第9話 山口の彼女の予言
「僕の閃きは、ぶっ飛んでても、確かなものに違いないのに!」
自信に充ちた気持ちも、日が経つ内に薄れ、それと同時に、事件への興味も薄らぎつつあった。山口からの連絡もないまま、一週間が過ぎようとしていた。
僕は真面目に署に赴き、淡々と仕事を熟す。仕事帰りに買い物をして、家に帰って、ビールやビールもどきを飲む。
色とりどりの缶を買うのは相変わらずっだったが、そこから缶を選ぶのにも、ワクワクなんてしなくなった。手前から、どうでもいいからと取り出しては、乾いた喉に流し込む。
酒は、水分にはならない。でも、そんな事実を語りたいわけでない。飲んでも飲んでも、なんとも渇きが治まらないのは、乾いているのが喉ではないからに違いない。求めているものが違うのだ。
だからと言って、どうにもならなかった。
自分をごまかしても、やはり、山口からの連絡を待っていたのだ。
何食わぬ顔で、こちらから連絡すればいい。
「で? どうなってるの? 事件は」
しらっと聞けばいい。だのに、つまらない意地から、どうしても自分から電話を掛けることが出来ずにいた。
さらに、事件の話を聞きたいのが本心でも、電話をすれば、山口の彼女への興味のほうが、実は俄然勝っている自分が出るのかもしれない。と、懸念している。
つまらない男の見栄だと思う。
小さな器の自分を認めたくない。しかし、小さな自分を打破するだけの器量も、持ち合わせていない。自分はどんどん乾く。
「誰か、
渇望している。まことに勝手である。
だがようやく、僕の勝手な祈りが山口に届いたらしい。
山口からの電話に、彼に見えないのを承知で、小躍りした。下の階に住む人、床が小刻みに、でも、けっこう派手にバタバタと鳴ったでしょう。踊ったんです。ごめんなさい。
「もしもし。俺。この前は悪かったな」
「いやいや。こっちも、まさかデートだとは思わなくて、悪かったよ。しっかし、自分に彼女がいないから、てっきりお前にもいないと思い込んでいた。馬鹿だわね。おかしな自分にも、びっくりよ」
言葉を交わせば、あれほどやきもきしていた気持ちが、さりげなく言葉となった。
「裏切られたわけでもないのに、裏切られた気分になってたねえ、俺。ハハハッ。笑ってごまかしてんのよ、今も。やっぱ、お前に惚れてるんじゃね?」
「うん、そう思ってたよ」
山口は、僕のノリに合わせているのだろう。でも、どこか気まずそうである。山口の深刻な口調では、僕がまるで、本当に山口に惚れているみたいな空気になる。
僕は、慌てる。
「アホか! 世の中、色々な人がいるのは解ってる。でも、俺は女が好きよ! 間違えないで!」
「あ、ああ。そうか」
どうにも歯切れが悪い。
「で、お前。彼女はまあ、どうでもいいわ。どうでもは良くないけど。そこじゃないから! 事件だよ。事件はどうなったのさ。二人目まで詳細をメールで知らせておいて、『またな!』って締め括ったまま、三人目については、一週間、何も言って来ないってどうよ!」
「いやあ、悪かった」
「そりゃあ俺は、事件の担当でもなんでもないさ。だからお前がお仲間と、事件を解決した。もしくは、目星が付いた。もう、部外者の俺の意見など不要になった。って話なら、それでいいさ。同業者だろ? 一番に何が大事か、そこさえ忘れてなけりゃあ、他のことは二の次! どうなったんだよ、事件は!」
少しの嫌味と少しの皮肉を練り込みながら、なんとも男らしく立派に意見して、僕はだいぶん胸の
「あ、ああ。ホントにすまん。事件は……まだ、犯人は捕まらない。それがその、ちょっと奇妙な話になって……」
奇妙な話とは、なんだ。曖昧な物言いでは、まったく解らない。
「その……なんだか言い難いんだが、その、あのだな」
(じれったいなあ! 勿体付けずに言え! 今のお前は、まるで俺みたいだ!)
