あの空の向こう

空野 カナタ

1話完結 あの空の向こう



1945年4月16日ベルリンにある国会議事堂が陥落、続く8月6日に広島、9日に長崎に原爆が落とされ大日本帝国とナチス・ドイツが滅亡し4年近く続いた太平洋戦争は終結を迎えた。終戦から二十年後、渓は祖父のお墓参りに行くことになった。

立っているだけでも汗が滴るような炎天下、父の明、母の美智子そして弟の凌の家族4人で父の愛車ブルーバードに乗り込んで祖父が眠っている山奥の墓へと向かった。

渓が祖父は旧日本帝国海軍航空隊に所属し、日中戦争や太平洋戦争で戦っていたと聞いたのは中学校に上がったくらいだっただろうか。学校の授業で戦争があり何万という命が戦い、散っていったという話は聞いていたがこの時になるまでは戦争というものをそこまで身近には感じられずにいた。軍服姿の写真しか見た事のなかった渓は祖父がどのような人だったのか興味が湧き祖母に聞いた。すると祖母は笑顔で祖父の人となりを語り始めたが突如祖母の顔が翳り、声を震わせながら「渓、あなたのおじいちゃんは飛行機に乗って敵の船に特攻して亡くなったのよ…。」と行き場の無い怒りと悲しみを堪え渓に衝撃的な祖父の最後を伝えた。渓は突然世界が色を失ったように感じた。まさか自分の祖父が特攻隊員だったなど想像もしていなかったからである。

1年前の祖母との会話をぼんやり思い出しながら車に揺られていると「渓、あんた大丈夫?ものすごく深刻な顔をしてたけど…。」と母の声が聞こえはっと物思いから覚めた。なにか大切な事を忘れている気がしたがそのうちに思い出すだろう。蝉の声が痛いほど耳に響く中、砂利が敷き詰められた駐車場を抜け、石畳を家族4人で歩いていく。「お父さん!空気が綺麗だね!」自然の雄大さを感じる荘厳な空気に似つかないような明るい声で凌が言う。「そうだな、ここまで身近に自然を感じることが出来る場所は少ないもんな。」と父が言い、「そうね!今度の家族旅行はここみたいな自然が綺麗なところにしましょうか?長野県とかはどうでしょうか?」と母が提案する。すると凌は「えー?長野県??なんかパッとしないなー。他にはないの?」と言い「そうだな、北海道とかどうだ?あそこは自然も綺麗だし少し遠いから旅行って感じがして良くないか?」と父も続ける。そんな会話を聞いているとふと祖母のあの苦しい表情を思い出し、そういえば、おばあちゃんはこういう会話したことなかったんだよなと思い不覚にもこの時代に生まれて良かったと思ってしまった。空から焼夷弾や銃弾が降り注ぐことも無く、人が人でなくなることも無い。そんな幸せな世界、時代が続いて欲しいと今までの自分なら出もしなかった思いが胸を満たした。やはり1年前の祖母との会話で自分の中のなにかが変わったのだと改めて思った。そんな当たり前のような平和な時間を過ごしながら歩いていると祖父のお墓に着いた。ビニル手袋をつけ家族4人でお墓に水をかけ、掃除をし花や線香をお供えする。父が「きっと天国にいる親父も喜んでいるだろうな。」と言い、凌と母も「そうだね。」「ええ。」と首肯する。自分は「さあ、足を怪我してお墓参りに来れなかったばあばの分も手を合わせよう。」と沈んだ空気を変えようとしてできるだけ明るく言った。すると母が「あら渓、顔色良くなったわね!さあ、手を合わせましょう。」と言い、父、自分、凌、母の順で手を合わせた。父が「さあ、美味いもんでも食べて帰ろうか」と言い帰宅しようとした。その時だった。

突然空から1羽の白い鳥が渓に向かって突撃してきた。刹那、渓はバランスを崩し、天地がひっくり返った…。家族が自分の名前を呼ぶのを最後に渓の視界は真っ暗になった。


目を覚ますとそこは見慣れない場所だった。

質素なベッドが雑に並べられ、ベッドの間を看護師だと思われる人々がせわしなく歩いている。少なくとも渓の記憶にはない場所だった。しばらく辺りを見ていると数人いる看護師の1人がこちらに気がついて歩み寄ってきた。「友蔵さん、気がついたのですか?」と声をかけてきた。

「は、はい。」と渓は答えたが

「と、友蔵だって?それは俺じゃない、じいちゃんじゃないのか…。」と内心で混乱していた。看護師が医者を呼んでくるまでに渓は恐る恐るベッドの横の鏡を見たが、幸か不幸かそこには自分の顔はなく、遺影の中の白黒でしか見た事のない祖父の顔があった。「おい、おいどういう事だ?」俺は混乱していた。ふと窓から視線を外すと小さな台がありそこにカレンダーが乗っていた。渓はそれを手に取って今の日付を確認した。すると驚いたことに1941年12月を示していた。そこで渓は事の重大さを再認識させられた。「どうやら俺はじいちゃんの墓の前で鳥に体当たりされ倒れ頭を打った時、30年前に戻りじいちゃんに変身してしまったようだ」その結論に自分の中で至ったところで医者が現れた。「友蔵准尉、具合はどうかね?君はもう3日も気を失っておったのだよ。」と言いながら上着をめくれと指示してきた。医者の話を聞くとどうやらここは横須賀の旧日本海軍の基地らしく、祖父はどうやら真珠湾攻撃の際に被弾してしまい怪我をして搬送され3日も意識を失っていたらしかった。祖母から聞いてはいたが祖父が日本帝国海軍のエースパイロットだったという事を実感した瞬間だった。

