01:女神と加護

 見慣れた日常は、もうなかった。

 目の前に広がっている真白い空間には「足元」がなく、しかし浮遊感というものも感じない。むしろ抱擁さけているような心と体を包む温かさが、突然の出来事に晒された二人が冷静さを保てている理由となっていた。


「どこだよここ……。」

「わ、わかんない。」


 さりとて突然の出来事、不思議な空間。二人は何か見つからないかと周囲を見渡すが、どこまでも白い空間で動くこともままならないまま、しばしの時が過ぎた頃。

 その「声」が、響いてきた。


「か弱い人の子よ、汝に祝福を授け……。」


 抑揚が少なく、けれど活力と威厳をたたえている、若い女性の「声」。それはどこからというわけではなく、空間中をこだまするようにして体全体へと響き、骨を振動させる。

 ただ認識できるのが「声」だけであっても、様子がおかしいことは瞭然だった。


「女の子だけ呼び寄せたはず……なんだけどなぁ……。」


 どうやら自分がここにいるのは予想外だったのだろうと、ハヤトは早々に察する。


「あ、あの。ここってどこなんですか?」


 ハヤトは意を決し尋ねると「声」は様子が変わり、落ち着いた雰囲気を取り戻す。


「ここは世界の狭間。世界を移動する者の多くが通過する、世界と世界を繋ぐ通り道。」

「世界を移動する……?」


 この時点で彼の口元は少し緩んでいたものの、隣で黙りこんでいたホノカが「声」に問いかける。


「あなたは誰?」

「我はお前たちが住まう世界とは異なる世界を統べる、唯一の神である。」

「異世界の、神様……!」


 もはやハヤトは興奮を抑えきれないようで、さらに身を乗り出す勢いでもって「声」に詰め寄る。


「さっき『呼び寄せた』って言ってましたけど、それってつまり、俺たち異世界に行くってことですか?!」

「……お前たちは我が使徒として、我が統べる世界に降臨してもらう。」

「うおーっ!異世界転移キターー!」


 ハヤトは拳を振り上げて興奮を露わにしているが、ホノカはいたって平静とした面持ちで、普段は絶対にしないような仕草をする幼なじみを横から眺めている。


「異世界転移って、ハヤトが好きなアニメみたいな?」

「そうだよ!しかもいきなり異世界に放り出されるんじゃなくて、異世界の神様との対話シーンから始まるってことはチート能力が貰えるパターン!」

「あー、『インチキ』能力貰うマンガ的なね。」

「ライトノベル、な!」

「はいはい。」


 呆れるホノカと大興奮のハヤト。対照的な反応の二人に再び「声」が届く。


「ホノカ・タヌキ。お前に望むだけのあらゆる力を『加護』として授けよう。」

「へっ?私に?」


 よほど意外だったらしく、ホノカは声を裏返してしまう。


「そういうのはハヤトのほうが詳しいと思うし、ハヤトからお願いします。」

 と言っても「声」はうんともすんとも答えない。ホノカは少し考えた後、ハヤトに目を向けた。

「何がいいのかな?」

「うーん。神様は『あらゆる力』って言ってたし、なんでもいいんじゃない。」

「なんでも、が一番困るんだけど。いつも言ってるけどさ。」

「……すいません。」


 そうして話はまとまりを欠いていたが、ふとハヤトは何かに気がつく。


「ホノカってさ、文武両道で才色兼備だよな?」

「え、それ本人に言う?」


 しかし事実として、普段の授業やテストの点数で高く評価されているだけでなく、テニス部ではエース級の扱いをされている。同級生からも下級生からもよく慕われ、上級生との交友関係も広い。そして男子生徒から交際の申し込みを受けた回数が去年だけでも十三回と、月一以上のペース。

 文武両道。才色兼備。どちらも田貫穂乃花という人物のために存在する言葉だ。

 で、あれば。この幼なじみに相応しい『加護』は必然として決まる。


「神様、提案があります。」

「聞いてやろう。」


 ハヤトは「声」に言う。


「ホノカは万能すぎる最強女子高生なので、カミサマの世界でも万能すぎる最強の存在にしてください。」

「はあっ?!ちょ、っとハヤト!なにそれ?!」

「ふむ……。」

「か、カミサマも真剣に悩まないでいいから!」


 本人の意思はどうであれ、決めるのは「声」の主。

 しばらく沈黙を続けた「声」は尋ねる。


「欠点は?」

「無いです。」

「いや、何かあるでしょ。」

「無いです!」

「あります!ちょっとだけ、ちょーっとだけ運が悪いです!」

「ふむ。では『幸運の加護』はやめておこう。」

 ハヤトの暴走を止めることに成功したホノカは自信ありげな笑みを浮かべている。

「……いや、したり顔するとこじゃないでしょ。」

 ツッコミもほどほどに、というように「声」が続ける。

「ではホノカ・タヌキ。お前に我が加護を授ける。」


 その時だった。光の球体が大量に現れると、ホノカの周囲をグルグルと回りはじめる。光の軌跡は消えることなく、まるで繭のようにホノカを完全に包んでしまう。


「これでよい。」


 厳かな「声」が響き、ホノカを取り巻いた光の球体が散った後も、彼女の体はほんのりと輝いている。

「お前には我がこれまでに人間に授けたあらゆる属性、あらゆる武具、あらゆる耐性の加護を授けた。これでお前は我が統べる世界に住む誰よりも強き存在である。」

「あらゆる加護って、具体的にはどんな加護を?!」


 ハヤトの質問にも「声」は丁寧に答えた。

 属性の加護として「火の加護」「水の加護」「風の加護」「土の加護」「雷の加護」「光の加護」「闇の加護」の七個。

 武具の加護として「剣の加護」「槍の加護」「鎚の加護」「斧の加護」「弓の加護」「投擲の加護」「鎧の加護」「衣の加護」の八個。

 耐性の加護として「毒無効」「麻痺無効」「混乱無効」「恐怖無効」「魅了無効」「呪い無効」「裂傷無効」「火傷無効」「凍傷無効」「魔力阻害無効」「吸収無効」「窒息無効」「圧迫無効」「物理耐性」「魔法耐性」「能力弱化効果軽減」「落下死無効」の十七個。


