紫燐ノ森 7

 沙耶が目を開けると、先ほどと変わらない空き地の光景があった。地面に礎石が埋め込まれ、その先に村はずれの柵が見えた。


 いまだに沙耶の体には、吸い込んだ瘴気の残滓があった。節々に疼痛があり、頭が重たい。――は狭世でのできごとだったというのに。



 左側に蓮二が立っていた。その顔を見上げると不機嫌そうに口を結んでいた。沙耶はおずおずと伝える。


「終わり、ました……」

「見りゃわかる。ッたく、勝手なんだよ、おまえは。これだから、巫女ってやつは、気にいらねえ」

「すみません……。けれど」

「ああ?」

「霊気の滞りを、直したと思います」

「ほう」と蓮二は目を細めて周囲を眺めると、

「まだ瘴気はあるが、様子が違うな。わずかに、流れが生まれている」


 蓮二の云うとおり、滞留していた瘴気はの霊路へと流れはじめているようだ。わずかな流れではあるが、このままなら、いずれ瘴気が消えてゆくかもしれない。


 残った瘴気を浄めなければ、とも思ったが、さすがに体と心がもたない。




「そうやって、ことをやり遂げたようなツラをするのはいいが。なにも解決しちゃいねえ……」


 蓮二は西の空を見て続ける。


「肝心なのは、己の命だ」と、黒衣の左胸をどんと拳で叩く。「見ろよ、日が暮れちまう。このままじゃ、寝る場所もねえぞ。幽霊に囲まれて、野宿たァ、ぞっとしねえな。己を救えねえやつが、他人を救えるか、ってんだ。沙耶」


 沙耶は俯いて、傍に置いた行李に手を伸ばした。


「どうした。褒めてもらえるとでも思ったか? あいにく、ここは白ノ宮じゃねえぜ」


 沙耶は膝を立てて体を起こすに、蓮二を見て、


「心得ております。――褒められるなど、露ほども期待していませぬ。授かった力を、しかるべく役立てたまでです」


 思わず眉を寄せ、声を震わせた。


「ほう、怒ったか。その方が、人間らしいぜ」


 沙耶は顔を背けて、村の家々を見た。


「宿を探すのでは?」





 西の空に傾きかけた太陽は、潤むような赤味を帯びていた。


 沙耶は蓮二とともに村の中へ戻った。幽霊たちからなるべく離れ、いくつかの家々を覗き込んだ。蓮二は遠慮なく家の戸を開けては物色した。


 村に点在する火の消えた篝火がやはり気になるが、それよりもまずは、拠点とできそうな家を探すのが先だった。


 ある家の中から蓮二の声がした。


「ここがよさそうだな」


 そこは民家のうちの一軒だった。茅葺の屋根に黒ずんだ木の壁が家を囲っていた。戸はいささか歪んでいるものの、ほかに不便はなさそうだ。沙耶は戸口から中を見た。


 湿った木と埃の匂いが漂ってきた。


 薄暗がりの中に蓮二がおり、得意げな顔をしていた。


「どうだ、悪くねえだろ」


 家の中央には囲炉裏があり、その周りに板張りの床。壁際に棚や藁袋があった。それに、燃えしろとなりそうな、割った丸太が積まれていた。


「俺は火でもおこすとしよう。おまえは、そこの箒で家を掃いてくれ。得意だろう?」


 反論したくなったが、うなずいた。確かに箒掃除などは四位巫女の日常仕事だった。いまや霊受を果たした三位巫女だったが、この辺境の異界において、巫女の位階などに意味はない。


「わかりました、さっそく」


 沙耶はさほど汚れていない場所を選び、行李を背中から降ろす。戸口にあった箒をとって家の奥へいくと、箒を動かしはじめた。


 ざ、ざ、と小気味よい音をたてて家を掃き浄めてゆく。土や葉も入ってきていたが、それらも追い出してゆく。


 ――掃き浄める。


 浄めるとはなんだろう、とも思う。土や葉を掃いてゆくが、そもそも、森の中に村を作ったのは人間たちであり、森からすれば、土や葉がその場にあることの方が、自然なことだ。


