第11話 三人目は、警察官

 三人目の被害者は、警察官だった。

 犯行時刻は深夜。遺体は、警察署内の会議室の一室で発見された。

 山口の彼女が、もしも、三人目の被害者が出るなら、ここかここ、と指し示した場所の一つは、山口の勤める警察署だった。山口が、

「有り得ない、有り得ない」

 と話を打ち切ったのは、彼女を馬鹿にしていたからではないのだろう。

 警察署だって、夜中は手薄にはなる。それでも、警察官は常に在中している。警察が必死に追っている殺人犯が、まさか警察署で犯行をしでかすとは、山口も、他の署員の誰一人も、思わなかったに違いない。どれだけ警察を馬鹿にしているか、という話になる。

 だが、犯人はやった。誰にも見付からず、捕まらず、警察官を殺した。舌を噛み千切って。噛み千切られた舌は、警察官の遺体のすぐそばに、もはや、舌とは解らないような肉片となって捨てられていたらしい。

 警察官に抵抗した様子はなく、薬を使われた痕跡もない。

 遺体は、きちんと制服を着ていた。だが、ズボンのベルトは金具が外され、緩められ、チャックは開いていた。少しばかりの精液の残る勃起した逸物がそのままに、だらりとズボンの外に伸び、至福の表情で死んでいた。

 それがまた、不気味さを増していた。

「完全にまま、あの世に逝くとはね」

 刑事の一人が、つい口にする。だが、無様な死を笑うなど、誰にもできなかったようだ。

 山口も、凍てついた表情を崩すこともできないまま、彼女に連絡できる時間をひたすらに待った、というわけだ。

 僕は、山口の彼女のぶっ飛んだ発想に、共感した。丁度、僕自身が、九頭龍伝説から山口に話をしなければと思っていた矢先だったから。

「事件は、九頭龍伝説の頭落としみたいなものだよ。誰かが本物を探しているんだよ。真髄の頭だよ」

 しかし、今となっては、山口の遣る瀬無さが、痛いほど解る。

 実際には、山口の彼女の五芒星説が当たったわけではない。そういう証拠は何もない。当たっているかもしれないが、ただのまぐれかもしれない。

 僕の九頭龍伝説だって、同じようなものだ。

 犯人が、九頭龍伝説に因んで犯行を行ったとは、まるで思わない。ただ、妙に当たりの感覚があるだけのことだ。なんの根拠もない。九頭龍伝説は無関係でも、〝真髄を探す〟部分が、共通している気がするのだ。

 つまり、本物探しなのではないか、ってことだ。

 朝方まで話をして、山口は、ほとんど眠らずに署へ向かった。

 山口を見送ってから、遣る瀬無い想いを引き摺り、僕も出勤した。

「おはようございます」

「おはよう」

「おはよう」

 幾人かと朝の挨拶を交わし、僕は、田嶋幸奈の姿を見付ける。

 ショートカットの彼女に近付く。

「おはよう。どう? その……大丈夫? この前は、ずいぶんとナーバスになってたけど」 

 声を掛ける。

「あ、おはようございます。何がですか! 大丈夫ですよ! ちょっと、ねえ、ちょっと! ちょうどいいタイミング! こっちに来てくださいよ」

 田嶋幸奈は、僕のワイシャツの袖を掴む。ぐいぐいと、建物の隅に引っ張って歩く。

「ちょ、ちょっと、何? 強引だねえ」

「大丈夫ですよ。私、谷口さんの舌を噛み千切ったりしません!」

「君、なんでそれ? 舌を噛み千切るって!」

 僕はひどく驚いた。

「なんでそれって……ええ? どういう意味ですか? まさか谷口さん、知らないんですか? そんな筈ないですよね? 連続殺人の件、知っているでしょう?」

「ええ? やっぱりそれ? だったら、その冗談はまずいだろうよ」

「よりにもよって、警察署内で、ですよ! どういう事件なんですかね。怖いわ~」

 田嶋幸奈は、眉間に皺を寄せる。

 だが、僕はちっとも、田嶋幸奈の行動が理解できないままだ。

「それで僕を引っ張ってるの? 事件がどうかしたの?」

「???」

「えっと……君は今、僕の袖を引っ張って、何をしようとしているの?」

 ようやく田嶋幸奈は、僕の頭の中のクエスチョンマークに気付いてくれたようだ。

「あ、ああ。連続殺人、怖いじゃないですか。だって未だに犯人、捕まらないんですよ。もう三人でしょう? 同一犯ですよね。うちの管轄じゃないったって……警察署内で、警官が殺されたら、さすがにここ、中野警察署も動くでしょう?」