「そして『回復効果向上』と『能力強化効果向上』。あわせて三十四の加護を授ける。」

「えっと……。」

「つまり全部乗せってことですね!」

「うむ。」

「こんなに要らないよー!」


 抗議しようが拒否しようが、神が決めたことに人間が逆らえるわけもなく。「声」はホノカの声を聞き入れる素振りはない。


「それで俺は?!」


 だがハヤトの問いを境に「声」の様子が変わる。


「男は要らないんだよね。」


 それまでの威厳ある口調はどこへやら。


「加護いっぱいあげた人を二人も送ったら、神の奇跡の……希少性?的なやつが下がっちゃうじゃん。人間どもからの畏怖と崇拝を糧にしてるこっちからすると、威厳が落ちるのは死活問題なわけ。」

「いや、でも。」

「そもそもさー。ホノカ・タヌキだけ連れ出すだったのにさー、なぜかキミまで着いてきちゃったっていうだけだしさー。『おまけ』の面倒まで見られないなー。」


 __威厳どうこうより、シンプルに性格悪いな?!


 はっきりと「要らない」だの「おまけ」だのと口撃されてしまうと、異世界転移に浮かれていたハヤトからすると、内心で苛立っていたとしても反論する余地が見つからない。

 全てが「声」の意思で決められるのであれば、人間の意思で掴める選択肢など初めから無いのと同じ。事実として今もこうして、理解が及ばない空間にいるわけで。

 必死に思考を巡らすハヤト。そしてその横顔を覗く、ホノカ。


「ハヤト、好きでしょ。インチキ能力貰うマンガ。」


 不意にホノカの声がハヤトの思考を遮った。


「うん。」

「でもなんか、貰えなさそうじゃん。」

「だから?」

「や、だからさ。えと……。」


 ホノカが言おうとしていることが予想できないほど、ハヤトは愚かではない。ただ「そのこと」を自ら口にしまうことの意味もわかっている。

 そして隣にいる幼なじみが両手をぎゅ、と握り締めていることにも。


「帰るか。行くか。お前が選べ。」


 待っていた、という方が正しいのかもしれない。


「帰りません。ホノカと一緒に行きます。」


 厳かな「声」への答えを、ハヤトはほんの一瞬も迷わなかったのだから。

 隣にいる幼なじみに、彼は微笑みかける。


「隣にいるよ。今まで通り。」

「……うん。」


 握った手を上から重なる右手のように。


「ハヤト・エンドウ。お前には、ホノカ・タヌキに与えなかった『幸運の加護』を与えよう。」


 たった一粒の光の球が、ハヤトの周囲を回り、光を拡げ、ハヤトと重なり一つになる。体から溢れるほのかな輝きは、ホノカのそれとは比べ物にならない。


「よかったじゃん。」

「これで俺も、祝・チート能力デビューだわ。」


 彼にとっては、それで十分だった。


「言葉、文字は加護が無くとも不自由なくしてある。」

「あっ、ありがとうございます。実はそれどうしようかと思ってまして。」

「神に『抜かり』は無い。」


 間違えて二人も連れてきたやつがどの口を、と思わないでもないが。しかしこうして加護を与えてくれたところにだけは、ハヤトは心から感謝していた。


「ありがとうございました。」

「ありがとうございました、カミサマ。」

「声」は答えなかったが、高慢ちきな表情が見えそうなほど確かに、鼻を鳴らした音だけは聞こえてきた。

「では行け。我が使徒となり、慈しむべき信徒たちに救いをもたらすのだ。」


 下に浮かび上がる幾重にも絡み合う光の円が、視界を白に染め上げる。

 片や、あらゆる加護を得た少女。

 片や、幸運を約束された少年。

 こうして「二人」は我々の知らぬ世界へと旅立っていった。



 王国暦三百三十四年、夏のふた月。

 とうとうこの日がやってきた。

 いつも侍従や王の家臣たちが立談し、往来しているこの場所は、今日に限っては静まり返っている。新しく仕立てた靴と磨かれた石の床が擦れる音がひどくよく聞こえ、硝子格子の外から、姿見えぬ鳥のさえずりが反対の格子へと響くほどに。

 彼は「他人の家のようで落ち着かない」と言っていたけれど、わたくしは不思議と悪い気はしなかった。

 いつもと違う。それだけで小さな頃から顔を出していたこの場所が、おとぎ話みたいに違う世界へ迷い込んでしまったかのように感じてやまないから。

 けれど、それだけではないのもまた確かだ。

 今日は「儀式」の日。

 国王陛下と、宰相閣下と、父上たちが決めたことなのだから、私のような小娘がどうのこうのと口を挟む権利も筋合いも無いし、そのつもりもない。

 だから私は、ただ楽しみに待つと決めた。

 異界の生活。異界の宗教。異界の国々。異界の通貨。異界の言語。異界の菓子。異界の歴史……知りたいことはたくさんある。

 私と同じ年頃の、望むべくは女の子だといいのだけれど。もし女の子だったら、すぐに茶会の用意をしなくては。それとも贈り物を差し上げるべき?ううん。どちらもすればいいのよ。きっとそう。

 胸が踊る。足が軽やか。こんな感覚、あの時以来。

 ああ、天地を遍く祝福する神々よ……。


「どんな方が来て下さるのかしら。」

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