第5話 事件の詳細、山口からのメール

 飲み込んだビールが逆流しそうになった。

「そんな馬鹿な……」

 山口が、低い声で呟く。

「さすがに参るわ」

 僕はその日、自分がカルビ丼屋で、前に並ぶ夫婦を見て妄想したのを、ことごとく後悔した。

 妄想だ。個人の自由だ。妄想までなら、どんなに醜くひどいことを想像しても、なんの罪にも問われないはずだ。

 もちろん、人格を疑われるようなことを想像するのは、良くないのだろう。でも、しかたないじゃないか。想像が膨らむのだから。僕の想像のせいで、三人目の被害者が出たわけじゃない!

 胸を張って言い切りたいが、やはり、とても後悔した。

「その……聞くまでもない気もするけど、黙っていられないから聞くよ。やっぱり舌を……なんだよな?」

「ああ」

 なにか次の質問をしたいが、出て来ない。

 山口から意見を求められる。

「なあ、犯人には、動機はあるよな? 動機がないってのは……ないよなあ? 俺、連続殺人の件ばかり考えていて、かえって大事ななにかが見えなくなっているんじゃないかって気がして来てさ。事件を追ってないお前がどう見るか、聞いてみたくなったんだよ」

「俺の意見を?」

 僕は時々、山口に釣られて、一人称を、僕から俺に変える。

「お前しかいねえだろよ!」

「……俺は、大人しく舌を噛み切られているのだから、かなり親しい間柄あいだがらだと推測した。三人目も、被害者は男性なんだろ? 俺だったら……その……俺さあ……最中さいちゅうだったんじゃないかって、妄想した」

「最中って、セックスか」

「うん。抱き合って、舌を絡めながら挿入していて、いきなり舌をがっつり噛まれたら、逃げられないだろう?」

「お前って、いやらしい奴だな」

「おい! 真面目に考えているんだよ」

「いや、ごめん。実は俺も、それしかないと思ったよ。でも、やった男の舌を、次々に噛み千切っているってのか? そういう癖があるとか? 三人だぞ! なんか変なまじないでも信じて、舌を食うとか集めるとか、かね」

 自分で想像しているには、意外と罪の意識がなかったと知る。

 妄想を言葉にして口から出し、さらに山口から、舌を食うとか集めるなんて言われると、悲哀に満ちて、残酷なのに美しい絵画は、ただただ醜くおぞましい、地獄絵に変貌を遂げる。

「呪いは、考え付かなかったよ」

「それなら、どんな理由があって、抱き合うまでして、複数の男の舌を噛み切るのさ!」

 山口が、苛立つ。

 僕と山口が、食い違うのは珍しい。山口はいつも、僕がなにか言う前に、僕の気持ちを察したし、考えることもよく似ていた。

 山口の苛立ちに慣れない僕は、逡巡した。

 僕の妄想は、事件の真相とは掛け離れているのかもしれない。そりゃそうなんだ。きっと。舌を噛み切って殺す事件が、美しい絵画であるはずがない。

「いや、その……変な呪いとかを信じてる、変な奴かもしれないよ」

「俺だって、一人の男に殺意が向いたってなら、こう……理由は解らないよ。解らないけどさ。抱き合い、逸物を入れさせ、挿入している今こそ、止めを刺してやるっての? そんな感じの、女の恨みか情念か? 理解したくはないけど、そういう女性もいるかもなって思うよ」

「うん。愛と憎しみ。女の意地? だな」

「でも、三人も男を殺すのに、舌を噛み千切るに拘った理由はなんだよ。そんなもん、どうにも解らねえよ。しかし、解らなければ、この事件がいつまで続くのかも、解らないんだぞ!」

「なあ、セックスの最中に痙攣を起こして、歯を食い縛る、ってのはどうだ? 本人は、発作を起こしたのが解らなくって、気が付くと男が死んでる、みたいな……」

 急に思い付いたそれは、案外、ありそうだと思えた。

「……ああ、なるほど。それは、あるかも。だけど、殺そうとしたわけじゃあないなら、普通、気付いた時に側に人が倒れていたら、そのまま逃げないだろ?」

「それはどうかな。誰だって、そういう場合は、警察とか救急車を呼ばなければいけない!って教えられている。逃げてはいけないって、みんな頭では理解してる。だけど、その行為ができるかできないかは、また、別の問題じゃないか? 逃げる奴が大勢いるから、俺達刑事が追うんだろ?」

「まあ、確かに」

「この世の人間がみんなまともなら、まず、殺人事件は起きない。なにかの事情で人を殺めた人間も、みんな自首して来るだろうよ。本来、そうであるべきだ、だけど、この世の人間は、そんなにまともじゃないんだよ。実際は、全然違うだろ!」

