白花冥幻譚

浅里絋太

紫燐ノ森

紫燐ノ森 1

 森の天幕の向こうには鼠色の雲がはびこり、秋空を重く染めている。雨でも降り出しそうな湿った風に木々はざわめいた。


 周囲には水楢みずならや杉がひしめき、木々の根元を覆う深碧しんぺきの苔は、いっそ森を幽暗と色めき立たせ、緑の異界たらしめている。


 そんな薄暗い、石ばった山道をゆくふたつの人影がある。


 村人がふいに出くわしたなら、人ならぬ者――それこそ瘴魔しょうまでも見たと、仰天したかもしれぬ。それほど奇異な、驚くべき取り合わせだったのだ。



 前を歩く青年の侍は、黒衣――それも墓地から掘り起こした屍衣しいのような、黒ずんだぼろをまとっている。大きな旅行李こうりを背負い、俯き加減の顔を強張こわばらせていた。


 ――侍の名は蓮二れんじといった。


 黒鉄くろがねの如く鍛えられた体躯。端正でありながら険のある面構えは決して堅気かたぎのそれではなかったが、どこか諦観ていかんじみた哀愁を帯びていた。


 左眼の上には縦の大きな傷痕が走り、いささか瞼が引きつっている。くすんだ消し炭色の蓬髪ほうはつは、彼の秘めた暴力性と狂気を示しているようでもある。――その暴力性の証左たりえるのは、左腰に佩いた大振りの太刀。



 その後ろをゆくのは、笠をかむった白装束の巫女。――端然とした小顔に薄桃色の唇を結び、笠の下の白磁の肌を刺す日光すら厭わず、歩みを進めてゆく。


 常に力のこもった、己を閉じ込めるようにしかめた眉は、巫女に課せられた宿命と、その内圧的な性質によるものだろう。


 ――巫女の名は沙耶さやといった。


 沙耶は息を切らせ、いかつい侍に遅れじと懸命に歩いているようで、顎に締めた傘紐にも汗が伝っている。


 土にまみれこそすれ、元は上等な生地と知れる白衣はくえに、目の覚めるような色合いの緋袴。左手には樫の杖を突き、白足袋たびを土に汚し、前をじっと見据えて歩む。


 白衣に縫い取られた『白花しろはな紋』は、彼女が『白ノ宮』にゆかりのある巫女だと示していた。宮の巫女ともなれば、都においては豪商だろうが役人だろうが、恐れおののいて道を譲るものだ。


 ――しかしこんな山道には、獣か樹木くらいしか先行きを阻むものはない。いや、強いて云えば、眼前の侍の背中――蓮二の存在がもっとも、沙耶を警戒させた。

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