心の中で叫ぶ。伝わったとは思えないが、山口の口調が変わる。
「おい、谷口。お前、今、時間あるか?」
「ああ? あるよ。たっぷりある」
時間なら、明日の朝までだって使える。どうせ、豚バラでも湯がいて、それを摘みに、ビールもどきを何本か飲むだけの予定だ。
「なあ、それならお前、今から俺の家に来ないか?」
山口の家に呼ばれるとは思わなかった。親友だが、プライベートには立ち入らず、家を訪れた経験もない。
「お前の家って、埼玉?」
「あれ? 俺、そんなこと話したっけ?」
僕だって、推理くらいする。馬鹿にしてもらっては困る。
「いや、聞いたことない。ただ、一人目の被害者の歯医者が、埼玉県浦和市だっただろ? お前がそこの管轄の警察署に勤務しているなら、家もその辺りなのかなって、勝手な推測に過ぎないよ」
「なるほど……さすがだな。まあ、東京に住んでます、と言える程度の埼玉県だよ」
「つまらないとこで、濁すなよ。変な見栄だな。お前、まだ外なんだろ?」
山口の話し声の向こうから、車の音や人のざわつき、歩行者用信号機の音が、漏れ入る。
「なら、俺の家に来いよ。二人目の現場を忘れてやしないだろ? 俺の家、その現場のすぐ近くだから。俺、すでに家ですっかり寛いでるのよ。一人でさ! 彼女、いないから! お前がどこにいるのかは知らないけど」
「……それじゃあ、そうさせてもらうかな。一時間以内で行ける」
「ゲンバに着いたら、電話くれ」
電話を切る。
四十二分後に、山口からふたたび電話が鳴る。迎えに行き、二人で近くのコンビニで、酒と摘みを買う。
僕のマンションに戻ったのは、午後九時を少し過ぎた頃だった。
夜中三時過ぎまで、ポテトチップスやさきいか、パックの漬物やサラミを、口に入れては酒を一口流し込む、を繰り返した。
山口が酒を飲みながら、ぽつぽつと僕に聞かせた話は、確かにかなり奇妙な話だった。
山口には彼女がいる。
彼女は、頭が切れて面白い発想をする女性だと、山口は述べる。
彼女は、今でこそ山口が刑事であるのを知っているが、付き合い始めた頃は内緒にしていたらしい。
山口は、簡単には人を信用しない。だから、自分について詳しく語るなど、滅多にないそうだ。
僕に自分の色々を語らないのも、ただそこから来ているのかと、ちょっとがっくり来る。自分と山口は特別な関係だと、十年以上も思っていたから……。
しかし、ある事件を担当していた時、事件とは無縁の話から、彼女の実に豊かな想像力に因る話を聞かされる。それが、事件の解決となるヒントを山口に与える。彼女の話が、事件解決に大いに役立った。
山口は、異常な興奮に包まれたそうだ。感動のあまり、彼女に、「実は刑事だ」と、初めて明かした。
彼女は、そんなこと、とっくに解っていたわ、という顔をしながら、
「あら、そうだったの。オドロキ!」
とさらりと述べた。
今回の事件で、行き詰っていた山口は、また、ヒントをくれたらどんなに助かるだろうと、大雑把に彼女に事件の話をした。それはまだ、三人目の被害者が出る前のことだと言う。
彼女は、少しばかり眉を顰め、嫌な顔をした。
「ねえ、それ。二人じゃ終わらないかもしれないわね」
山口はその瞬間、なんて怖い女だと思ったらしい。だから逆に、思い切り笑い飛ばした。
「キミって、オカルトとかホラーとか、好きな人? 眉を顰める顔が、なんか、楽しそう」
「そうかもしれない。でも、勘違いしないで! そんな事件は、早く解決して欲しいわ。もう犠牲者は出ないで欲しい。でもね……なぜかしら。哀しい事件の予感がするのよ。犯人は、狂ってはいるけど……きっと、探しているのよ」
「探している?」
山口には、訳が解らなかったらしい。
でも僕は、聞いていて息を呑んだ。食べ掛けのさきいかが引っ掛かって、咳き込んだ。必死に、口に挟まったままのさきいかの先を引き、えずきが治まるのを待つ。
山口の彼女の台詞は続く。