 蓮二は行李を置いて胡座あぐらをかくと、油紙の包みを出した。油紙の中には火打道具があった。ごとり、とそれらを床に並べる。


 灰のたまった囲炉裏には、藁と薪が置かれていた。


 蓮二の左手には、丸みを帯びた青い石が握られた。右手には小さな金具のついた板――火打金ひうちがねがあった。


 右手が振り上げられ、火打金が勢いよく左手の石に打ち下ろされる。


 がつ、と鋭い音とともに、火花が飛ぶ。――火花はその下の、舟形の火受け皿に落ちる。


 皿には、木の子や木の皮の繊維が置かれており、火の粉がそこになんども落とされる。


「よし」


 という蓮二の声が聞こえたとき、にわかに香ばしい匂いが漂ってきた。蓮二は火受け皿を持ち上げ、息を吹き込む。生命を得たように火が舌を出す。


火津真ノ神ほつまのかみの名にかけて、今日は調子がいいぞ。四撃で火がついた……」

「よかった」


 沙耶は箒を置いて、蓮二の手の中に揺らめく火を見た。美しく、同時に恐ろしくもあった。いつか火が、人間の手のひらから離れたとき、抑えきれないものとなるかもしれない。――そんなことを思う。


 火は囲炉裏に移された。


 やがて蓮二は囲炉裏の近くの壁際を見て、「お、なんだこりゃ」と声を漏らす。――そこにはかめが置かれていた。蓮二は中を覗くと、「菜種油があるな、こりゃ、助かるぜ」と云った。





 囲炉裏には、湯の張られた鍋が天井からかけられている。蓮二はそれをじっと見ながら、瓢箪の水筒から水を飲んで、薪を新たに焚べた。火は音をたてて新たな燃えさしを食んでゆく。


 蓮二は妙な気分を覚える。――火があることで、まるでこの家の主になったような気がしたのだ。


 鍋の湯が煮たってきたのか、水泡が立ちはじめる。


「そろそろ、入れましょう」


 沙耶は手元の籐籠の蓋を開けた。――中には枯飯かれいいの粒が並々と入っていた。その枯飯を三割ほど鍋に投じる。


 囲炉裏の縁には小さな壺も置かれている。――土間から見つけてきた、漬物が入った壺だ。




「湯で戻した枯飯に、漬物か。こいつで今夜は我慢だな」


 と蓮二が云うと沙耶は呆れたように、


「十分なご馳走です。お漬物までいただいてしまって。――申し訳のない」

「本当なら下杉村の宿で、湯浴みでもして、まともな飯にありついていたもんだが。せめて、酒でもありゃな」

「まずは、無事に夜を越しましょう」


 蓮二は家の中を見渡して、


「そうだな、それに。――幽霊除けみてえな術はねえのか」

「どういうことです?」

「ああ。村を徘徊してた、あの幽霊ども。あいつらが入ってきたら、気味が悪い。白ノ宮に張り巡らされたような、守りの術みてえなのは」


 沙耶は首を振った。


「そんな、幽霊除けみたいな術は知りませぬ。――確かに、白ノ宮を瘴気などから守っている守護呪法はありますが、それだって、簡単なことではありませぬ」

「益体もねェな」


 そう云って蓮二はあくびをした。



 ――そのとき、蓮二は妙な気配を感じ、左後ろに置かれたに手を伸ばす。


 沙耶を見ると、やはり体をこわばらせて、周囲を見回している。家の外に意識を向けているようだ。


「なにかが……」と云いさして沙耶は腰を浮かせる。


 蓮二は左手で太刀を鞘ごと掴み、立ち上がると戸口へ向かった。


「おかしいぜ。なんの気配だ……」

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