闇巡り 3

 馬稚国の都を西門から出ると、蓮二は鰯雲を見ながら街道の登り坂を歩いた。赤土の道の脇には松や柳が立ち並んでいる。


 背後からは馬に乗った武士が追い越してきて、峠の向こうへ駆けていった。


 宿で休んだことで蓮二の足取りは軽かった。ぐるりと肩を回しながら、


「肩や足腰にやいとでも据えてもらえりゃ、云うことがなかったぜ」


 そう云ってはみたが、後ろをついてくる沙耶からは、何も返ってこなかった。


「ッたく。犬を連れるのと変わらねえな。おもしろくもねェ」



 山間の宿場を超え、さらに一刻もゆくと、山を抜けたところで、墓石の如き道標が見えた。


 此先このさき明葉ノ庄あけはのしょう



 街道は緩やかに下り、その先に関所が見えた。


 関所には木の門がそびえ、そこに白い鎧を帯びた二名の兵が槍を立てていた。――白木の鎧と言えば馬稚国の象徴であり、戦場いくさばにおいては白波が広がるように、地を駆け抜けるものだ。



 近づいてゆくと、二人の兵は鋭い眼差しを向けてきた。蓮二は懐に手を入れて、油紙の包みを取り出した。それを開くと中から、折り畳まれた書面が出てきた。



 差上申通行之事

 神事密令拠

 馬稚国内於通行致候事

 …………



 兵はうろんそうだった目を見開き、背を伸ばして頭を下げた。――略式の敬礼だ。


 蓮二はにやりと笑い、書面を右手ではためかせて、


「守護の勤め、まことにごくろう」


 そううそぶいて、関所の門をくぐった。


 振り返って沙耶を見ると、「ごくろうさまです」と、兵の前に差し掛かるところだった。


 二人の兵は左手を胸に当て、「白花のご加護の賜りますよう」と、いささか緊張した声を上げた。ついで一方の兵が、「宮の巫女様の、おなりぃ」と声を張り上げた。


 門の向こうにいた三名の兵が駆け寄ってきて、道の脇に膝をついて頭を下げ、「白花のご加護の賜りますよう」と云った。


 沙耶は戸惑った様子ながら、「あまねく、白花の浄めの、ありますよう」と返礼した。


 蓮二は横目でそれらのやりとりを、内心で呆れ返りながら見ていた。


(こんなガキの、なにがそうも偉いのかねえ)




 関所を超えてしばらくゆくと、ついに明葉ノ庄の集落が見えてきた。


 中央の小高い丘には神社があり、街道沿いには店や宿が見えた。それに、蓮二は違和感を感じて、呼吸を整えて目を細めた。


 ――観気ノ術で見ると、庄には薄っすらと瘴気が覆っていた。


「見えるか」と蓮二が問うと、「はい」と沙耶が云った。

「もはや、瘴気がまったくおよばぬような場所は、なかろうと思いますが。――この庄には、溜まりすぎているようですね」

「そうだな。だとしても、だ」


 蓮二は沙耶を見て、念を押すように云った。


「日はまだ高い。少し休んだら、次の宿場まで行っちまおう。くれぐれも、厄介ごとには、首を突っ込むんじゃねえぞ」



 右手に神社を見上げながら、庄を横断する街道を歩いていった。そのうち辺りに、商家や露天が連なりはじめた。


 そこでふと目についたのは、蜜柑の露店だ。木の小さな屋根の下に、籠を四つ並べて蜜柑を山積みし、横で老婆が店番をしている。


 沙耶はじっと蜜柑の山を見てから、目をそらした。


「なかなか、いい色じゃねえか。どれ」


 蓮二は老婆に近づくに、いくらだ、と尋ねた。


「四十貝だよォ」と老婆は大声をあげる。蓮二は気圧されながら、「二つもらおう」と財布を出した。百貝銅貨を二枚出して、釣りはいらねえ、と老婆に握らせる。「もらってくぜ」と、腰を屈めて蜜柑を手にした。


 老婆は満面の笑顔で、すきっ歯を見せた。


「おありがとうごぜえます、お侍様!」


 やはり耳を痺れさせる大声だった。


「あー、わかったから、静かにしてくれ」


 と蓮二は云って、沙耶の前に立った。


「ついでだ。食うか? ほら」


 沙耶はしばらく黙っていたが、目の底を輝かせて、「いただきます」と手を伸ばした。




 そのときのことだ。


 蜜柑屋の小屋から右に折れた、神社へと続く道の方から声が聞こえた。


「気をつけろ!」「出たぞ!」「瘴魔だー!」


 見ると、大勢の男たちが道の脇に集まっていた。槍や刀を持った守護の兵たちが四人。その他の三人はくわや鎌を持った農民たちだ。


 蓮二は「なんだァ? ちょいと、持ってろ」と蜜柑を沙耶に押し付けて、近づいていった。




 道の脇に黒い小山が立ちはだかっていた。――いや、それは熊の姿をしていた。


 並の男の倍はあろうかと思われる体躯に、針金のような黒い体毛が逆立っている。全身からは湯気のような瘴気が立ち昇り、その輪郭はぼやけているように見える。


 ゴアァァァァ……!


 低い唸り声を轟かせ、熊は両手を持ち上げる。 ひとりの男が怒鳴った。


「瘴魔だー! 普通の熊じゃねえぞーッ!」

「誰ぞ、関所に走って、応援を呼んでくれー!」


 そんな声が飛び交う中、男たちは掛け声を上げて熊へと武器を振るう。


 ――しかし、熊の毛皮が予想よりも硬かったとみえ、傷を負わせられないようだ。


 反撃とばかりに、熊は爆発するような怒声を上げて、腕を振るった。すると、槍が腕ごと宙に舞って、兵の一人が吹き飛んだ。もう一人は薙ぎ倒されるように地面に転がった。


 一人の農民が鎌を取り落とし、震える声で云った。


「ダメだー! とてもじゃねえが、敵わねえ……」



 蓮二がその光景を見ていると、後ろから声がした。


「た、大変な瘴魔が出たようです。な、なんとか、浄めなければ……」


 蓮二は振り向くと、


「よく云うぜ、そんなに震えてよォ。ああなったら、浄めるどころか、おまえなぞ、近づくだけで、真っ二つにされちまうぜ」

「そ、そんな……」

「ッたく。――これから庄で休もうってときに」


 蓮二は熊の方へと振り返ると、男たちの方へ歩きはじめた。



「お侍様! どうか、関所に詰めるお侍様たちに、お伝えを! 援軍がいりまする!」


 鍬を持った農民が血相を変えて云った。少し先には、熊が後ろ足で立ち上がり、残った兵に襲い掛かろうとしている。


 蓮二は答えた。


「お伝えだァ? そんな暇はねえように見えるがなァ」


 すると、熊に槍を向けた兵が、ちらりと蓮二を見て、こう尋ねてきた。


「ま、まさか。――銀狼じゃあるまいな」

「関係ねえだろ、そんなことは」

「外道の手は借りぬ」

「死ぬぜ」

「――誇り高き馬稚の武士が、外道に、借りは作らぬ」

「けッ。おまえらは、その外道に、金づくで退治させてきたろうが。それによォ、こうざわついてたんじゃ、くつろぐことも叶わねェだろ」


 そのとき、熊が咆哮して兵の槍を右手で払った。槍の穂先が吹き飛び、兵は体勢を崩した。


「う、うわーッ!」


 兵は後ろに倒れ込み、両手を突き出して目を見開いた。熊が覆い被さるように向かってゆく。――熊の体は黒いもやに覆われており、夜の闇が形をもって襲いかかるように思われた。


 蓮二は熊へと間合いを詰め、奥歯を噛み締めると、眉間に意識を集めて、「おん」と鋭く云った。


 熊はびくりと動きを止め、振り向いてきた。蓮二は太刀を抜くと、その勢いで体を反転させて横薙ぎにした。


 刃は熊の腕にぶつかり、黒炎が空中に舞った。――そのように見えたのは、削りとられた熊の瘴気の一部だ。


 なまぐさい臭いが濃密に漂ってくる。


 男たちは武器を突き出しながらも、蓮二に獲物を押し付けるようにじりじりと後退してゆく。



 蓮二は右足を引き、太刀を背負うように構える。熊がまた落雷のような声を上げて、飛びかかってきた。


 蓮二はまた眉間に力を込めて、「唵」と唸る。と、熊の動きが一瞬止まる。すかさず右足を大きく踏み出して、体重をかけて太刀を叩きつける。


 太刀が熊の首筋にめり込むのを見て、一気に刃を引く。――頸動脈を深く抉ったのだ。


 熊は断末魔の声を上げて、真っ黒な血飛沫を飛び散らせて後ろによろめき、音を立てて倒れた。


(まだ、瘴気が回り切ってなかったようだな。お陰で、、仕留められた……)


 そんなふうに思いながら、太刀についた黒い血を払った。



 熊の死骸を見ると、瘴気が溢れてきていた。瘴気は重たい霧のように地面を浸すと、神社の麓の方へ流れていった。――そこには、小さな祠があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る