 なんだ。どうやら田嶋幸奈は、まだ解ってくれていない。

「……あのさ、僕の袖を引いて二人になろうとしたのは、その事件と関係あるのだろうか? 事件の件で、僕に何か意見でも?」

「ああ?……ああ、違いますよ! 今、『お前の舌を噛み千切ってやる!』が、ちょっとブームなんです。巷でも流行ってますよ! 良くないですけど。なのに、谷口さん、知らないのかって、心配になったんです。いつも物静かに、書類関係ばっか熟してるから。遅れてるにもほどがあるって思ったんです。谷口さんも、、刑事なんですから、自覚持ってくださいよ」

 解ってくれない上に、なぜか説教までされる始末である。

 僕は、かなりの諦めモードに入る。

 いずれ、田嶋幸奈が、僕の袖を引っ張り僕を隅に連れて来た理由に辿り着くだろうと、根気強く待つ決心を固める。

 ただ、田嶋幸奈はすでに、僕の心を、無神経にえぐっていた。

 彼女は警察官である。それに僕は、彼女をちょっと気に入っていた。

 しかし彼女も、舌を噛み千切って殺害するというおぞましい事件に、「キャー、怖いー!」と黄色い悲鳴を上げながらも、「ブームなんです!」と、冗談に舌を噛み千切ると使う。なんとも不快で堪らない。

(ああ、もう。だから、用件は何。早く言えよ。いい加減にしてくれよ)

 平静を装いながらも、苛々は募る。

「ぼーっとしてたら駄目です。夏バテですか? 顔色、悪いですよ! ちゃんと食べてます? お酒ばっかり飲んでいないでしょうねえ。栄養のある物、摂取しないと。それでね、コンプレックスの話なんですけど……」

「はい? コンプレックス?」

 意外なところへの着地に驚いた。

「あの……谷口さん、解ります?」

「はい? 何が解ります? いったい、なんの話をしてるの。勿体付けないで、言いなよ!」

 声を掛けたのは僕だけど、わざわざ他の人の目を避けたのは、田嶋幸奈だ。

 僕は、自分の口にしたいことを、相手に振って、相手に当てさせる、みたいな言い回しも、嫌いだ。

「見て……私の何かが変化したの、解ります?」

「だから、何が!」

 案外気の長い僕だが、さすがに苛立ちが、刺々とげとげしさとなって、強い口調に表れた。

 田嶋幸奈が、顔を赤らめる。ここで、顔を赤らめるのが、ますます解らない。僕は、怒っているんだ。

「あの……実は、下着を……ブラジャー、変えたんですよ」

「はあ?」

 新手の軟派かと思った。

 朝から、なんて奴だと思った。

 時と場所を選んでくれたら、新手の軟派にも乗るに違いなかったが、この時は違った。好感を抱いていた田嶋幸奈は、ひたすら嫌な奴になり、猛烈に腹が立った。

「ねえ、なんなの? 呆れたよ。朝からそんなつまんない話? それで、僕を強引に隅に連れて来たってわけ?」

 ほんのり赤く色づいていた田嶋幸奈の顔色は、一気に白くなった。

「あ、あの……ぺちゃぱいの話、私、谷口さんにしちゃったでしょう? 強烈なコンプレックスで死にたくなるくらいって……盛る下着で隠してるって。でも、盛ってるのが、なんだか恥ずかしくなって……盛り過ぎないのに変えたんです。自信、持ちたくて。だけど、自分ではもう、ぺちゃぱいがばれる、みんなにばれる、って。朝から手にも背中にも、変な汗たくさん掻いて」