「だって、麻酔とか睡眠薬とか使わないで、舌を噛み切られていたのでしょう? 親しい間柄……仮にそうでなくても、被害者は犯人に、とても気を許していたってことになるわ。その上、一人では終わらなかった。間違えたのよ。違うのに気付いて、殺すに至った。だから、本物を探して、次を殺害。それが〝当たり〟に辿り着くまで、続くのよ。〝当たり〟があればの話だけど」
山口には、どうして彼女が、そんな考えに行き着くのか理解できない。ヒント欲しさに話をしたが、彼女の話は、危ないだけの発想だと感じたらしい。
「二人目は、当たりだったのかしら? 違う気がするのよねえ。こんなこと言うのは本当にいけないのだろうけど……もしかしたら、ちゃんと間違えたのかも。ターゲットは、彼女の拘りで取ってあるのかも!」
山口は、恐ろしさに身の毛が弥立つほどだったらしい。
まあ、自分の彼女の口から語られれば、世の中の男の九割は怯えるだろう。彼女を傷付ければ、いつか自分も、拘った殺され方をするのじゃないか、まで、想像して、ちびりそうである。
ましてや山口は、犯人が女とも言ってない。だが彼女は、はっきりと犯人を、〝彼女〟と呼んだ。
あまり物事に動じない山口だが、その時は本当に怖くなった。
「きっと、この俺が、相当怯えた顔をしたおだと思う」
山口がそう言う。
勘のいい彼女は、
「嫌だ! 私を危ない女だと思ったでしょう。そんな顔しないでよ。私、そういう、お話が好きなだけ。面白いから、よく本を読むのよ。ごめんなさいね。実際の事件を追ってるのに。面白半分の推理、するものじゃないわね」
「いや、いいんだ。聞いたのは俺。キミの仕事ではない。面白半分の推理でいい。実際、犯人だって、お話を読んで、変な拘りの殺害を犯すこともあるだろう。過去に、そういう事件もたくさんあるよ」
彼女には、そう告げた山口だが、僕には言い訳する。
「お話読んで、『やってみたい!』で殺されては、被害者は堪ったものじゃない。だけど、確かに世の中には、殺人に自分の美学や哲学を当て嵌める輩もたくさんいるよな。だから、自分が刑事だという事実を、その時だけは棚の上にでも載せて、あくまで彼女の想像のお話を、楽しんで聞くと決めていたんだよ」
山口が、酒を流し込む。
「酒を飲み、気分揚々。さあ、お話を、面白く聞きますよって、彼女を怖がるのを止めた」
ところが、彼女のほうが、急に表情を固くしたのだそうだ。
「ねえ、私の想像なんか、もういいわ。ただ一つ、お願いがあるの。秘密事項かもしれないけど、お二人の被害男性の遺体は、何処で見つかったの? 地図上で詳しく教えてくれる?」
山口は、これまた、まるで想像しなかった質問に、何故だか逆らってはいけない気がしたらしい。どうせ、マスコミにも知られているのだしと、彼女が差し向けたタブレットで地図を開き、素直に二か所を指差した。
「こっくりさんに操られたのではないかと思った」
さきいかをしゃぶりながら、山口が呟く。
ここで、注釈を入れなければ!
山口は、
僕があまり彼について詳しく知らなかったとしても、そこは確かだ。犯人が、変な呪いに嵌っていたなら、それを動機ともするだろう。だが、自らが、こっくりさんに操られてなんてあやふやを、状況説明には使わない奴だった。
話を聞きながら、僕まで奇妙な感覚に陥る。みんな、何かに憑かれたのではないか? 酒だけのせいではない。
「俺が指で差した二か所を、彼女は暫く眺め、指で辿ったり、地点を指差したりしながら、しばらく考えていたんだよ」
それから彼女は、いきなり、叫んだそうだ。
「次があるなら、ここよ! もしも、もしも次が起きるなら、ここか、ここ」
地図の上の、二か所を指差した。
「ないない! 有り得ない! この話は、おしまい!」
山口はもう、根拠を聞くだけの勇気もなく、強引に話を終わらせた。
ここまで聞けば、想像が付く。
三人目の被害者は、彼女が指差して予言した、まさにその場所で、次の日、舌を噛み切られた遺体となって、発見されたのだ。
つづく
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