紫燐ノ森 6

 沙耶は蓮二の先を行って、瘴気をたどるように村の中央の道を進んだ。


「妙だ」と蓮二が後ろで云った。

「どうされました?」と振り返ると、蓮二は道のかたわらに目を向けていた。――そこには、朽ちかけた篝火かがりびの台があった。


 低い位置に三本の木で組まれ、頭に鉄皿を載せた篝火が二つ並んでいた。辺りには他にもいくつか、火の消えた篝火が見えた。


「なんでこんな、篝火があるんだ? 祭りかなにかでも、やろうとしていたのか?」


 沙耶も気になって篝火をまじまじと見るが、理由などは検討もつかない。それより瘴気の流れが気になって、村の奥へ目をやった。





 やがて行き着いたのは、村はずれの草むした空き地だった。


 家や倉を二軒ほど建てることもできそうな広さだ。とはいえ、広場らしき場所はすでに村の中央に見た。祭りなどがあるとすれば、そちらの広場で行われたはずだ。――こんな村の端に空き地がある理由がわからない。


「なんでしょう、ここは……」


 と沙耶は空き地の前で足を止めて云った。空き地の一帯には瘴気が溜まっていた。おそらくここが瘴気の根元だ。




「どうもおかしいぜ」と蓮二は云った。

「おかしい? ――どうされました?」

「ああ」


 蓮二は草に埋もれかけた地面に目をやる。


「なにかの、建物があったみてえだな。礎石がある」


 蓮二は歩いてゆくと地面の一画を示した。確かに四隅に、溝の掘られた大きな石が横たわっていた。


 沙耶は礎石に近づいて、座り込んでよく見た。――礎石の表面には、小さな模様が彫られていた。ひとつは、八つの花弁の紋様――白花紋だ。それに、もうひとつの紋様もあった。それは、まるで植物の蕾を横から見た線画のようでもあった。


「これは! なにかあります。白花紋が……。それと……」

「なんだと?」と蓮二も、別の礎石に顔を近づけた。


 しばらくすると蓮二は立ち上がるに、


「こいつは、たぶん打ち壊された、神社の跡だな」

「打ち壊された? なぜ……」

「俺が知るかよ」


 沙耶は怖気を覚えながら、その一画を見渡した。確かに礎石に刻まれた紋様、それから位置や大きさといい、なんらかの社が建っていたかもしれない。


「けれど、この瘴気は、なにごとでしょうか。この、滞った瘴気……。瘴気ゆえに、建て壊したか。建て壊したゆえに、こうなったか……。それに、村人の霊との関わりも…………」

