帝都騒乱 7

 武士たちはの足に向かって槍を突き立てるも、雲を突くようなものだった。炎を槍で突いて、なんの手応えがあるものか。


 それでも武士の一部は、炎の中に黒く燻る骨組みを狙ったようだ。すると槍自体は刺さった様子ではあるも、そもそもそれしきの痛痒は、巨人に気づかれもしないようだった。


 巨人は歩を進めるだけで武士を慄かせ、すれ違う家屋に火を移し、朝の南通りを震撼させた。


 一方で町人たちは巨人を唖然と見上げ、火津真ノ神への祈りを捧げたり、ひたすら叫び声を上げたり、水桶をもって走り回ったりしていた。


 哀れなことに正気を失って身動きの取れなくなっていたであろう、巨人の足元にいた武士は、一人、また一人と踏み潰されて焼かれた。



「おい、逃げるぞ。あんな火事のバケモンに、構っていられるか!」


 蓮二の声がするが、沙耶は踏み留まる。


「瑠璃女様が引き起こしたこととはいえ……。いえ、だからこそ、同じ宮の巫女としてあれを、なんとかせねば」

「いい加減しろって、くそッ。倒せるわけがねえ!」

「倒せるかはわかりませぬが……。それより、集中させてください。止められぬものか、確かめてみたいのです」

「なんだと? なんて云った?」


 沙耶は目を閉じると、深く息を吸った。



 通りに満ちていた喧騒が遠くなり、幽暗とした世界が立ち現れる。


 狭世の側から巨人を見上げると、頭のあたりには禍々しくも赤黒い、光の核のようなものが見えた。――沙耶はそこへさらに意識を向ける。


 火津真ノ神の存在を感じはするものの、であるはずはなかった。やはり瘴気と憎しみがもたらした、間違った、不完全な神の顕現のようだった。


(もっと調べれば、なにかわかるかもしれない……)


 沙耶はその神ならぬ巨人の核へと同調する。心の中に赤い波を生み出し、それを遠い核へと流してゆく。


 ――刹那、赤黒く光る二つの目が光った気がした。巨人の意識が確かに、沙耶へと向けられた感じがした。


 沙耶は恐怖と寒気に襲われながら、暗闇へと墜落した。長い墜落の果てで……。



「おい、目を醒ませ! なにやってる」


 呼びかけてきたのは、蓮二の声だった。沙耶が気がつくと、沙耶は通りに立って、蓮二に肩を支えられていた。蓮二の背後で暴れている巨人が、首を捻り見つめてきた。――目が合った。


 ついで、巨人は武士たちに背を向けて、沙耶に向かって足を上げた。焼けた丸太の如き足が目の前に落ちてくると、熱気の壁が押し寄せてきた。



「うう……。わたしは……」

「どうなってやがる。こっちに来るぜ!」


 蓮二に引っ張られ、沙耶は走り出した。


「おい、なにをした? どうなってやがる?」

「わたしは、見つかったようです……」

「なんだと? よくわからんが。おまえに、意識が向いてるってことか?」

「はい、そのようで……」


 背後からは人々の叫び声と、炎の燃え盛る音。それに断続的な地響きがする。背中が焼けるように熱い。


「燃えるぞー!」「逃げろ!」「火を消せー!」


 人々は混乱の中でがなりあっている。巨人はしつこくも、沙耶を追ってくる。


 住居や茶店の並びを越えて丁字路に差し掛かった。先には行き止まりが見える。


「くそッ。こっちだ」と蓮二は目抜き通りの方へゆく。沙耶も追いかける。巨人はやはりついてきている。


 蓮二は息を切らせながら、こんなことを云った。


「沙耶、おまえはこのまま、まっすぐ行くんだ。いいな!」

「ど、どういうことですか……」


 蓮二は目抜き通りまでやってくると、左に折れて行ってしまった。沙耶は蓮二に呼びかけようとしたが、口を結んで前を見た。


(そうか。これは、わたしが選んでしまった道なのだ……。蓮二さんまで、巻き込むわけにはいかない)


 沙耶は背中に熱と地響きを背負いながら、ひたすら駆けていった。やがて道の先に突き当たりが見えてきた。



 足がふらついて、もつれて転んだ。草鞋を履くときに、よく締めておかなかったせいか。右の草鞋が後方に落ちている。その草鞋の上に、燃えた黒い丸太が落ちる。――巨人の足だ。沙耶は短い悲鳴を上げて、腰を起こしてなんとか立ち上がる。


