闇巡り 4
辺りには人々が集まり、熊にやられた者を介抱していた。
蓮二はそれらを見やりつつ、瘴気の流れを目で追った。
道の先には小山があり、林に囲まれた神社が見えた。神社へ至る石段の手前には鳥居が構えているのだが、柱の朱色はくすみ、木肌はささくれだっている。
その鳥居の右手の、緑の生い茂った中に祠が見えた。
熊から流れ出した瘴気は、地面の勾配だのを無視して、まるで人知のおよばぬ
「なんだ、ありゃあ」
蓮二が眺めていると、熊と対峙していた農民が近づいてきた。――鍬を担ぎ、絣の着物を着た壮年の男だ。よれた髷の頭に汗を浮かべている。
「お侍様。あんた、武神みてえな……。かの、
「ああ。なんでもねえよ。――それより、あの祠はなんだ」
と蓮二は指をさす。男は口ごもりながらも、
「あれは、無明様でごぜえやす」
「無明様、だと?」
「へえ、無明様は、あの祠の先の、洞穴にお住まいで……」
「ほう。この庄の、いわくのある魔性か、神か、そんなやつか」
「そ、そんなおっしゃりようは、いけやせん……。それより、お連れの巫女様を、あすこに近づけちゃ、なりやせんぜ……」
「ああっ? どういう意味だ」
すると、遠くから女の声がした。
「あんたー! 怪我はないかい?」
簡素な麻の着物姿の女が手を振って駆けてくる。――男は少し恥ずかしそうに云った。
「女房でごぜえやす。そ、それじゃあたしは、これで……」
蓮二は祠へと近づいていった。木の簡素な屋根の中に、小さな石塔が置かれていた。辺りの瘴気が渦巻いて、その石塔に集まっているようだ。また、奇妙なことに黄色い蜜柑が供えてあった。
祠の先を見ると、地下へと続く苔むした階段が伸びており、絡みつく湿気が漂ってきていた。さらに先には木の格子扉が見えた。
扉には錠がかかっており、格子の奥の暗闇からも瘴気が立ち昇ってきていた。
そのうち沙耶が横へやってきた。
「あらかた、状況がわかったと思いますが……」
「なんだと? どういうことだ。――いや、それより」
蓮二はふと、『お連れの巫女様を、あすこに近づけちゃ、なりやせんぜ……』と云われたことを思い出した。「おい、待てよ、聞けって……」と沙耶を制そうとするが、手遅れだった。
沙耶は緋袴を折って片膝をつくに、祠の前に屈んだ。
「おそらくこの祠は、結界なのです」
「結界だと?」
「ええ。どういうわけか、この地下からは、絶えず瘴気が昇ってきているのです。そして、それらが外に漏れ出さないように、この祠で食い止めている。――そのように思われます。ところが、あまりに濃密になりすぎたのです。よって、この明葉ノ庄に近づいた熊に感応したのでしょう。あるいは、偶然にして人里に迷い込んできた熊が、瘴気に当てられたのか。――それはわかりませぬが」
「なるほどな。まあ、俺たちが逗留する間は、いったんは安心だろうな。さっきの戦いで、瘴気を削りとっただろ」
すると、沙耶は祠をじっと見て、真剣な表情をした。
「このままでは、さだめし、瘴気も浮かばれず、人に害するのみでしょう。――それに、またあのように、狂わされる動物が出て参るでしょう……」
「おいおい。この祠の管理は、きっと上の神社の仕事だろうが。まさか、浄める、なんて云うんじゃねえだろうな……」
沙耶は背中から行李を降ろすと、脇に置いた。
「お時間は、取らせませぬ」
「馬鹿が。時間の問題じゃねえ。――もたねえぞ、体が」
「かような、地方の神社の神職では、おそらく浄化をおこなうことは、ままなりませぬ。白ノ宮などに、浄めの巫女の助けを求めねば……」
「なら、そうさせろよ」
「そうする間にも、また不幸があるでしょう。だいいち、そのような際に差し向けられるのが、わたしのような巫女なのです。――かようなことを捨て置けば、いずれ水奈弥ノ神に、見限られるでしょう」
「くだらねえ。ほっとけよ……」
蓮二が云い終わらぬうちに、沙耶は目を閉じると両手を合わせた。白い装束を膨らめて息を吸うと、深く吐いた。もう一度息を吸うと、
白花は 穢れし土へ根をはらむ
花開きては 浄しなるかな
ゆったりと
蓮二が目を細めて瘴気の流れを見ていると、周囲の薄墨のような瘴気が大きな渦をなして集まってくるのがわかった。
沙耶は「はあッ」と短い呻き声を上げて、体を前に傾げた。手や肩が細かく震えている。早くも爪や指が青黒く染まりはじめていた。
――そのときのことだ。
蓮二はふいに
「気をつけろ! なにかおかしい!」
蓮二は声を荒げるのだが、沙耶は眉をひそめて頬を引きつらせ、石塔に手を差し伸べている。きつく目を閉じ、浅い呼吸をしている。
周囲の瘴気は、観気ノ術を介して辛うじて見える程度に薄まっていた。沙耶の体にまつわっていた淀みも、あらかたは消えていた。
けれど沙耶はどういうわけか目元を押さえて、低い声をもらした。
「や、止めてください……。痛いっ……!」
沙耶は懇願するような、悲痛な声を出すのだが、それでもやがて顔を上げて目を開けた。すると、黒目を動かしながら、慌てるような声で云った。
「暗い……。れ、蓮二さん。目が……。あぁ、暗くて、なにも、見えませぬ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます