから。」


 頭上に「?」が浮かんでいるのが見えたのだろう。アプリー公爵が二人の後ろから声をかける。


「アルリスティアは私の後妻なのだ。六年前にこの子の母親は死んでしまったが、フィグマリーグ侯爵が娘のアルリスティアを後妻としてよこしてくれてな。」


 アプリー公爵が背後に目線を向けると、一人で銀色の杯を傾けている細身の男がいた。


「おい!バルグリード卿!貴公の話をしているのだぞ!こちらへ来ないか!」

「……いちいち騒ぐな、バルロン卿。」


 細い眉をこれでもかと寄せ、あからさまに低くした声色をこちらに……正確にはアプリー公爵ただ一人に……向ける細身の男はゆっくりと立ち上がり、杯だけを残してこちらへ向かっている。


「あの男、顔こそ常に不機嫌そのものだが、心根は良いヤツだ。」

「我が父ながら気難しい方ですが、ぜひ辛抱強くお話しをして差し上げてください。」

「わかりました。」


 三人が去っていったタイミングでアプリー公爵に呼び寄せられた細身の男が、不機嫌そうな眉の形のままでハヤトの前に立つ。男は鷹のように鋭い眼光でハヤトの頭の上からつま先までの至る所を眺めたかと思えば、固く閉ざされていた口を少しだけ開ける。


「戦えるようにはとても見えないがな。」


 じ、とハヤトの目を見つめてくる。


「……だが、賢い男の眼差しだ。」

「え……。」


 一瞬だけ、口の端に笑みが浮かんだように見えた。


「バルロン卿の話の通り、私こそが勲功賜りしフィグマリーグ侯爵。バルグリード・オーラ・フィグマリーグだ。ベイグルフ国王陛下より内務卿の任を賜っているため、君と直接話す機会は少ないだろうが。」


 フィグマリーグ侯爵家。元々は王国の家臣ではなかったが、昔の戦争で王国を支援した功績から取り立てられた一族なのだとか。現在は王家直轄領やアプリー公爵領に次ぐ広い領地を持つ。「勲功のフィグマリーグ」と称えられ、フロリアーレ王国の「内務卿」を代々務めている。

 王国の税制や開発事業を統括する、王国の金庫番。交流を深めるべき人物であることは明らかだ。


「ハヤト・エンドウです。よろしくお願いします。」


 彼の目は変わらず鋭いが、ただ、それだけではないような気がする。


「あの男は王国の軍務卿。歴戦の指揮官であるアレは、戦術や軍事については王国随一であるに違いない。それらについてはバルロン卿に教えを乞うといい。だがもし、つるぎではなく筆によって王家と王国の繁栄に寄与したいというならば、私を頼るといい。君には見込みがある。」


 少し意外だった。

 見た目からは気に入らない人間を他の貴族の管轄に追いやったり、あるいは自分の管理下に置いてイジメたりする陰湿な性格のように思える。

 しかしこうして彼の言葉を聞けば、知的さと公正さが言葉の選び方からして窺うことができ、こうして彼の声を聞けば、穏やかさと品性の高さが一定で滑らかな話し調子から感じることができる。

 重用される者とはかくあるべし。それを自らの振る舞いによって示しているかのようだ。

 ただ一つ気になったのが、他の出席者はアプリー公爵のように配偶者や子どもを連れているのに、彼だけは一人でここにいることだった。


「あの。ご家族は?」


 ハヤトがそう尋ねると、フィグマリーグ侯爵は辺りを見渡してから、ある一人の夫人を目線で指し示した。


「もう一人、娘が来ている。モンカソー男爵夫人だ。」

「モンカソー男爵って、クリオさん?」


 まさか、彼が結婚していたとは!

 だが貴族なのだから、小さな頃から許嫁や婚約者がいても不思議ではない。一族の看板を負って立ち、子孫繁栄に力を尽くすために早く結婚するということもあるだろう。

 フィグマリーグ侯爵が指し示した先には鎧ではなく、他の貴族の男が着ているような丈の長い服を着ていて、けれども左腰には短めの剣を携えているクリオがいた。その隣には会話に混ざりつつ笑みも絶やさない、可憐な刺繍が特徴的なドレスを着る女の姿もある。


「妻は体調が優れないため欠席している。一番下の娘は、そもそもこういう席を好かぬものでな。……いつか、紹介しよう。」

「あっ、はい!お願いします。」


 紹介する機会を作ってくれる、ということだろうか。前向きに、そのように考えたいものだと思いながら、ハヤトはフィグマリーグ侯爵の濃い青色の瞳を見つめる。


「それから。どれだけ親しかろうと、爵位や役職を賜っている者に対しては爵位名か役職名で呼びかけるように。特に目下から目上へ呼びかける時にはな。」


 怒られてしまった。先ほど「クリオさん」と呼んでしまったのを聴き逃してもらえなかったらしい。


「ありがとうございます。フィグマリーグ侯爵。」

「……それでいい。」


 それだけ言って、フィグマリーグ侯爵は杯を置いた席に戻っていった。

 クリオから受け取った巻物の内容を思い返せば、アプリー公爵とフィグマリーグ侯爵の他にもう一人、王宮内で重要な役職を担う人物が出席しているらしい。年齢はフィグマリーグ侯爵よりも一回り若い三十代後半で、優しそうな目元をした男とのことだが。

 しかしその前に、喉を潤したい。ここからも立ちずくめ話ずくめとなれば、水分補給を一度行うべきだろう。

 ちょうどハヤトのすぐ近くに、新しい空の杯の一つ一つに紫色の液体をいっぱいに注いでいる細目の男がいた。


「あの。飲み物をもらえませんか。」

「ああ、手が空いていましたか。こちらの葡萄酒ブルネーをどうぞ。」


 男は細目をさらに細くしながら、注いだばかりの酒の杯を渡してくる。ただハヤトは十七歳。日本であれば未成年飲酒で補導されてしまう。ここは異世界なので補導されないが、いきなりアルコールを口にするのは抵抗がある。


「えっと、水とかないですか。お酒は飲んだことがないんです。」

「そうですか……。少し待っていてください。」


 何か思い当たるところがあったらしく、男は宴会が行われている部屋の奥にある小さな扉から出て、すぐに小さな樽を抱えて戻ってきた。


「これは料理の味付けに使う、葡萄を絞った汁です。これで葡萄酒を薄めれば召し上がれるかと思いますが。試してみますか。」

「は、はい!」


 細目の男は空いている杯に酒を三分の一と、絞り汁を三分の二だけ入れて軽く揺すってくれる。


「さあ、どうぞ。」


 初めての飲酒。しかもまだ十七歳で。しかしわざわざ用意してくれた宴会で、飲み物一つ口にしないというのは、爵位名で呼ばないことや娘を妻と間違える以上に失礼だということくらい、どれだけ作法に疎くても理解できる。


