02:異世界人との出会い

 体を包む温かな光を感じなくなった頃、二人は目を開けた。

 そこは確かな重力があり、上下左右が全て石材で造られ、人々のとりとめのない声が響いている。だが蝋燭の揺らめく灯火と幾筋の陽の光によってのみ照らされているここでは、肌色も顔色も、人の影形すら判別することができない。


「祝福を受けし地へようこそ、異界の方々。」


 ただその中でも、はっきりとこちらに向けられた言葉が一つあった。

 分厚い白色の服を纏った老齢の男が、額に数滴たたえる汗を白い袖先で丁寧にぬぐい取りながら、ホノカとハヤトの目の前にやってきた。

 男はホノカとハヤトを交互に見下ろした後、傍に控えていた従者らしき女に何かを伝え、二人の前にゆっくりと膝を折る。


「まずは落ち着けるところへ。」


 老齢の男の従者に促されるままに広い部屋を出て、誘われるままに石造りの廊下を渡って辿りついたのは大きなソファーと金銀の調度品で飾られた部屋。

 蝋燭の火と陽光しか照明がないと思えないほど輝いているように見える部屋の中には、その雰囲気すらアクセサリにしてしまう男がいる。


「確かに儂は娘を呼べとは言ったが、なぜ男も呼び寄せたのか、帥父すいふ殿。」

「いやはや私共も、二人も遣わしてくださるとは想定しておりませんでして。」


 茶色の髪と髭に白い毛が数束混じっている、濃い赤色のゆったりとした服を着たその男は、訝し気に白い服の男を睨みつけている。


「まあまあ、陛下。これもまた、フロリアーレ王国が神々からの祝福を得ている証拠となりましょう。」

「宰相閣下の言う通りです、父上!なんと喜ばしきことでしょう!」

「天上の神々はまだ我ら王国をお見捨てになったわけではないということですね。」


「陛下」と呼ばれた男と同じくらいの歳頃の、教科書でしか見たことのないような木のフレームの眼鏡を両端から紐で耳に引っ掛けている、地味な緑色の服を着た女。そして男と同じ髪色の、整った顔立ちの青年が二人。


「まずはお二人にこの状況を説明して差し上げるべきかと。」


 そして落ち着きのある低い声で諭している、立派な板金鎧を纏い武骨な剣を携えた、青年たちよりもさらにいくらか年齢が高そうな男。


「パトリッシア。」

「はい、陛下。」


 地味な緑色の服の女はハヤトとホノカの前に立つと、自身の胸に手を置いた。


「きっとお二人は私どもが何者なのか、ここはどこなのか、何の目的で異界から招かれたのか知りたくておいででしょう。しかしご安心を。このパトリッシア・ルーテイーがこれから全てを説明いたします。」


 パトリッシアと名乗った女は、穏やかでゆったりとしたトーンで話を続けた。

 ハヤトとホノカがやってきた場所の名は、ライラク。神々の祝福を受けた世界に存在する大陸の一つなのだという。武芸を貴ぶオナー人の故郷であり、実り豊かな大地が多くあり、ヒトとモノが溢れている、神々に祝福されし大地だという。


「そして大地豊かなライラク大陸を支配する最も大きな国が、こちらにおわすベイグルフ・フラ・ローゼイ陛下が治める『フロリアーレ王国』にございます。」


 王国を治める者。つまりこの、柔らかそうなクッションがついたソファーを独り占めしている、威厳ある男こそ……。


「つまり、王様ってことですか?」

「いかにも。」


 王国を治める王様に会う。これぞ異世界ファンタジーにおける王道の展開。日本どころか地球全土でもほとんどの人類が体験できない激レアイベントを、異世界に来ていきなり体験できるとは。


「して、加護は如何に。」

「まあまあ陛下。そちらは後ほど。」

「ふん……。」


 はじめましてからずっと落ち着きがない態度をしていることを除けば、確かにこの男からはハヤトやホノカのような一般人とはまったく異なる、人々を導くことを運命づけられているような「何か」を感じる。