「あっ、ああ? 僕に感想を聞きたかったの?」

「解るかどうかだけ、聞きたかったんです。だから、勇気出して、隅まで連れて来たんですけど……恥ずかしいし、やっぱり谷口さんに尋ねるのも変だしって……なかなか言い出せなくって」

「ああ、それで。関係ない話をやたらしていたって訳か……」

「ごめんなさい。いずれにしても、谷口さんにしてみたら、『朝からくだらない話』でしたよね。でも……すぐに気付かなかったんですよね? まあ、私の胸なんか、誰も気にしちゃいませんよ。解っているんです。バッカみたい! なのに、なんでこんなに、自分では嫌なのかしら。なんでぺちゃぱいがこんなに……本当に、申し訳ありまあせんでした!」

 田嶋幸奈は、もう、僕の顔を一度も見なかった。出勤して来る皆の間を、そそくさと抜けて、小さく消えて行った。

 その後ろ姿を見ながら、ようやく、僕は僕で、彼女の心を強烈に抉ったのに気付いていた。

 僕は、女心ってのに、疎かった。

 鈍い僕だからこそ、彼女はむしろ安心して聞けたのだろう。

 僕はただ、疎いままに、さらりと流せば良かった。

「下着? ああ、ブラジャー変えたの? へえ。全然解らない。まあ、僕は鈍いからね。でも、な~んにも気にする必要ないよ!」

 だけど僕は、自分の心には神経質だから、自分の望まない田嶋幸奈に、ひたすら腹を立てていたというわけだ。

 僕の、気の利いた鈍感な一言で、彼女は今日一日、いや、もしかしたら未来永劫、安心して仕事に取り組めたかもしれないのに。コンプレックスの門を、解放したままにできたに違いないのに。

 新手の軟派でもなんでもなかった。異常なコンプレックス克服のために、彼女は大事な一歩を踏み出した。僕は、大事な一歩で、思い切り扱けさせたに違いない。

 しかし、コンプレックスとは、そうまで人を苦しめるものか。

 僕は特別な美男子でもないし、頭脳明晰でもない。性格には多々問題はあるし、嫌いな自分は確かにある。

 でも、田嶋幸奈の言葉を借りれば、死んじゃいたくなる程のコンプレックスには、さいなまれていない。きっと、幸せなのだろう。

 過去の記憶の曖昧な、あの、喋りかたに癖のある少女を思い出していた。

 幼い時に、皆に舌が変だと罵られた。長いのならば、ちょん切ってしまえとまで揶揄われた。

 揶揄った? あれはやはり、苛めたと呼ぶのではないか。幼かったからしかたない、で済ませるのは、卑怯だ。

 僕は、気にならないほど鈍かったけど、そんな僕にだからこそ打ち明けた少女を、先ほどの田嶋幸奈のように、僕は思い切り、けさせたかもしれない。

 僕は、相手の思いに気付けなかった。

 実は相手は、酷く傷付いたのかもしれない。

(気付かないは傷つかない。だからって……だけれども……気付かないは、相手には平気で傷を付けるさ!)

 上手い格言ができたと、喜んでいる場合じゃない。

 田嶋幸奈は、かなりの大人だ。僕の無神経に、顔面蒼白にはなるが、何故なぜ顔面蒼白になったかを、僕に教えられる。

 無神経で鈍い、僕みたいな男には、きちんと告げてくれないと解らないことが、往々にしてあるのだから。

 しかし、あの少女は、まだほんの子供だった。幼かった。

 僕等も子供なら、彼女も子供だった。

 彼女にとって、〝舌〟はコンプレックスだったのでは? 傷ついていたのでは? 実は僕に、助けを求めていたのでは? 〝舌〟は彼女の……

(なんてことだ!) 

 僕は本当に鈍い。

 それが関係あってもなくても、僕はすぐに、あの少女のあれからを辿らねばならない。

                              つづく

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