「いただきます。」


 乾いた喉を鳴らし、銀色に鈍く輝く杯を口元へ倒す。

 紫色をした葡萄の汁が、ハヤトの唇を越えて舌に乗り、香りが鼻を抜けていく。


「美味しい……けど、渋い?」

「はは。絞り汁の渋みがそのまま出てしまいましたかね。」

「でも意外と美味しいです。まあまあ好きかも。」

「おや、そうですか。では私も。」


 葡萄酒と絞り汁の混ぜ物の味をなんとなく楽しんでいる気分になりながら、ふと気がついた。

 細目の男が迷うことなく参加者用の酒樽から酒を注いだこと。服の袖の手のひら側が、口か杯を拭ったのか、紫色の染みがついていること。彼の言葉遣い。品の良い口調や声色。

 彼の雰囲気はどことなく、クリオに似ていた。

 そしてハヤトは思い出した。あの若いクリオがモンカソー男爵で、近衛騎士隊長なのだ。見た目で判断してはいけない。見た目では、判断できない。


「……あの。ハヤト・エンドウと、申します。」

「私は高き精神のブローソム公爵。アルルータ・フラ・ブローソムと申します。どうぞよしなに。」


 ハヤトの顔は、一瞬で凍りついた。

 細目の男の後ろではアプリー公爵とフィグマリーグ侯爵が並んで酒を仰いでいて、こちらへ目線を送っている。離れたところから一部始終を見ていたのだろう。

 まあ、当のブローソム公爵は細い目をさらに細めて、柔らかく笑っているが。


「ハヤトさんは何も気になさらないでください。陛下の客人が快適に過ごせるように計らうこともまた、宮内卿の務めなのですから。」


 ブローソム公爵家。フィグマリーグ侯爵家が王国に臣従したのと同じ時期に、ローゼイ家の分家となった一族で、領地を持っていない数少ない貴族。召使いの業務を統括しつつ、自らも王の政務の補佐や生活の補助を行う役職「宮内卿」を代々務める彼らは、「精神のブローソム」と称えられている。

 王族を知り尽くしているこの人物と親しくなれば、王宮内での立ち回りがやりやすくなるだろう。


「今日到着したとのことでしたが、不自由はありませんか。」


 ハヤトは来たばかりではあるが、王宮で不自由を感じたことはなかった。


「いえ、すごく快適です。ベッドも大きくて。」

「お気に召していただけたようで光栄です。」


 ブローソム公爵は葡萄酒と搾り汁の混ぜ物を少し飲み下し、柔らかく微笑む。


「それにしても、ハヤトさんの故郷では酒は飲まないのでしょうか。」

「いや、お酒は二十歳以上じゃないと飲んじゃいけないんです。」

「ではそれまでは何を飲むのでしょう。」

「普通に水を飲みます。」

「水、ですか……。」


 水道水を飲料としてそのまま飲めるのは日本だけ、という話はテレビで見たことがある。

 中世ヨーロッパ風のこの世界では、井戸や川から汲んでくるもので、そういった水が衛生的ではないとすれば、ブローソム公爵の形の整った眉が歪むのも無理はない。


「俺の故郷は水がすごく綺麗なところで、川から汲んだまま飲んでも平気なくらいなんです。」

「西の山を流れる沢は、見た目にも綺麗だとされています。きっとそこでなら、同じように口にすることもできるでしょうね。」


 日本と同じように飲める水があるかもしれない。

 たったそれだけのことだが、ハヤトの胸には微かに熱が浮かんできた。


「わかりました。いつか行ってみます。」

「その時は私も誘ってくださいね。」

「え、ええー……?」


 公爵は貴族のトップに位置する爵位。それを継承する人を「一緒に川の水を飲みましょう。」と誘うなど、一般人の自分にできようものか。


「ふふ。大丈夫、冗談ですよ。」

「あ、あはは。」


 ずっとにこやかに笑っていたブローソム公爵は、アプリー公爵とフィグマリーグ侯爵に呼びかけられると、「失礼しますね。」と軽く会釈してから二人のところへ向かっていった。

 アプリー公爵、フィグマリーグ侯爵、ブローソム公爵。性格は良いが、どこか癖のある三人の家臣。フロリアーレ王国の内外に大きな影響力を持っている彼ら三つの一族は、「御三家」と呼ばれているらしい。


