紫燐ノ森 10
民家は夜通し燃え続けた。沙耶は離れた場所から、蓮二の近くに立ってその様子を眺めた。
茅や藁を巻き込んだ黒煙は、赤い炎と交互に逆巻き、村の夜空を焦がした。
「どうするんだろうな、こいつらは」
村人たちの幽霊を見て、蓮二はそう云った。――事実、村の道や家の陰に立ち尽くす幽霊たちは、無垢とも呼べるぼんやりとした表情で、燃えてゆく民家を見上げていた。
彼らがなにを考えているのかはわからない。きれいだねえ、とはもう云わなかった。ただ、悲しみも喜びもなく、奇妙な憧れのように、巨大な炎を見ていたのだ。
「まだ、瘴気はあるな」と蓮二は云った。
「そうですね」と沙耶はあたりに目を向けた。「確かに……。これ以上は、瘴気が満ちることはないと思いますが。――時間をかけて、村や人々から、抜けてゆくでしょう……。しかし」
沙耶は周囲に目を向けて、幽霊たちが無垢な表情で炎を見る様を見た。
「浄め……なければ」と呟くと、蓮二の声がした。「馬鹿め、無理だ」
「いたたまれませぬ。村の方々は、もう十分にさ迷い、惑ってきました。ですから、今夜でもう……」
「放っておけよ。沙耶、おまえは……」
「わかっています。わたしは、西の地で、犠牲となるべき身です……。けれど、やはり捨てては置かれませぬ……。水奈弥ノ神を、宿したこの身なれば。――お許しください、蓮二さん……」
「ちッ。馬鹿が、そういうことじゃねえよ」
蓮二は苛立たしそうに首筋を掻きむしった。
沙耶はゆっくりと腰を下ろすと、土の上に片膝を立てて、深く息を吸った。――焦げ臭い匂いと、夜風の匂い、森の木々の匂いが漂ってきた。
目を閉じると両手を合わせ、心の中に白花を思い描いた。地から白花が芽吹き、目の前で白い大輪を咲かせる。芳しい匂いが心を満たす。
*
蓮二は苦々しい気持ちで、瞑目する沙耶を見下ろしていた。
沙耶は手を合わせ、白花ノ浄歌を口にした。
花開きては 浄しなるかな
白ノ宮の警備をする中で、沙耶との旅の中で幾度となく耳にした、その歌をくすぐったく聞く。
沙耶はおもむろに体を曲げて、両手を地面に突いた。まるで村の全てをその体に抱こうとするかのようだった。
蓮二は
みるみると沙耶の体が青黒い澱に覆われてゆく。横顔は遠い炎を浴びて、なお土色に翳ってゆく。
はあ……、と沙耶の苦しげな息遣いが聞こえる。蓮二は
沙耶は横に倒れ込んだ。歪められた眉や口元は、かろうじて、まだ意識があることを示していた。――生きてはいるようだ。とはいえ、荒く浅い呼吸を幾度も繰り返した。
「馬鹿がッ」
蓮二はそう云って、沙耶へと足を踏み出して腰を屈めた。
*
沙耶が目を開けると、小鳥の
頭が締め付けられるように痛い。胸のあたりにも、引きつるような痛みがある。
白い朝日が屋根の茅の隙間から漏れてきていた。体には長い麻袋がかけられており、そのおかげで熱が保たれていた。
沙耶は朝日に舞う埃を見ながら、長い夢のことを思い出した。
夢の中では、沙耶は穴の中に埋められていった。何人もの人々が周囲におり、沙耶が入った穴に土がかぶせられていった。
穴の底からはとめどなく黒いもやが噴き出て、紫燐蝶が近づいてきた。村人たちは美しい蝶を見て、笑っていた。大きな声で、どこか嘆くような、悲壮感のある哄笑を続けて……。
気がつくとあたりには、紫色の海が広がっていた。沙耶は沈みながらもがいて、上を目指していた。けれど、体はずっと沈み続ける。終わらない沈降の中で、どんどん世界が暗くなってゆく。
そんな暗闇の底で女神――水奈弥ノ神に出会った。白花が開くように、世界に光が溢れた。
「朝だな」と蓮二の声がした。
沙耶は横たわったまま顔を傾けると、少し離れたところに蓮二が座っているのを見つけたら。――沙耶は目を伏せた。なんとなく、文句を言われそうに思えたからだ。
蓮二は「いつまで寝てんだ」と腕を組んだ。
「――すみません。もしや、わたしは、気を失っていたのでしょうか……」
「あー、そうだな」
「この家は……」
「空き家だ」
沙耶は肘をついて上体を起こした。埃や藁屑が落ちていたが、だいぶ
蓮二を見ると「なに見てやがる」と云って立ち上がった。
「さて、食いもんでも探してくるか……。面倒だがよ。ッたく――益体もねェ」
沙耶は半ば夢見心地のまま、蓮二を見上げた。蓮二は戸口を開けて外に出ていった。
黒衣が朝日の中に消えてゆくのだが、その姿は
紫燐ノ森 おわり
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