入院生活から卒業してからというもの基礎体力のトレーニングや射撃訓練、格闘訓練など軍士官学校と同じような訓練をし続けていた。不思議なことに銃火器の扱い方や格闘技などは自然と体が動いた。ある程度このような訓練を続け3週間後、原隊復帰となった。朝から軍服を着用し、支度をしていると1人の看護師がやってきた。渓が目を覚ました時、最初に声をかけてくれた看護師だった。目を覚ました時もどこかで見たことがあると思っていたが、こうして2人で面と向かって話してみるとはっと気づいた。「どこかで見たことがあると思っていたけどまさかおばあちゃんだったとは!」と渓は思った。おばあちゃんの若い頃との会話を通して渓は自分の仮説が正しいことに気がついた。というもの、目を覚ましてから1ヶ月近く暮らしてきていたが会話にしろ軍事訓練にしろ渓は思いもしないことを感じたり、知らないのに体が動いたりするのだ。この事をふまえて渓は「自分はおじいちゃんの経験を追体験しているのかもしれない」と思っていたのだ。自分が今どういう状態なのか理解した渓は当時の空気を肌で感じようと思っていた。

どうやらこの頃から祖父と祖母は懇意だったらしいと知りなぜ祖母が祖父の話をする時にあれほど悲しそうなのか理解できた気がした。原隊復帰をしてからというもの陸に足をつけている時間よりも自分が配備されている空母飛龍で過ごしたり零戦に搭乗し、攻撃をしている時間の方が長かった。祖父はエースパイロットの名に恥じない圧倒的な撃墜数を誇っていた。原隊復帰してから約3ヶ月後、戦闘がある程度落ち着いたため祖父たちには久々の休暇が与えられた。 久々の休暇が与えられた祖父は祖母に会いに行き、楽しいひとときを過ごした。

休暇後の初任務はかの有名なミッドウェー海戦だった。祖父は連合艦隊空母飛龍に零戦乗りのエースとして配備されていた。艦上では零戦に艦隊用の魚雷から陸用の爆弾への変更作業が行われていた。当時、大日本帝国はアメリカとオーストラリアの海上航路を遮断する作戦を立案していたため、航路上の島へ攻撃をする準備をしていたからだ。ところが、突如偵察部隊からアメリカ艦隊発見の報を受けた。なんとアメリカ軍に日本軍の作戦がばれてしまっていたのだ!まもなく両艦隊から艦載機が発艦して行ったが不意をつかれてしまった日本軍は明らかに劣勢であった。見ている間に日本軍の空母3隻が被弾し火災が始まってしまった。祖父が配備されていた空母飛龍は偶然雲の下に隠れておりまだ被弾していなかった。祖父も零戦で必死に戦ったが被弾してしまい祖父は緊急脱出をした。その後友軍に助けられ一命を取り留めた。

この日の敗戦を境に日本軍は制空権、制海権を失い手段を選ばない戦い方へと変わって行くのであった。祖父はその後の戦闘でも活躍していたがそれに伴い多くの友を失っていった。

そしてついにその日が来るのであった。

その日は朝から晴れていた。数ヶ月前にサイパン島が陥落し本土空襲が始まっていた。この日、祖父は神風特攻隊の一員として25キロ爆弾を乗せ片道分の燃料しかない零戦に搭乗し「自分たちの後ろには守らなければならないものがあるのだ」という強い覚悟と共に出撃命令を待っていた。祖父は出撃命令とともに祖母の写真を握りしめ「天皇万歳!!」と叫び敵艦隊に操縦桿を向けた。

強い衝撃と共に渓の意識は闇に沈んだ。


目を覚ますとそこは見慣れない場所だった。

無駄に綺麗なベッドが丁寧に並べられ消毒液のような匂いが微かにする。ここは何処だろうと思っていると聞きなれた声が自分の名を呼ぶのが聞こえた。「渓、渓!目が覚めたのね!」声のするほうを見ると涙ぐんだ母がいた。その横には同じく涙ぐんでいる父と弟がいた。感動的な光景のはずなのに渓の口から出たのは「今はいつ?」だった。先程までの祖父の記憶が脳裏に焼き付いて離れないからだ。もちろん、父に「お前大丈夫か?今は1965年の8月だぞ?」と本気で心配された。

すぐに「ごめんなんでもない」と訂正した。凌に「良かったー。お兄ちゃん記憶喪失になったのかと思った。」言われたので「大丈夫だよ。」と答えた。何かが窓に当たる音がし、見ると先刻自分に体当たりしてきた白いハトが謝礼のつもりか四葉のクローバーをくわえて止まっていた。見ているとそのハトはくわえていたクローバーを窓に落とし、飛行機のように飛び立って行った。まるで自分が守ったものを確認するかのように。




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