 そしてそれは男……ベイグルフ王の隣に立っている青年たちも同様だった。


「それじゃあもしかして二人は、王子様ですか。」

「そうだ!私こそがフロリアーレ王ベイグルフの息子、第一王子のロイだ!」

「私は第二王子のルークだ。騒々しい兄で申し訳ないが、これこそが兄の良いところ。大目に見てくれ。」

「だっはっは!このようにいつも私の至らぬ所を補ってくれる、自慢の弟だ!」


 大声で笑いながら弟と肩を組もうとするロイは、とてもではないが国王の息子、すなわち王国の後継者とは思えない。今すぐにでもどこかへ走り出してしまいそうな危なっかしさを感じる。

 そんな兄に対して弟のルークは落ちつきがあり、けれど一方的に組んできた兄の肩を迷わず抱き返すほど、対照的な性格の二人の間には良き兄弟愛が育まれているとわかる。


「仲が良いんですね。」


 二人の様子を見たホノカも思わず口を開く。


「そうともそうとも。同じ王の血を継ぎ、同じ『剣の加護』を分かつ者なのだ。当然であろう!はっは!」

「同じ父を持つ兄弟であることは揺るぎない事実。いがみ合うよりも助け合うことこそ、兄弟に相応しいのさ。」


 ハヤトもホノカも熾烈な後継者争いとその結果を歴史の授業で何度も目の当たりにしてきた。ただこの二人ならきっと、どうにかできるだろう。


「ただ私たちだけでなく、パトリッシア殿についてもよく知っておくといい。なにせ我が王国の宰相閣下なのだから。」

「サイショウ、ですか。」


 王族と親しげにしていることからしても、「サイショウ」が高い地位であろうことは予想がつく。ただハヤトは「サイショウ」が何者なのかをはっきりと理解できない。


「サイショウって何か知ってる?」

「王様を政治的に補佐する役目の人のことを『宰相』って呼ぶんだよ。」

「てことはフロリアーレ王国のナンバーツーってことか。」

「たぶんね。」


 地味な緑色の服を着て、朗らかにほほ笑んでいる姿は、近所に住んでいる人柄の良いおばちゃんのようにしか見えない。ただ王族と親しげにしているところも、眼鏡の奥の瞳に宿るきらめきも、彼女が只者ではないことを暗に示している。


「……ところで、そちらの鎧の方は?」


 ただホノカにとっては、宰相パトリッシアよりも気になる人物がいた。それは先ほど話をするように促して以来、一言も発していない板金鎧を着こんだその人は、ぎしり、と重々しい音を立てながら軽く頭を下げた。


「これは失礼。近衛騎士隊長を務めています、クリオ・オーラ・モンカソーと申します。」


 二人の王子よりずっと低く、けれど凛々しさと品性を感じる声。国王と王子と宰相の側に仕えている騎士で、近衛騎士隊長と言うことは、騎士の中でもトップの強者といったところか。そのように考えを巡らせて勝手に目を輝かせているハヤトにも、鎧の男クリオは穏やかな眼差しを向けている。


「今後は彼の世話を受けることが多くなるでしょう。」

「どういうことです?」

「それは……。」


 ホノカが聞き返すと宰相パトリッシアは内心に何かしらの迷いがあったのか、言葉を詰まらせた。


「宰相。ここは私から。」


 するとすかさずルークが手で制した。


「私たちが二人を異界から呼び寄せた理由。それは王国を脅かす存在との戦いに勝利するべく、力と知識を借りるためだ。」


 ライラク大陸は長い戦乱の中で武芸を磨いてきた「オナー人」という人々が住んでいる。しかし南の海を越えた先にあるリスリアヌ大陸を故郷とする「リアヌ人」が、オナー人の土地を侵略しているのだという。


「ヤツらは私たちオナー人が失った『魔力』を操る力を持ち、魔力を源にする『魔法』を使う。オナー人が築いた城塞を打ち砕き、オナー人が耕した畑を焼き払い、オナー人が住む集落を破壊している。同胞たちは今まさに、あの畜生どもに尊厳と自由とを奪われている。」


