闇巡り
闇巡り 1
沙耶が霊受を成就させるまで、他の見習い巫女と同じく、修行の日々を重ねていた。
格子窓から差し込む日の光は、立ち並ぶ木の書架を照らしていた。書架には数え切れぬほどの巻物や
――そこは白ノ宮の中でも、
沙耶は床板に広げられた白い敷布に座り、草子のひとつを両手に持って読んでいた。――そこには、神々の伝承について書かれていた。
目の前にいる、
「
沙耶は顔を上げると、
「はい……。これまで、浅くは存じておりました。されど本日、あらためて、深く学べたかと……」
「よろしい、それでは、幼子に語るつもりで、説明してみなさい」
「わ、わかりました……」
沙耶は草子を閉じて膝の横に置くと、息を大きく吸ってから、少し緊張しながら語りはじめた。
「
「ふむ、よい」と雪凪はうなずいた。
「ありがとうございます……」
「なにか、聞きたいことはあるかい?」
「――そうですね」
沙耶は少し考えてから云った。
「
「沙耶。――その名を、かような清浄であるべき宮の中で呼ぶのは控えなさい。呼ぶなら、忌神、までさ」
すると雪凪は右手の人差し指と中指を立てて剣印を作ると、「しっ」と息を吐いて空間を斜めに斬った。――雪凪が
「し、失礼しました」
「よい。今後は心に留め置くことだ」
「わかりました……」
「いずれにせよ、かの忌神が、主だった神々と名を連ねることは、ありえぬさ。長神様の
「は、はい。おっしゃる通りです」
すると雪凪は心配そうな表情で、
「巫女たる者は、慎重でいなけりゃなるまいよ。ね、沙耶……。名を呼ぶだけでも
沙耶は不安な声で尋ねた。
「縁……」
「そうさ。想いは霊の道を結び、互いに響きあうものさ。しかるに、悪しき縁ほど、恐るべきものはない」
そのとき、宮の外から大きな音がし、巫女の悲鳴が聞こえた。誰ぞが食器かなにかをまとめて落としたのだろう。沙耶はびくりと肩を震わせて、格子窓から外へ目を向けた。そこに羽ばたきの音――燕の影がよぎった。
馬稚国の都の市場通りは人でごった返している。一羽の燕が質屋の影から現れると、人通りをぬって飛ぶに、
立ち止まったその男は、笠に右手をかけて燕を見上げると、また向き直って歩きはじめた。
男は灰色の着流しに、小ぶりの刀を腰の後ろに差している。深編笠は顎まで覆い、表情をうかがい知ることはできない。
遠くに城の天守閣を望める市場通りには、露天や商店が並んでおり、そこに町人や魚を売る棒手振り、侍や商人などが往来していた。そんな中で
男は往来の中で急に、ある町娘風の女に近づいていった。女は黄色い華やかな髪飾りに、梅柄を散らした薄桃色の小袖という
男はその女の横にぴたりとつくと、「夜に咲くは……」と声を潜めて云った。
女は、横に男などいないかのようにずっと前方を見ていた。そうしたまま、呟くように、「木蓮なり」と口にした。
すると男は「
「遅いな。宮の者よ」
「云うな。下杉村を経由すると思っていたが。――やつらを、途中で見失ったのだ」
女は赤い唇を吊り上げると、
「
「時がうつる。
狐焔は右手を広げ、やや後方に伸ばしてぴたりと止めた。その先に刀の柄がある。女は慄いたように半歩退がると、
「む、むきになるな。言葉の綾よ……」
「隠密に、綾は不要」
女は頬をぴくりと引きつらせると、観念したように云った。
「これだから堅物の戸陰は……。いいさ、確かに見た。狼と巫女は、宿をとった。店は、四丁目の玉伊屋」
女が云い終わる頃には、すでに狐焔は歩き出していた。
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