「そろそろ殿下らが参られる頃合いか、アルルータ。」

「ええ。その後は『あの方』が見えます。」

「くれぐれも機嫌を損ねるようなことをしてくれるなよ、バルロン。」

「わぁかってる。バルグリードもカネ勘定で毎日頭を抱えていたからなあ。」

「バルロン卿こそ、今後は指南役としての務めがありますでしょう。」

「陛下直々に任ぜられてしまっては逃れようもあるまい。ニノーナに居ついたごろつき共の相手をしなければならんのだがな……。」


 腹の虫が鳴りそうになったハヤトが長机に並ぶ大皿から料理を取っている近くで、その「御三家」は杯の酒を転がしながら、あまり見ていたくない表情で話している。


「ハヤトくんはもうロイ殿下とルーク殿下にお会いになりましたか。」

「あ、はい。この世界に来てすぐに。」


 魚の焼き料理を頬張りながらブローソム公爵に答えると、アプリー公爵とフィグマリーグ侯爵が二人で密かに話を続ける。


「では彼で問題ないな。」

「ああ。彼ならやってくれる。」


 そうして御三家が公然の密談をしている間にも、ハヤトの周りには他家の貴族や重鎮が出入りしていて、ハヤトと会話をするタイミングを窺っている。


「ハヤトさん。お料理はいかがかしら。」

「あっ、パトリッシア宰相。すごく美味しいです!」

「ふふふ。体調も優れているようでなによりです。」


 フロリアーレ王国の宰相。クリオから受け取った巻物には、平民出身ながら王立学園を首席で卒業したことなど、この人物の輝かしい経歴が書かれていた。しかしやはり、近所の人の良いおばさんにしか見えない。


「アルルータ、今日は働きづめだったでしょう。少し休んだらどう?」

「問題ないよ、フィーナ。キミこそ疲れていないかい。」

「ええ。昼間は座り仕事だったから、ちょうどいい運動になっているわ。」


 賑やかな宴席の真ん中でブローソム公爵と堂々といちゃついているのは、ブローソム公爵夫人のフィーナ・ユニー。

 農民出身でありながら、地元の名士の支援を受けてオグマンド王立学園に入学。見事に才能を開花させ、農民出身者初の首席卒業を成し遂げた人物だ。ブローソム公爵と結婚した今は、彼の職務をサポートしている。平民出身のパトリッシア宰相と並んで「王国の至宝」と呼ばれているらしい。


「どうやらもう御三家の方々や宰相閣下とも親睦を深められたみたいですね。」

「くり……も、モンカソー男爵。ごきげんよう。」

「おや。彼に礼節を教えてしまったのはどなたですかな。」


 モンカソー男爵家。ローゼイ家がフロリアーレ王国の王家になる以前から、ローゼイ家と共に発展してきた一族。「王の盾」と称されるのはそういった歴史と、彼らが近衛騎士隊長を歴任してきたことが由来になっているのだろう。


「紹介します。私の妻のフィルリスティアです。」

「フィルリスティア・オーラ・フィグマリーグです。お会いできて光栄ですわ、異世界からの来訪者さん。」

「はじめてまして。ハヤト・エンドウです。」


 彼女はフィグマリーグ侯爵が目線で指し示していた人物。モンカソー男爵夫人で、フィグマリーグ侯爵の次女である。アプリー公爵夫人のアルリスティアは長女。それから宴席嫌いの三女の三人姉妹だ。

 長女も次女も美人なのだから、宴会嫌いの三女は「深窓の令嬢」といった雰囲気かもしれない。ぜひ会ってみたいものだと、ハヤトは木のフォークで魚の骨を取り除きながら、異世界のまだ見ぬ貴族令嬢に思いを巡らせていた。

 その時。大きめの両開き扉の周辺が騒がしくなる。「気配」を感じ取ったらしい貴族たちが一斉に両開き扉へと向き直り、腹を満たしていたハヤトも立ち上がって服を整えた。


「ロイ殿下とルーク殿下のご到着でございます。」


 木材と金具が軋む心地の悪い音が宴会場に響き渡り、二人の美男子が姿を現した。

 茶色の髪を逆さに撫でつけたロイと、茶色の髪を梳いて左右に流しているルークは、貴族たちに爽やかな表情を見せながら、一人ひとりと目線を交わす。そのようにしていればいずれは、ハヤトの好奇心と男心に彩られた黒い瞳も見つかるだろう。