 淡々と静かに語るルークの額には、汗が一滴浮かんでいる。


「二人の力と知識を私たちに貸してほしい。あの畜生どもを私たちオナー人の大地から殲滅しきる、その日まで。」


 ハヤトとホノカの目をまっすぐに覗く彼の淡い青の瞳から感じる「熱」。求めている期待と、伝えようとしている思いの大きさにあてられて、二人の胸もほのかに温まっていく。

 しかしとどのつまり、彼が求めているのは「戦争」への協力。


「でも俺たち、戦争で戦う方法なんて知らないですよ。」

「私たち普通に学生やってたので。」


 すると鎧の男クリオ以外の四人は、揃って顔を見合わせてから。


「この世界は神々の祝福を受けている。その象徴が我々人類にのみ与えられる『加護』だ。この世界に来る際に授からなかったか。」


 加護、という言葉には心当たりがある。特にホノカには。


「ここに来る前に、なんかいっぱい貰いましたけど。」

「おお、なんたるか!神々はオナー人を見捨てなかった!」

「やはり彼女こそ、我らが救国者なのですね。」

「そうか、キミが……。」


 宰相パトリッシアや王子たちがおもいおもいに感涙する後ろで、ソファーでくつろいだまま独り黙っていた国王ベイグルフは、ゆっくりと、しかし確かに力強く立ち上がった。


「帥父殿。彼女らの加護を。」

「うむ。」


 彼に声をかけられた白い衣の男はすぐ後ろに控えていた女の従者から、聴診器のような器具を受け取って、ホノカの前に立つ。


「この器具で、お二人が神々から御身に賜った加護を確認させていただきます。胸を出してくだされ。」

「えっ?!い、いやですッ!」


 健康診断で見るあの聴診器よろしく、U字型の部分の先を両耳に当てて、それに紐だか管だかわからないもので繋がっている円形の金具を差し出しているのだから、形状だけでなく使い方も同じなのだろう。

 他人の、しかも男数人の前で、十七歳の少女が自分の胸を晒すことに抵抗するのは必然である。


「しかし加護を『診る』ためには……。」

「あなたたちの文化じゃどうだか知りませんけどっ、私たちの故郷ではめちゃくちゃ恥ずかしいことなんです!」


 困ったように眉を寄せている白い衣の男は、渋々といった雰囲気で女の従者を手招いた。


「彼女に診させましょう。」

「あっ、あと!あっち向きながらでもできますよね?!」

「……いいでしょう。」


 ホノカはハヤトや異世界の人々に背中を見せるように立ち、ワイシャツのボタンをはずして胸を出した。制服の上着はハヤトが預かっている。


「失礼します。」


 女従者は目を閉じ、聴診器のような器具の円形の金具をホノカの心臓のあたりに当てる。


「剣の園、槍の海、矢の雨、鎧の城壁、衣の舞台……な、なんてこと。武具の加護が全て揃っている……。」


 最初は落ち着いていた女従者の呼吸が徐々に深く荒くなり、顎を大粒の汗が滴り落ちる。


「火の渦、水の杯、風の刃、雷の轍、土の塔。光の旗に、闇の沼まで!なんてこと。全ての属性の加護を持っている!」


 女従者の言葉で異世界の人々は揃って、おお、と感嘆の歓声をあげた。そして白衣の男は体を彼らへ向きなおすと、ホノカを指し示す。


「この少女こそが神々の遣わした聖戦士でありましょう。」


 満足げに頷き、声を上げて喜ぶ彼らを見るホノカの目は、細く鋭い。


「行きたくないな、戦争になんて。」

「そうだね。」


 異世界には、異世界なりの事情はあるに違いない。

 ハヤトとホノカにとってそれは本来、自身に関わりないことだったのだが。


「尽力に感謝する、帥父殿。」

「これも『賢君』たるフロリアーレ王の信仰心の賜物でしょう。」


 強く固く握手を交わす男二人。目尻に大粒の涙を溜める弟の両肩に手を置いて、自身もまた穏やかに微笑む兄。眼鏡を外して天に祈る宰相。

 ただ一人。クリオという男だけはハヤトに目線を向けていた。


「それで、そちらの方は?」

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