第8話 パン!
私が栄美ちゃんのお見舞いに来るのは毎週の水曜日の放課後と土曜日の昼ごろ。ちょっと大変だけど、栄美ちゃんにねだられるうちにこうなった。私としても栄美ちゃんの支えになるのならと納得した。
病室で私は栄美ちゃんに学校での授業内容や勉強を教えたりする。……といっても栄美ちゃんは私が居ない間に勉強するし、私なんかよりもずっと頭がいいので、教える必要はないんじゃないの? と疑問に思ったことがある。
ある日、病室でそれを聞くと栄美ちゃんはふふふと笑った。
「私はこうやってやり取りしてるのが楽しいんだよ。本当はそれだけなんだ。バレちゃった?」
栄美ちゃんの笑顔は儚かった。
脆くて一突きすれば崩れそうな、そんな笑顔だった。
一学期の時とは比べ物にならないほど栄美ちゃんは弱っていた。あの頃のような覇気は全然無い。
「だから勉強教えてくれるの、辞めないでほしい。私には晴香しかいないんだよ……。私を嫌いにならないでね。お願い」
「うん。大丈夫だよ。大丈夫。私にとっても復習になってるしね」
「ありがと……。私ね、晴香のためなら私の全部をあげられるの。そのくらい好き。晴香だけなんだから。私を大事にしてくれるの」
「そ、そっか!」
大真面目にそう言ってのける栄美ちゃんに、私は異様なまでの愛の重さと切なさを感じた。私にすごく依存してくれている。
支えなきゃいけない。私が支える側なんだ。
……少なくともあんな事が起きる前まではそう思っていた。心の中で膨らんでいるものに気付かずに。
年が明けて一月。
美術部では二月の展覧会に向けての制作活動が大詰めに入ってきた。私は毎週水曜日に栄美ちゃんのお見舞いに行くために部活を休んでいるが、この時期はできれば部活を休みたくない。
だから一月前半の土曜日、栄美ちゃんに相談することにした。
栄美ちゃんはというと、親から否定されたショックからは立ち直りつつあって、話し方はハキハキとしてきた。義足の訓練も順調らしい。
「───それでね、早ければ二月中にも退院できそうなんだって」
栄美ちゃんの話し方は落ち着いているが、しかしその喜びは彼女にとって大きいものだと伝わってくる。
私はお見舞いのりんごを切って栄美ちゃんとシェアしながら食べていた。
「良かった! 一緒に学校行けるね」
「うん。晴香とお出かけとかとかしたいよ」
「私もだよ。栄美ちゃんが居なくて私、寂しいんだから」
「えへへ……。ありがとう……」
私はりんごの一切れを食べ切り、そのタイミングで話を切り出すことにした。
「あのさ、栄美ちゃん」
「なに?」
「私がここにくるの、土曜日だけになりそうなの」
「えっ? どうして?」
「部活が忙しくなるんだよね。それに実はお金もきつくてさ。あはは。だから水曜日は……」
私は努めて穏やかに言ったつもりだけど、栄美ちゃんは表情をガラリと変え、怯えと悲しみのこもった瞳で私を見つめてきた。
「やっ、やだ! いやだ! そんなの!」
「え、栄美ちゃん!?」
「いやだ! お願い! 嫌われることしたなら直すから! はっ、離れないでよ!」
「待って、待ってよ! 離れるなんて言ってないよ? 落ち着いて?」
「嫌わないでよ! お、お金なら私の、任務で貰った金、全部あげるから!」
栄美ちゃんはまるで駄々をこねる子供のようだった。
しかしそんな子供と違うところは、栄美ちゃんの年齢と、そして極限状態のような切羽詰まった表情だろう。
私は息が荒くなった栄美ちゃんが落ち着くまで黙って、落ち着いてきたら様子を見て話し始めた。
「落ち着いた?」
「うん……。ごめん」
「栄美ちゃん。私は水曜日に来なくなるだけなんだよ? 栄美ちゃんのことは大好きなままなんだから」
「そっ……! それでも、自分でもどうしてか分からないけど、怖く感じるんだよ。晴香、お願い……。無理を言ってるのは分かってるんだけど、離れないで欲しい。私、耐えられない……。 晴香が、私の前から、居なくなる感覚が……」