「ハヤト!」


 ロイのハツラツな声が、彼らがやってきた音よりも鼓膜を打つ。


「馬車の旅の疲れはとれたか?晩餐会は楽しめているか?我が父の王宮の料理は口に合ったか?父の家臣たちは大人しくしているか?」

「わ、わ!大丈夫!よくしてもらってますから!」

「はっはっは!なによりなにより!」


 本人は上機嫌で笑っているが、肩を叩かれる度にハヤトの顎と右肩が外れそうになる。


「兄上、ハヤトさんが痛がっています。」

「おお。悪いなハヤト!」


 最後の一撃が、最も強烈だった。


「あの。ロイ殿下とルーク殿下も、長旅お疲れ様でした。」


 ただ、このように近い距離感で接してくれている二人はフロリアーレ王国の王子たち。一般人のハヤトにとっては、異世界の王国だとしても雲の上の人。歳は近そうだが、親しみ全開でコミュニケーションしていいはずがない。

 ところがロイとルークは、うなじが見えそうなほど下げたハヤトの頭をしばらく見下ろして、声色柔らかに笑う。


「ハヤトさんは我が国の都合のためだけに、この世界に来ていただいたのです。私たちに対してそのように畏まる必要はありません。」

「そもそも歳だってそこまで変わらんだろう。気軽に『ロイ』や『ルーク』と呼ぶといい!」

「え、えと……。」


 ちらりと横を見れば、アプリー公爵やブローソム公爵はにこやかにしているし、フィグマリーグ侯爵も鷹のように鋭い眼光を閉ざして頷いている。


「あ、ありがとうございます。……ロイ、ルーク。」

「それでいい!はっはっは!」

「まあ私としては、いずれはその丁寧な言葉遣いも和らげてほしいものですが。」


 王族らしく懐が深いのか、それともこの兄弟が王子にしては友好的なのか。ハヤトと話した後も他の貴族たちにも声をかけているところからすると、きっと両方なのだろう。

 社交性は無いよりも有る方が良いとはいえ、ここまで親しみやすいと王子であることすら忘れてしまいそうだ。


「アプリー公爵とはもう話したか、ハヤト。」


 大柄なアプリー公爵と並んでも体格に遜色のないロイは、公爵の肩に手を置いている。そのようなことができるのも、彼が王子だからだろう。


「はい。アプリー公爵から声をかけていただきました。」

「ハヤトの挨拶を殿下にも聞いていただきたかった。立派なものでしたよ!」

「そうかそうか!」


 朗らかに笑うロイとアプリー公爵は、アプリー公爵の娘であるアストリエスを手招きする。


「遅かれ早かれ知ることになるだろうから、先に教えておこう。私の婚約者のアストリエスだ。」

「ふふ、ロイったら。まだ公表していないのだから、そんなに焦らなくてもいいでしょう。」


 婚約者をそんな簡単に紹介してよいものだろうかと、ハヤトの頭に浮かぶ疑問。まあ、本人がいいのなら、それでいいのかもしれない。


「婚約者はもう一人いるのだが……。やはり来ていないようだな。」

「あの子が自室から出たがらないのはロイもよく知っているでしょう。」


 屋敷から出たがらない……王子と婚約できるくらい格の高い家……と聞けば、ハヤトにも心当たりがあった。


「もしかして、フィグマリーグ侯爵の娘さんですか。」


 ハヤトが訊ねると、ロイは意外そうに目を広げる。


「フィグマリーグ侯爵から聞いていたか。カルリスティアというのだが、いかんせん引きこもりがちでなぁ。」