 自分でも驚くほど、僕は熱くなり、山口に反撃した。なにが普通だ! 今更、なにをほざく。

「そうね。まあ、そうね。この世は、まともじゃない人間ばかり、かもな」

 鼻息を荒くした僕の物言いに、山口も気後れしたようだった。僕は、続ける。

「仮に、セックスの最中に、自分の記憶がぶっとんで、気付いたら男が死んでいたとしよう。なあ、消えるわな? 逃げるだろ? こえーだろ? 逃げてもしかたねえって、俺には思えるんだよ」

 僕はここまで口に出してから、しまった、と思った。

 案の定、山口は容赦なかった。

「なんだよ。そうと決まった訳でもないのに、犯人、ずいぶんと庇うじゃないか。いつから弁護人になったんだよ。見えない犯人の」

 電話の向こうで、山口がにやっと笑った気がした。僕のなにかを見透かすのだ。

「仮にだよ! 仮に!」

「仮でもなんでも、そういう女にお前は優しいんだな」

「なにが言いたい! 真剣に考えてんだ! おちょくるなよ!」

「お前、刑事より、弁護士のほうが良かったんじゃないか? それも、変わった女、専門の!」

「なんだよ。いやに絡むじゃないか! お前が俺の意見を聞きたいって言ったんだろうが! 切るぞ!」

 僕は、電話を切ろうとした。慌てた山口が叫ぶ。

「待て! 切るな! 切らないでくれ!」

 僕は、かっとなっても、案外と気が長い。

「なんだよ」

 荒げた声をリセットして、穏やかに聞く。

「悪かったよ。今日、三人目の犠牲者が発見されて……心身喪失よ。お前の推理が聞きたかった。もっと言えば、お前の声が聞きたかった。ほっとしたかった。でも、電話してたら、なんだか呑気でいいなって気になって。執拗に絡んだ。悪かった」

「呑気で悪いか!」

 言い返したが、きっとその通りだろうと思った。

 昔の彼女からの電話にセンチメンタルな気分にどっぷり浸り、散々涙を流し、泣きながら寝たらすっきりして、起きてカルビ丼を食べ、お買い物におでかけしたら、重たくって大変でした、の一日だ。呑気、そのものだ。

 僕には、殺人犯を追うなんて、向かないんだ。盗撮犯とか、孫を装ったオレオレ詐欺のほうが、まだいいさ。

 いやいや。比べてはいけないし、そういうやからのほうが、より、残酷な場合もある。時に、人間的には、殺人を犯していても、盗撮する奴よりずっとまともな感情を持っている場合だってある。

 どちらにしろ、どうか、いけないことはしないでください、なのだけれど。

「俺、本当は勿論、お前に事件の話なんかしちゃあいけない。解ってるだろうけど。同業者でも、関係ないからな」

「つまらないこと、今更確認するなよ。承知してるさ」

「だけど、意見を聞きたい。煮詰まって来ている。事件の大凡を後でメールするから、読んで考えてくれ。勿論、他言無用。お前はそれを守ってくれると信じている。読んで、内容を覚えたら、メールは削除して欲しい。念の為だ。直ぐには送れない。俺、くったくたなんだよ。シャワーくらい浴びたいし、飯も食いたい。今晩中には送るから。じゃ」

 電話は切れた。よほど疲れているのだろう。切れた電話に、十時十三分の文字が並ぶ。

 切れた電話を、いつまでも眺めていてもしかたないと、冷蔵庫からもう一本ビールを出して、勢いよく喉に流し込んだ。

 山口からメールが届いたのは、深夜、一時を過ぎた頃だった。

 よく寝た僕は、深夜のバラエティ番組を見るともなしに眺めていて、終了のテロップが流れ、もうそんな時間かと思っていた。

  

 ピロリロリン


 寝ちゃったよ。そのつもりはなかったのに。

 憶測や感情が入ると、真実は捻じ曲がる。だから、解っている事実だけに絞る。

 一人目の被害者は、岸田佐久也。三十三歳。独身。身長173cm。体重は、大凡68kg。中肉中背。職業は歯科医師。開業医。親の跡を継ぐ。それほど大きくない、【あかねデンタルクリニック】という歯医者だ。埼玉県浦和市にある。

