03:王の城へ
ハヤトとホノカが降り立った大地の名は「ライラク大陸」。その地で最大の版図を有するのが、ベイグルフ王が率いるフロリアーレ王国である。
そして二人を呼び寄せた「帥父」と呼ばれた白衣の男がいた場所は、ライラク大陸で広く信仰されているオライオ教の総本山「ミル=カイロ大修道院」。フロリアーレ王国から隣国まで続く山脈の中腹に築かれたそこから、天蓋付きの立派な馬車に乗って山間の道を西へ二十日行ったところで、移動は終わった。
王国の首都。王都テルナに到着したのである。
だが王都に入ってからも、すぐには降りられなかった。石壁の門をくぐると、にぎやかな人々の営みを窓越しに聞き、さらに進むと閑静だが豪華な邸宅が立ち並ぶ地域に入る。そうして二十日間ひたすら揺られ続けた馬車からようやく解放されたホノカは、先に降りたハヤトが差し出した手を取りながら、広がっていた光景を前にして思わず呆けてしまっていた。
「すっごい。本物のお城だ……。」
石材と木材で築かれているその建築物は、去り際に眺めた大修道院よりも威圧感を漂わせる。二階か、せいぜい三階が少しある程度ではあるが、都市を守る物とは別の石壁に守られていて、その外側に向けて矢を射かけられる細窓が至る所で口を開けている。
一方で城門を越えた先では、足元まで隠す地味な色味のエプロン付きドレスを着た女たちがあちらからこちらへと忙しなく歩き回り、鉄の鎧を着てバラの旗を掲げる兵士たちがこちらを睨みつける。そして彼らが着ている服よりもずっと丁寧に仕立てられている服を着た男たちが、ハヤトとホノカに対して心地の悪い目線を向けていた。
まさしく、住むための城であり、戦うための城。
その主が、戻ったのである。
「ようやくお戻りになられましたか、陛下。」
「無事に戻られて何より!」
丁寧に仕立てられた服を着た男たちが、赤いマントをたなびかせるベイグルフ王に群がり、首を垂れる。
「王よ。その者らが、例の?」
「ああ。後ほど皆々にも広く報せる。」
興味津々といった様子の男たちは王の言葉に頷き、離れていく。
そういったことを何度か繰り返しながら城の中に入ると、内部は暗がりが多く、しかし要所には松明やランタンといった照明が大量に灯されている。おかげで石張りの床でつまずかずに済む。
「陛下。」
パトリッシア宰相に声をかけられたベイグルフ王は、廊下の奥へ行く。
「私たちもここで失礼しよう。」
「また後でお話しをしましょう。」
二人の王子もベイグルフ王とパトリッシア宰相の背中を追うように、城の暗がりへ消えていった。
「お二人は私に。」
鎧の男クリオの落ち着いた声に先導されるままに、ハヤトとホノカはベイグルフ王とは反対側の奥へと入っていく。相変わらず暗がりはあるが、細窓から差す太陽の光で足元は確かだ。
「お二人は大変懇意にされているようですが、どのようなご関係で?」
歩きながら、ふとクリオは尋ねる。
「幼馴染です。家が近所なので。」
「産まれた病院も一緒なんですよ。」
「ビョウイン……?」
馴染みのない言葉を聞いたかのように、クリオは言葉を繰り返す。
「病院っていうのは、怪我や病気を治すのが専門の施設のことです。」
「なるほど、
「はい。出産を助ける専門のお医者さんがいるんです。」
「母親にとってはさぞ頼もしいことでしょう。」
それからもクリオは二人に様々な質問を投げかけた。食べ物のこと、移動手段のこと、仕事のこと、二人の衣服のことなんかを。それからこの世界にある「学校」についても。
「この世界にも『学校』があるんですか!」
ハヤトがそう言ってしまうのも無理はない。「教育」というモノが一般に普及したのは、日本においては江戸時代のこと。ヨーロッパではさらに少し後の出来事である。
中世ヨーロッパ風の世界観を持つこの異世界では、そもそも「学校」という概念が無いとしても不思議ではなかったのだから。
「ええ。三代王オグマンド様が作られた『オグマンド王立学園』があります。私もそこで学びました。」
彼のような兵士であっても学ぶことがあったのだから、きっと机の上でペンを走らせるだけの学校ではないに違いない。力と知恵、剣と魔法が交錯する、笑いあり涙ありの波乱万丈な異世界学園ストーリー……ハヤトの妄想が勝手に膨らみはじめたところで、クリオがある部屋の前で足を止めた。
「こちらがホノカ様のお部屋でございます。」
「とのことですので、ホノカさんはこちらへ。」
部屋の前で待っていた召使いらしき女が扉を開け、ホノカは部屋の中に消えていく。
「どんな部屋なんで……。」
と、部屋を覗こうとしたハヤトを召使いらしき女が黙って睨む。
「ハヤトさん。女性の私室にみだりに入ってはいけませんよ。」
クリオからも穏やかな微笑みと共に諭されてしまい、ハヤトは素直に居直った。
「ハヤトさんの部屋も用意ができているはずですから。こちらへどうぞ。」
「はい。すいません……。」
再びクリオの案内で城の中を進むハヤトは、鎧姿のクリオの背中をじっと見つめている。
彼の足取りは力強くしっかりとしているが、一歩進む度に金具か皮革かが擦れる音を立て、足が着地すれば鎧全体が、ぎしり、と重々しく鳴く。左腰に携えている短めの剣は、鎧の金属板と鞘がぶつかってガンガンとけたたましく鳴っている。
「重たくないんですか、それ。」
「重たいですよ。青銅で作られていますから。」