「また今度、一緒に様子を見に行きましょう。」


 ロイもアストリエスも、もう一人の婚約者については思う所があるらしい。形の良い眉を寄せ、揃って互いを見つめている。


「そうだな。その時はハヤトもぜひ来てくれ。私から紹介しよう。」

「わ、わかりました。」


 勝手に膨らませていた深窓の令嬢的なイメージが、根本から崩れ消える音が聞こえてくる。フィグマリーグ侯爵の三女……実はかなり「陰」な性格なのではなかろうか。

 まあ、片方がそのような人物だとしても、婚約者が二人もいるのは王子様特権というやつだろうか。男としては羨ましい限りだ。


「ルークにも婚約者が?」


 話題の延長的にロイに尋ねると、彼は少し離れたところでフィグマリーグ侯爵やクリオと話しているルークを見やる。


「いや、いないはずだ。リエスは何か知らないか。」

わたくしも聞いたことがないわ。ルークくんに限って、奥手というわけではないと思うけれど。」

「ううむ。兄として何か言ってやるべきだろうか……。」


 ロイとアストリエスは、もう一人の婚約者について話している時と同じように眉を寄せている。どうやら触れるべき話題ではなかったらしい。


「すまないな。兄として、アレの女事情については気を遣っているつもりなのだが。」

「いや、ちょっと気になっただけなので。俺の方こそすいません。」


 二人の王子にも、それぞれ色々な事情があるだろう。王国を継ぐ兄と、そうではない弟という違いも関係しているかもしれない。一般人の自分がどうこうできる物ではないと思いながら、ハヤトは杯に残っていた葡萄酒と搾り汁の混ぜ物を飲み干した。


「……さて、そろそろか。」


 ふとロイが、両開き扉を見る。

 そういえば、とまだホノカの姿を見ていないことを思い出したハヤトも、両開き扉を見つめる。ちょうど、そういうタイミングだった。


「来訪者ホノカ・タヌキ様のご到着でございます。」


 貴族たちが一斉に両開き扉へ向き直る。

 ゆっくりと開かれていく扉の向こうには、見慣れない格好をした見慣れた幼馴染がいた。

 短く切り揃えられた黒髪は艶やかで、ボリュームのある白い布を襷掛けにし、光沢のある薄紅色のドレスを着た彼女が、そこにいた。


「ほら、行ってこい。」

「え……。」


 ロイがハヤトの背をそっと押す。

 ハヤトは理解した。なぜ自分がホノカよりも先にこの宴会で挨拶をしたのか。

 ハヤトは一歩、また一歩と緩やかな足取りで、部屋の入口に立った。


「は、ハヤト……。」


 互いに見慣れた相手のはずだが、ホノカは熱くなった顔を見られまいとハヤトの目線から顔を反らし、ハヤトは耳も赤いことに気が付いていない幼馴染の少女に、微笑みながら手を差し出す。


「一緒に行こう。みんなのこと、紹介するよ。」

「うん。ありがと。」


 ホノカの白い手と、ハヤトの手がそっと重なる。

 思えば、いつもこうしていた気がする。



 夜は深まり、晩餐会も煮詰まってきていた。酔いで増えた出席者たちの口数は、話題の不足と疲れで次第に減っている。

 誰が呼んだかわからない音楽家たちが弦楽器で奏でる愉快な音色に合わせて、輪になった貴族たちが軽やかな足取りで踊る宴会場。そこで最も大きな硝子格子の窓に肘や背中を預けながら、ハヤトとホノカは葡萄酒と搾り汁の混ぜ物をちびちびと口に含んでいる。