「そうだな。だがそんなことは、知る由もねえ」

「そうですね。もう少し、よく見てみましょう」



 沙耶は深呼吸をし、再び目を細めて注意深く見た。


 ――すると、四つの礎石の中央あたりを通る、白く光る道がぼんやりと見えた。宙を流れる川のような……。


 沙耶はそれらの道のことをよく学んでいた。


 ――霊路れいろ


「どうした? なにかあるのか?」蓮二が尋ねてきた。

「ええ。霊路が流れています」

「霊路? だと……」

「はい。狭世を流れる霊気の川のようなもの……。それが、現世であるこちら側に、引き寄せられていて……」

「なに? ――ううむ、聞いたことがあるな。霊路の滞りが、瘴気に関わってくると」

「左様です。なれば、わたしに考えがあるのです」

「考えだと?」

「ええ。ここから、狭世に入ってみようと思うのです」

「おいおい、正気か?」


 沙耶は黙ったまま行李を降ろすと、その場に座り込んだ。


「蓮二さん。お願いがあります……」

「ちッ。言ってみろ」

「――今しばらく、わたしはへ赴きますゆえ。わたしを、お守りくださいませぬか?」

「やなこった、クソが……」


 沙耶はこっそりと笑顔を浮かべて、「ありがとうございます」と云った。礎石たちの方を見て片膝を立てると、両手を合わせて瞑目した。





 心の中に鈴の音があった。――行李の中にも鈴はあるが、取り出さなくとも、いつでも心の中で鳴らすことができた。


 リーン…… リーン……


 雪凪をはじめ、仲間の巫女が鳴らしてくれた、あの鈴の音。それが体や頭に染み込んでいる。


 呼吸を鎮め、霊路に意識を向けて同調してゆく。


 全身が痺れて、肉体を着物のように感じるようになる。


 同時に、心の中で霊気の流れがよりはっきりと見えてくる。


 ぼんやりと、村や森の風景が浮かんでいるが、それらは幻のようでもある。――替わりに、目の前には仄かに白く光る、極めて太い綱のような、長い雲のような筋が浮かんでいた。――それが狭世の側から見た霊路だ。


 しかし、霊路に流れる霊気はわずかだった。――そう、霊気は滞っていた。


 沙耶は霊路が流れてゆく先に目を向けた。すると、黒く大きな塊が小山のようにそびえていた。――霊気の流れは塊で止まり、その周辺からとめどない瘴気が溢れてきていた。


 沙耶はそんな、うずたかく積もった小山に近づいていった。――どうやら、その黒い小山自体が、凝り固まった瘴気のようだった。沙耶は思案する。


(なぜこんな、瘴気の塊があるのだろう……。忌神のせい? なぜ……? でも、それならば…………)


 沙耶は狭世の覚束ない地面を歩き、塊へと近づいてゆく。


(わたしが、取り除かねばならない。――この塊を。そうしなければ、村や、人々は永遠に、浮かばれぬ……)



 沙耶は薄墨のように黒く溢れかえる瘴気に目を細め、塊へと近づいてゆく。――目の前までやってくると、塊へと両手を差し伸べる。痺れるような冷気が伝わってきた。生命力が吸い取られる感じがする。あまりに重く冷たいのだ。


 それでも沙耶は呼吸を整え、心の中に白い花弁の広がりを思い描いた。


(水奈弥ノ神よ、わたしに、浄めの力を…………)


 沙耶は心を鎮めて、ゆっくりと奏いはじめた。



 白花しろはなは 穢れし土へ根をはらむ

 花開きては 浄しなるかな



 両手の先にある塊から、瘴気の重さが腕へと流れてきた。腕から肘が冷たく痺れる。怖気は肩や胸、頭に広がってくる。


 次にさまざまな声が聞こえてくる。


「やれ、ためらうな……」

「壊せ! 社を壊せ!」


 男たちの怒声が聞こえてくる。ついで、違う声もする。


「きれいだ……。ああ、きれいだねえ。こんなに……」

「助けて……。助けて……!」


 声とともに、怒りや恐怖や、迷いの感情が流れ込んでくる。それに、体の熱を根こそぎ絞りとられるような、激痛に飲み込まれる。


 沙耶は肉体の脈動を感じる。――現世に置いてきた肉体が一体の生き物として苦痛を感じ、同時に恐怖している。そんな反応がわかる。


(だめだ。痛みに捉われては。浄めを……。水奈弥様! 水奈弥ノ神よ……)



 両手に力を込めて、黒い塊をすべて飲み込む覚悟で息を吸う。体じゅうが引きつり、おぞましい痺れに見舞われる。



 薄れゆく意識の中で、黒い塊はほとんど消え、霊路の中を、白光する霊気がわずかに流れはじめる感じがした。


 一方で沙耶の霊は瘴気に浸されて重く、暗く沈みきっていた。沙耶は上下もなく、暗闇の中を落ちていった。――その永遠の墜落の中で、逆さになったままで両手を合わせた。



 白花は 穢れし土へ根をはらむ

 花開きては 浄しなるかな



 胸のあたりから清涼な力が溢れてきた。は体を巡り、細胞の端々を満たしていった。その水流とともに、瘴気が体から流れ出し、周囲の暗闇の中に散っていった。

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