白ノ宮 2

 白花紀六五七年。まだ先代である十七代目の大巫女が登極とうぎょくしていた時代のことだ。


 白ノ宮の西に、深い森に囲まれた墓地があった。長大な白木の塀が囲い、小さな石塔が奥からびっしりと並ぶ一画だ。


 その夏の盛りの日、狂おしい蝉の鳴き声の中で、巫女たちは墓地に集まっていた。いずれも忌事に用いる白袴に、浅い笠をかむっていた。


 細目の巫女――雪凪ゆきなは墓地に掘られた深い横穴の前で、棺桶が沈められてゆくのを見ていた。このとき雪凪はよわい十九を数え、二位巫女となったばかりだった。


 巫女たちは浄歌を奏じながら、穴の中の棺桶に白花を落としてゆく。――そんな中、雪凪は白花を胸に抱き、問いかけていた。棺桶には一位巫女の菜玖なくが納められていた。


(菜玖様……。いったいなぜ、かように早くに。いったいわたくしは、これからどうすれば……)



  *



 白ノ宮の正門の左右には、黄金色の甲冑を着た守護が、鉾を持って立っていた。


 沙耶が横を通ると、彼らは直立したまま頭を下げた。後ろから蓮二の足音がついてくる。


 門の奥には石畳が広がり、白木造りの兵舎や宮が立ち並んでいた。一人の幼い巫女が箒を操る手を止めて、丸い目で見上げてきた。


 辺りには白木の、ひのきの匂いと石畳の匂い、それから摘んだばかりの、白花の爽やかな匂いに満ちていた。


 奥には本宮の二階へ続く、これも見事な白木の大階段が見えた。大階段には銀色の手すりに飾られ、守護や、白花や祭事の道具を運ぶ巫女が列をなしていた。



「変わらねえなァ」と蓮二の声がして、沙耶は振り向いた。蓮二は顎を撫でながら、周囲を見渡していた。


「ええ。変わらぬようですね」

「ああ……。果たしてこれから、どうなるんだろうなァ」

「おそらく、宿舎などをあてがわれ、そののち、報奨金などの説明が、あろうと思うのですが……」

「ちッ。そういうことじゃねえ」


 そう云いながらも、蓮二はなにかを探るように、辺りに視線を向けていた。沙耶はそんな蓮二に云った。


「やはり、あの左利きの巫女を……」


 蓮二は一瞬鋭い目をした。――しかし、それが見間違いだったかのように、目元を緩め、口を歪めた。


「とりあえず、だ。まずはゆっくり、休ませてもらいてえもんだ。――歩き通しで、クタクタだからなァ。それによォ。夕餉には、さぞ豪勢な飯でも、食わせてもらえるんだろうなァ」

「そ、それは、なにかしら相応の慰労はあるでしょうが。白ノ宮は、料亭や旅籠ではありませぬ。そこは、ご理解ください」

「けッ。そうかよ」



 沙耶はある足音に気がついた。近づいてくるのは、沙耶よりも少し背が高い巫女だ。思わず声を上擦らせた。


「ゆ、雪凪ゆきな様!」


 雪凪は足早にやってくると、やや顔を上気させて、


「沙耶……。本当に、沙耶なんだね」


 そう云って両手を伸ばし、旅で汚れた小袖を掴んできた。雪凪は抱きしめることはせず、踏み留まるように目の前に立ち、目を潤ませた。


「もう、会えないと思っていたんだ……。沙耶……」

「わ、わたしもです。雪凪様……」


 沙耶は右手を伸ばし、控えめに雪凪の手に触れた。


「聞いたよ……。大巫女様から」


 そこで沙耶はびくりと、右手を離した。


「大巫女様……から」


 雪凪はふいに真剣な目をした。


「ああ。実は大巫女様は、この白ノ宮から、日暮ノ峡の様子を覗いていたんだ。さだめし、水鏡の呪法などによるものだろう。――沙耶が無事に、役目を遂げられるように。――そしてそこで、大巫女様は、信じられぬものを見たと、仰せになったんだ」

「信じられぬもの?」

「そうだ! 沙耶は水奈弥ノ神と力を合わせ、これまでに見ぬ浄めの力を持って、かの忌神を浄め、退治したのだと……。ゆえに、西の瘴気の滞りがなくなり、瘴気禍は失せてゆくだろう、と。――そう仰せになったのだ」