「夢、見てるみたい。」


 ホノカは笑い声に包まれる宴会場の中心を眺めながら、ぽつりと呟く。


「でも現実リアルだよ。」

「その変な言い方なんなの。」

「……これのせい。」


 一口仰げば、微かに鼻を突くアルコール臭と渋みの後に、葡萄果汁の甘みがじんわりと口の中に広がっていく。


「なんかアガっちゃうのは、わかるけどね。」


 ホノカは銀に鈍く輝く杯を満たす紫色の液体を二度、三度と転がして、小さな一口目と二口目をゆっくりと嚥下する。


「綺麗なドレス着て、ハヤトに貴族の人たちを紹介してもらって。なんか、お姫様になったみたい。」

「前はしょっちゅう『おひめさまになりたーい』って言ってたよね。」

「ねえそれ、五歳とか六歳くらいの時の話でしょー?」

「えーっ。そんな昔だったっけ。」

「そーだよ。」

「そうかなあ。」


 笑いながら銀色の杯を傾ける二人の赤らんだ頬を、静かに輝く月の明かりが撫でる。


「……怖い?」


 ハヤトは「なにが。」と聞き返そうとして、その言葉は舌に乗る前に喉の奥へ溶けていく。

 威勢のいいことを言うべきか、それとも。

 紫色の液体に映る月から目を上げると、ホノカの真っ黒な瞳はハヤトの目をじっと見つめている。


「そりゃあ怖いよ。」

「ハヤトも……?」


 ホノカの瞼が少しだけ下りる。


「王様は加護のことをすごく気にしてたし、武器と属性の加護は重要みたいだったし。たぶん俺たち……というより、ホノカが召喚されたのは、異世界の知識や技術が欲しいとかじゃなくて、純粋に『戦力』が必要だったんだと思う。」

「つまり……私、戦わないといけないの?」


 宴席の熱に当てられてか、それともアルコールのせいかは定かではなかったが、おそらく羞恥心とは別の理由で赤くなっていたホノカの頬から、一気に熱が退く。


「だから、さ。怖いんだ。」


 ハヤトはそこまで口にして、少しの間黙ってしまった。

 戦争は、怖い。戦うのは、怖い。自分の運命と誰かの運命が金属を境に交錯し、どちらかの命が先に尽きるまでぶつかりあうのが、恐ろしく怖い。

 ただ、胸の中で脈々と蠢く「恐怖」という感情は、本当は自分の身の安全だけを望んでいるわけではないような。自身が置かれている状況と、自分が本当に見つめていたい物に「ズレ」があるような気がしてやまなかった。

 銀色の杯に浮かぶ小さな月が揺する度に歪んで、そして戻る。

 ハヤトはもう一度、杯から目を離した。

 目の前にいるのは、薄桃色のドレスを着た幼馴染。自分と同じ黒い瞳は、変わらずこちらを見つめている。

 戦争は、怖い。戦うのは、怖い。

 その役目を「自分」が背負えないことが、なによりも。


 __だったら、俺はどうする?


 代わりにはなれないのだから、代わりになろうなんて思わなければいいのだ。

 今まで通り一緒にいれば。文武両道才色兼備で、けれどちょっと不運な幼馴染。何もかもが平均的で、けれど人よりも幸運を呼び寄せられる自分が、今まで通り一緒にいれば。


「一緒にいよう。今までみたいに。」


 ハヤトはそう言って、優しく笑いかけた。微かに震える右手を体で隠しながら。

 ホノカの頬が、少し緩む。


「……うん。」


 ホノカの黒い瞳は左手に握られた銀色の杯へ落ち、二度、三度と転がすと、空を見上げるくらいに仰いで一息に飲み干した。


「ねっ、私たちも踊ろっ!」

「え?!いや、踊るって言ったって!」


 ホノカは杯を窓に置き、空いた左手でハヤトの右手を掻っ攫う。


「一緒にいてくれるんでしょ!」


 短く切り揃えられた黒髪は、松明の温かな光に照らされて淡く輝き、静かに輝く月の明かりに照らされたホノカの顔には、満面の笑顔が浮かぶ。

 文武両道才色兼備の幼馴染には、こういう笑顔が一番似合う。


「もちろん!」


 ホノカの白い手を、ハヤトはしっかりと握り返す。

 誰が呼んだかわからない音楽家たちが弦楽器で奏でる愉快な音色に合わせて、輪になった貴族たちが軽やかな足取りで踊る宴会場。

 異世界からやってきた少年と少女は、その真ん中に駆けていった。

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