銅、と言われるとなんとなく軽い金属のようにハヤトはイメージしてしまっている。ただこの音からして、彼の言葉が正しいだろう。
「さすが異世界の騎士さんですね。」
特に何か思う所があるわけではなかったが、ハヤトはそのようにクリオへ応えた。
「ハヤトさんの故郷の兵は、違うのですか。」
クリオの問いかけに、ハヤトはすぐに返せなかった。
軍事に特別詳しいわけではない、というのが本音のところだが。理由はもう一つあった。
故郷で見たアニメやコミックでは、現代の技術が異世界に大きな影響を与えるという場面が多い。ここで自分が余分に話してしまって、もしこの人が自分の話をヒントにした新たな技術の伝道者になってしまったら。その技術が、この世界に新たな混乱や戦争を生み出してしまったら。
こちらから話しかけておいて黙り込んだ自分に向けられている、この人の心配そうな目が、恐ろしい光景を映すようになってしまったら。
__気にしすぎ、だよな。
ハヤトはそこで考えるのをやめた。
ただ、正直に話す気分にもならなかった。
「俺の故郷の兵士は、遠距離で戦うのが得意なんです。だからクリオさんの鎧みたいな防具は着ません。」
「弓やクロスボウで戦うことを得手とするのですね。」
「そんな感じです。」
そうしているとすぐにまた、召使いらしき少女が前に立っている部屋が見つかった。
「こちらがハヤト様のお部屋でございます。」
「まずはここでゆっくりと体を休めてください。部屋の外には誰かが待機しているはずですから、何か要りようであれば、その者に。」
「わかりました。」
それから、とクリオはどこからか皮紙の巻物を取り出しながら続ける。
「今夜、さっそく晩餐会が開かれます。出席を予定している方々の名簿と、各人の基本的な情報を渡しておきますから、よく読んで覚えておいてくださいね。」
「ば、晩餐会ですか?!」
「何か不安なことが?」
ううーん、とハヤトは喉奥で唸る。
王の城で開かれる晩餐会といえば豪華絢爛な装飾と色とりどりの大皿料理、そして高貴な身分の者たちが国中から集う場。一般人の自分は何か失礼な振る舞いをして、怒らせてしまうのではなかろうか……そんな不安を、ハヤトは素直に吐露した。
するとクリオは「ああ。」と呟くと、とても穏やかに微笑んだ。
「大丈夫ですよ。晩餐会といってもロイ殿下とルーク殿下に、貴族の当主が何人かと彼らの夫人や子女が数人ずつ。それからパトリッシア宰相閣下しか出席しませんから。」
「いや十分荷が重いんですケド?!」
ハヤトのツッコミも空しく、クリオは皮紙の巻物をハヤトの右手にねじ込んだ。
「私も出席しますから、辛くなったら声をかけてください。一緒に挨拶をしましょう。」
「……はい。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。ではまた、後ほど。」
クリオは巻物とハヤトを残して、来た道を引き返していった。
「……晩餐会にも出られるなんて、本当に凄い騎士なんだなあ。」
すると二人の会話を聞いていた召使いらしき少女が、大きな茶色の瞳でハヤトの顔を覗き込んだ。
「ハヤト様、あの方について何もご存じないのですね。」
「え?」
そういえば、とハヤトはクリオについて思い返してみたが、彼について知っていることと言えばフルネームが「クリオ・オーラ・モンカソー」であることと、王族付きの護衛騎士であろうことと、穏やかかつ爽やかに微笑んでくれることだけだ。大修道院からここまでの道程で、彼は馬に乗って護衛にあたっていたので、あまり話す機会がなかったというのもある。
それを見透かしたのか、考えていることがよほど顔に出ていたのか。召使いらしき少女はため息と共に首を振る。
「クリオ様は王家の近衛騎士隊長にして、『王の盾』と称される名家モンカソー男爵家のご当主様。あの人も立派な貴族なのですよ。」
ハヤトは皮紙の巻物を開く。
アプリーやらブローソムやらフィグマリーグやらと色々な名前が書かれているが、その中でも一番下の巻物の端に、この世界の文字で確かにこのように書かれていた。
『今宵の秩序はクリオ・オーラ・モンカソー男爵が、その名と爵位において保障する』と。
その日の夜。外からの光が赤から紫、そして月明かりへと変わりつつあった頃。二人までなら十分に眠れそうなベッドに身を預けながら巻物を読み返していたハヤトに、扉の外から声がかかった。
「晩餐会の用意ができました。」
「あ、わかりました。」
シャツとズボンの皺を手で伸ばし、椅子にかけていた制服の上着を着て部屋を出る。そこにはクリオの正体を教えてくれた女はおらず、別の召使いらしき女と、かなり身だしなみが整っている中年の女がいた。
「御召し物はそちらで?」
「はい。俺の一張羅なんで。」
「承知しました。では、こちらへ。」
中年の女の案内で城の中を歩く。
こうして誰かに先導されながら城を歩くというのは、意外と心地が良い。まるで国賓扱いだ。いや、国どころか別世界からの来訪者なのだが。
内心でくだらないツッコミを入れている間に、大きめの両開き扉の前に辿りつく。そこの前にも召使いらしき男女が両側に四人ずつ並び、ハヤトがやってきたのを見て扉を叩いた。
「来訪者ハヤト・エンドウ様のご到着でございます。」
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