 住まいは、クリニックから近いが、遺体が発見されたのは、クリニック内だ。

 受付をしている女性と、助手(歯科医師になったばかりで、助手として働いている)の男性の二人が、第一発見者。

 第一発見者が二人なのは、少々妙で、疑わしい点もある。

 その二人の証言では、受付の女性がクリニックの鍵を開けようとしている処に、助手の男性がちょうど到着したから、院内には二人ほぼ同時に入った。

 被害者は、ユニット(治療してもらう患者が座る椅子)の上で死んでいた。

 発見された時、拘束された形跡はなく、争った形跡もない。ユニットの上で、くつろいだ感じで死んでいた。

 しかし、白衣のズボンのチャックは開いていて、射精した跡があった。つまり、かなりまぬけな格好で死んでたってわけだ。

 発見した二人は最初、「先生は寝ている」と思ったそうだが、しばらく眺めて、死んでいるらしいと気付いて、警察に連絡。

 死亡推定時刻は、遺体が発見された日の前日の、午後9時から11時くらい。

 因みに、関係性があるかどうかはともかく、発見者である二人は、現在交際中。

「たぶん先生も気付いていたのじゃないかしら」だそうだが、被害者、岸田佐久也には、特定の彼女がいたとは思えない、との話だ。

 隠していたなら解らないけれども、受付の女性は、茜クリニックで働いて五年になるそうで、三年前まで被害者には彼女がいたが、手酷てひどい振られかたをして、それからは、「女はまっぴらごめん」が口癖だったらしい。

 でも、ぼんぼんで金はあったし、女が嫌いってわけでもなかったから、適当には遊んでいたかもって話だ。

 ズボンのチャックを開け、そこから逸物を垂らしたままのまぬけな格好を発見した二人は最初、遊び相手を呼んだのか、自慰行為でもして、そのまま寝落ちしたのか、くらいに、こっそり大いに笑いものにした。「写真撮って、拡散しちゃう?」と、あくまで冗談で、こそこそひそひそ、近くで眺めて笑っていた。本人たちがそう言うのだから、確かだろう。どうも様子が変だと気付いて、呼吸もしていないのではないかと気付いて、ようやく警察に電話だ。

 死んでいた。殺人と判断された。その事実が確かとなって、再び二人に聞き取り捜査が行われた。

 二人の顔は、殺人と解ると、真っ青だった。そりゃあそうだろう。写真撮って、笑いものにしてやろうと思ったまぬけな格好は、殺された姿だったのだから。

 三年前まで交際していた彼女についても調べたが、とりあえず白だ。違う歯医者と結婚して、一歳になる娘がいる。被害者とは、別れてから連絡は取っていないそうだ。しかし、歯医者が好きな女なのかね、元カノは。

 ああ、つい、つまらない感想が。

 被害者は、どこかだらしなく、頼りない感じはあるが、恨まれたりするような人には思えないと、患者も、発見者の二人も、元カノも、口を揃える。

 仕事に熱心だった感はないが、金銭的トラブルや、仕事上の問題は特にない。

 次。二人目は、お前と会っただ。

 現場は、知っての通り。

 遺体は、雑居ビルと小さな工場の間で発見された。ちょうど1mくらいの通路になっている。

 殺害時刻は、前日の土曜深夜から日曜に掛けて。通路自体は狭いが、公園も近く、決して人目に付かない場所ではないのだが、発見されたのは、日曜のあの時間だ。

 被害者は、大河内源おおこうちげん。妻子あり。身長168cm、体重は75kg。発見現場の通路の脇の、小さな工場の持ち主だ。つまり、社長だ。

 遺体が動かされた形跡はなく、あの通路で殺害されたと見られる。

 なあ、外だぞ! 雑居ビルには人がいなかったのかって? いたんだよ。だが、目撃者なし。

 工場の持ち主だから、当然、雑居ビルに出入りしている人間の幾人かは、顔を知っている、のに。

 工場は、板金工事と板金塗装の仕事で、二人の従業員と、バイトみたいのが二人、働いている。バイトの二人は、まだ、働き始めたばかりだ。従業員の二人は、勤めて長い。

 仕事柄なのか、今時の若者だからなのか、社長の大河内は、真面目ならば、バイトから従業員にしてやろうと思っても、みんな続かない連中ばかりで、このバイトについては、しょっちゅう人間が変わって来たって話だ。だから、恨まれているとかそういうのは、辞めていった若いのも多くて、はっきりとは解らない。

 でも、人柄は温厚だし、誰かと揉めるのを目撃した人間もいない。

 見た目、無骨で、女にもてるタイプとは言い難い。従業員の話では、「俺はもてないし、話は下手だし、結婚したくてもできない」とずっと言っていたのに、三年前にどういう訳か、急にマッチングアプリを始め、あれよあれよと言う間に、結婚が決まったのだとか。