 次に巨人が足を上げたとき、ついに火の大杭に打たれそうなるが。――なんとか転がってかわす。


 また立ち上がって走り出したのだが、胸が苦しい。まともに呼吸ができない。こんなに走り続けたのは、はじめてかも知れない。唾が妙なところに入り、咳が止まらない。


 とうとう突き当たりにきた。右手は行き止まりで、薮になっている。行くなら左手だ。しかしもう、走る気力さえなくなっていた。


 へたり込んだところに、容赦なく巨人が迫ってくると、目の前で燃える足が持ち上げられた。――ごう、と音を立てて、頭上から火の塊が落ちてくる。思えず沙耶は目を閉じる。


 ――そこで、沙耶の体がふわりと持ち上がる。


 枯れ木と薬草が混じったような匂い。蓮二とも違う。


「沙耶殿。ご無事か」


 気がつくと沙耶は、深編笠の男に抱えられていた。――宿を出たときに、柳の陰から現れた男のようだ。


「あ、あなたは……」

「元より、巫女を陰ながら守るのが、我らの務めなれば」


 巨人はしばし狼狽えるように、沙耶と男を見比べていた。男は沙耶の前に出て、こちらだ、と声を張った。巨人は請け合うように燃える足を踏み出した。男は沙耶を押し退けると、身を翻した。ついで火の杭は横に振り上げられた。


 男は蹴りを食らって吹き飛ばされると、そのまま薬屋の壁に激突した。男は体に煙を上げながら呻き声を出した。


「う、ぐ、沙耶殿……」


 巨人はまた沙耶を見下ろすと足を持ち上げ、こんどこそ、とばかりに踏みつけてくる。沙耶は尻もちをついて、火の柱を見上げた。――その先の運命を受け入れられずに、目を閉じる。


(瑠璃女様。わたしは、あなたのように、最後まで勇敢には、なれませぬようで。ああ、鎮め巫女のお役目を果たせずに、わたしは……)



 そんなとき、地響きが聞こえてくる。――幻聴まで聞こえてきたのだろうか。


「巫女様、危ねえから、こちらへ!」と男の声。強い力に引かれた後、足音と轟音が目の前を横切った。


「セイヨー、ソイヨー!」


 沙耶が目を開けると、法被姿の男たちが綱を曳き、怒涛の如く駆けてゆくところだった。それに彼らの後ろには、轟音をたてて疾走する山車があった。


 木の車輪が石を弾き飛ばし、土を巻いて突き進んでくる。色とりどりの垂れ飾りが狂い踊っている。


 男たちは巨人の足元までくると二手に別れ、なおも綱を曳いて走った。山車は真ん中の巨人を目掛けて突っ込む。


 沙耶は唖然としながら、小屋ほどの大きさのある山車が、巨人の腰に激突するのを見た。くぐもった轟音が響き渡る。


 山車は突撃の後に、巨人の上体を掬い上げてなおも進んだ。火津真ノ神がぐるりと彫り込まれたその山車は、前方を燃え上がらせながらも、決して留まることなく前進した。


 男たちもまだまだ、左右に別れた先で綱を曳く。



「押せェー、者ども!」


 沙耶はその声に顔を上げる。


 燃え上がる山車の上に、どういうわけか蓮二の姿があった。蓮二は山車の上で腰を屈め、再び声を上げた。


「セイヨー!」


 すると、男どもも「ソイヤー」と応じる。山車の勢いは留まることを知らず、ついに薮の中へ飛び込んだ。それからも、山車は薮から続く下り坂へ突き進んでいった。


 その先には光が見えた。――いや、貯水池の水面が。


 沙耶は熱に浮かされるように駆けていった。息を大きく吸って呼びかけた。


「れ、蓮二さん!」



  *



 額や前髪がじりじりと焦げる。蓮二は下り坂を疾走する山車にしがみついて、山車の前方に上半身をもたげる、燃えた巨人を見る。


 巨人の上体を覆う炎は轟々と風に煽られている。頭部に浮かぶ赤黒い二つの目も、混乱したかのように明滅する。


「狂った火事のバケモンよォ。背中を見てみろよ」


 本当にその声を理解したかなどは知れぬ。しかし事実、巨人は首を捻り、その二つの目を後方に向けた。


 その直後、貯水池に巨人の背中が叩きつけられた。爆発するような水音の中、蓮二はその手に太刀を握った。


 落下するように飛んでゆくと、炎の中に黒く浮かぶ巨人の眉間に太刀を突き立てた。続けて顔を両足で踏みつける。――巨人の頭にひびが入ったかと思うと、巨人は水の中に仰向けのまま倒れていった。


 蓮二は巨人の巻き起こす水柱に飲み込まれた。

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