「な、なんと! そんなわけは……」

「そればかりではない。沙耶はさらに、失われた、白花芽ノ神という、古代の偉大な神を蘇らせたのだと。そうも仰せになられた」


 沙耶はそこまで聞いて、恐ろしくなった。おのれの小袖を抱いて、後ずさった。


「おいおい、どうなってやがる……」と蓮二は呆れたような声を出した。


 雪凪はふいに顔を近づけてくると、囁くように続けた。


「――とにかく、そんな話が白ノ宮には、広められている。――だからさ、それに合わせておくんだよ」

「え?」

「なにも云うな。――沙耶。あんたが帰ってきてくれた。わたしは、それだけで十分なんだ。――それを、奪わないでおくれ」



 沙耶はその言葉を聞いて、さながら狭世の得体の知れぬ領域に落ちてきた心地で、白ノ宮の境内を見回した。――巫女や守護たちは、畏怖の目で、あるいは好奇の目で、沙耶を見つめてきていた。


(そうか。冥摩ノ神は退治され、それとは別に、わたしが白花芽様を蘇らせたと。――そういう途方もない筋書きを、考えたというのか……)



「沙耶、疲れているとは思うけれど。のちに、大巫女様の、執務室にきてほしい。――大巫女様が直々に、話があるとのことだ」

「大巫女様から、話が?」

「ああ。落ち着いたら、本宮へくるんだよ。――それまで、宿舎で着替え、湯浴みでもして、身を浄めるといい。――そちらのお侍も、客間へ案内させよう」


 と雪凪は蓮二を見た。


「わたくしは、雪凪と申す、巫女でございます」


 蓮二は苦い顔をして、


「聞いたことはあるぜ、烈賀王の巫女。――おまえが、沙耶の姉貴分か」

「蓮二殿……。こたびは過酷な道中、沙耶をお護りいただき、おありがとうございました」


 深く頭を下げると、また顔を上げて、


「その大恩に対しては誠にささやかながら、ご慰労のおもてなしを、用意いたしましょう。――それに明日、お礼金のお話も、いたします」

「ああ。そりゃ望むところだ」

「恐れ入ります。それでは、午後の務めがありますゆえ」


 すると雪凪は、近くにいた守護に右手を挙げた。守護の青年は甲冑を鳴らして近づいてくるに、雪凪へと膝を折って頭を下げた。そして恐る恐る、といった様子で云った。


「何用でございましょうか……」

「こちらの蓮二殿に、お部屋と、それから諸々のお世話を」

「はッ。かしこまりましてございます」


 守護は大きな声で肯んじると、一礼して立ち上がった。


「さ、蓮二殿、どうぞこちらへ……。ご案内いたしまする」



  *



 守護の眩しい鎧兜を目を見ながら、蓮二は境内を歩いていった。


「なあ、一つ聞きてえんだがよォ」


 守護は振り向くと、


「なんでございましょう、ご客人……」

「左利きの巫女を、知らねえか?」

 守護は不思議そうに、「なんと。左利きの巫女、ですと?」

「そうだ。実は恩義があってなァ。ガキの時分に、宮の、左利きの巫女に助けてもらってなァ。せっかくだから、礼を云わねえと、気が済まなくてよォ」

「助けてもらった……。いったい如何なることが、あったのですか?」

「ああ。村が瘴魔に取り囲まれて、襲われそうになってきてな。そこに、兵を連れて、その偉い巫女が助けに来てくれたんだ。名前も知れねえんだが。左利きだ、ってことは、わかってんだ」


 守護はしばし天を見て、考える素振りをした。


「ふむ、そんなことが……。なるほど、左利きといえば、まず何人か思い当たりますが。――さりとて、瘴魔に対するために兵を率いるようなお方は、限られましょう。それに、左利きともなると……」

「いねえのかよ」

「いえ、昔のことはわかりませぬが。――それこそ、大巫女様くらいでしょう。――護衛のためにお付きしたときは、左手で文を書かれてらして。――それに、以前はを指揮されることもあったと。そう聞いたことはございます」


 蓮二は喰らいつくように守護を見て、


「そうかよ。参考になったぜ。ちなみに、大巫女――様は、どこに行きゃ、会えるんだ?」

「は、はあ。本宮の、謁見の間か、執務室か、居室などにおられるでしょう」



 蓮二が案内されたのは、慶紗けいさノ宮にある客間だった。畳の敷かれた八畳ほどの瀟洒しょうしゃな部屋で、白く光立つ障子には白花と小鳥の模様が描かれていた。白い小皿には香が焚かれており、どことなく梨を思わせる匂いがした。


「よろしければ、新しいお召し物を、ご用意いたしましょう」


 守護はそう云い残して去っていった。蓮二は自身の着流しを見下ろして、密かに呟いた。


「けッ。小汚ねえで、うろつくな、ってか」

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