 奥さんは、びっくりするほどの美人。(いやいや、またもや余計なことを)オフィス機器の会社でずっと働いていて、一人で暮らせるだけの十分な稼ぎもあったらしい。でも、大河内源を選んで結婚。

 当然、奥さんにも会った。

 一人で暮らせるだけの稼ぎのある美人だぞ! 結婚したいなら、たぶん、もっと好条件のイケメン、いっくらでもいただろう? 怪しい! 怪しさ満点だ、と思った。

 ところが彼女は、消沈していて、話を聞くどころではなかった。

 演技かとも疑った。だから、何度も訪れた。しかし、未だに消沈していて、あまり話はできないでいる。

 旦那が殺されて打ち拉がれているのは、本来、あるべき姿だわな。

 でも、アりバイは、あってないようなもの。

「一歳の娘がいるんです。家にいました。当たり前じゃないですか……」と言う。

 殺されたのは、土曜の深夜だが、その日、大河内源は、夕飯までは、一日家にいたそうだ。家族と一緒に夕飯を食べた。娘を風呂にも入れている。その後、「ちょっと出て来る」と言い置いて、夜の八時半頃、出て行った。

 娘が生まれてから時々、娘のことはとても可愛がっていたが、一人になる時間も欲しいと、ふらっと出掛けることがあったらしい。

 奥さんは、自分もたまに一人になりたくて、そういう時は、大河内源が、娘の面倒を見てくれたので、旦那が出掛けるのも、特に咎めてはいなかった。

 ただ、殺されたのは、土曜から日曜に掛けての深夜だ。発見されたのは、日曜の昼近い。夜遅くまで帰らないのは、まあ、男なら仕方ないと思ったとして、土曜の晩に「ちょっと」と出たまま、日曜の昼近くまで帰らなければ、心配しなかったのかと、疑問に思うだろう? そう尋ねた。そうしたら、泣き始めた。電話もしなかったのか、とも尋ねた。泣いていた。「電話すれば良かった。そうすれば、殺されなかったのかもしれない」と。

 大河内の携帯電話は、すでに警察が調べていた。遺体の上着のポケットに入っていたが、奥さんからの電話は入ってない。

 奥さんは、旦那の浮気は、まるで疑っていなかったらしい。

 無骨でもてなくても、家庭的な男を、安心だと選んだのかもしれない。もてないほうがいいと、思ったのかもしれない。ああ。つまらん憶測だ。

 遺体に、着衣の乱れはない。こちらは、ズボンのチャックも閉まっていた。だがな……やばいのよ。遺体は、勃起していた。それもしっかりと。ズボンを内側から突き上げ、テントを張った状態のまま、死んでいた。これはもう、俺たち、一人目の被害者も見た刑事にとっては、まぬけな格好だなんて笑えない。

 恐怖だ。

 少なくとも俺は、恐怖で、身が震えた。

 突然死の場合、男が勃起状態で死んでいても、不思議ではないらしい。勃起したのが原因で、血圧や心臓に異常を来たし、死に至ったと考えられる場合も多い。

 だがこれは、殺人だ。それも、舌を噛み切られたことに因る、窒息死だ。

 それなのに、なのか、それだから、なのか……勃起してんだよ、遺体。怖いぞ!

 二人の被害者が、まるで同じ、ではない。でも、遺体に舌はない。噛み千切られている。

 だから、俺たちは戸惑った。

 一人目だけなら、行為の最中に舌を噛み切られたと考える。しかし、二人目は少なくとも、行為までには至っていない。

 俺が混乱しているところに、お前が再び、「最中だったのではないか」と抜かす。こっちもイラっとするわな。

 お前の推理できそうなことは、俺ならとっくに推理してる。そう、高を括っている自分がいる。

 でも、そうじゃないんだ。

 お前の推理にはっとさせられ、焦らされる。意見を聞きたくなる。そういう己がいるんだよ。

 二人目の途中までだが、今日はここまでにさせてくれ。

 前にも言ったが、死因は、舌を噛み千切られたことに因る、窒息死だ。

 どんなに、白とは言い切れない疑わしい人物が浮上しても、唾液が違えば、実行犯の可能性はゼロだ。

 その辺りも、思い込むとろくなことにはならないから、何度でも可能性は探るけどな。

 明日も……うわあ! もう、日にちが変わっちまったじゃないか! 今日だよ! うへー、今日だぞ。また忙しい! ガックシ

 電話は、無駄話が増えると思ってメールにしたが、これも骨が折れるな。

 質問があったら、まとめといてくれ。

 じゃあ、また。

 犠牲者がこれ以上増えないように、協力を頼む。

                              やまぐち

 

 山口のメールで、事件のあらましが具体的となった。


                                つづく


 


 


                            

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る