そういうことを震える声で、まるで崖際に立たされて今にも突き落とされそうな表情で言われてしまえば、断ることに罪悪感が生まれてしまう。
栄美ちゃんの芯がポッキリと折れているのをこの時に実感した。だからこの時はグッと堪えることにした。支えなきゃいけないんだ。栄美ちゃんを。
なんだか、胸の中で何かが膨れた気がした。
仕方ないので今度の水曜日は部活を休んで、このことについてちゃんと話し合うことに決めた。……正直、制作スケジュール的に休むのは結構やりたくなかったけど、栄美ちゃんを支えるためだと思えば割り切れた。
栄美ちゃんは「良かった。来てくれた」とにこっと笑いかけてきた。
私は病室にある椅子を栄美ちゃんのベッドの前に持ってきて腰掛けると、そのタイミングで話を始める。会話の中で言うのではなく、最初からちゃんと話し合うことが今の栄美ちゃんには必要だと思った。
栄美ちゃんは私が少し真剣な様子を悟ったのか、ちょっと緊張するように目を私に向けた。
「ねぇ。栄美ちゃん」
「なに?」
「やっぱり水曜日は来れそうにないんだよ。ごめんね」
みるみるうちに栄美ちゃんの顔は悲しみに染まっていく。でもこれくらいは想定内。なんなら次にわがままが来ることも予想していた。追い詰められた少女の渾身のわがままが。
そのわがままに押し切られないように、そして栄美ちゃんを傷つけないように、話し合う必要があった。
「なんっ、なんで? 私の事嫌いになったの?」
「違うよ。栄美ちゃんのことは大好きだよ」
「じゃっ、じゃあ! 部活なんて行かないで私のところに来てよ! 晴香が来てくれることだけがっ、私の人生の楽しみなんだよ!?」
「そっ、そんなこと言われても難しいよ。私だって本当は来たいけど───」
「晴香! お願い……! 私にはっ、晴香しかいないんだから! 晴香にまで拒絶されたら私、どうしたらいいの!?」
「だから水曜日に来なくなるだけで───」
「わっ、私、本当は晴香が居ない時、ずっと苦しいんだよ? 辛くて辛くて仕方ないんだよ。土曜日にしか来ないとか考えられない……! ねぇ、親友でしょ? 私のこと大好きなんでしょ? だったらっ、私の言うこと聞いてよ!」
「…………なっ」
『私の言うこと聞いてよ!』という言葉が頭の中を駆け巡る。
その時。私の中で何かが弾けた。
それは、前までは恐怖心で覆われていたものだったんだろう。そして恐怖心の下にあったから、私自身気付かなかったんだったんだろう。
元々は夏休み明けくらいにそれが生まれた。それのことを私はちゃんとしっかり認識していたはすだ。
しかし栄美ちゃんの態度が急変していきなり素直になった時から、それは分厚い恐怖心の下にしまい込まれた。だけど恐怖心に覆い隠されながら、私の知らない間に大きく、大きくなって、パンパンに膨れ上がっていたんだ。
それは、言いたいことを言えず、求められていることを言わなきゃいけないことへの『不満』。
しかしその時、もう栄美ちゃんへの恐怖心はだいぶ薄らいでいた。
まるで裸同然のそれに、割れそうな風船のようなそれに、栄美ちゃんの言葉がチクリと刺さる。
パン! と弾ける音がした。
勢い余って私は立ち上がってしまう。
「なんでっ! 私の話を聞かないのっ! 私はいつも聞いてあげてるのに! 私にも都合があるのに!」
「っ……!」
「親友なのになんでっ、私の方が聞いてばっかり! いい加減にしてよ!」
栄美ちゃんの肩がぶるっと震えた。
一瞬で押し黙った栄美ちゃんは怯えるような瞳で、手心を懇願するかのように私を上目遣いで見つめてくる。
私はそんな様子の栄美ちゃんを見て冷静さを取り戻し、そしてつい怒っちゃったことが、あの子にとって重大なダメージになったことに気付いた。
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