第7話 似合わない涙

 栄美ちゃんが話していた任務は木曜日の深夜にあった。そして翌日の金曜日、栄美ちゃんは私の家に通学の迎えに来なかった。

 いつも必ず来てたのに……。と、通学している時に嫌な予感がしたけど、そんなはずが無いと首を横にブンブンと振ったりする。

 でも、そんな抵抗はなんの意味もなさなかった。


 ホームルームのチャイムが鳴っても、クラスに栄美ちゃんの姿が見えない。私は席に座りながら、不安からソワソワと指や脚を動かす。

 すると担任の男性教師が教室に入ってきた。いつも溌剌とした顔が今日は暗い。

 先生は席に座るクラスのみんなを見回すと、神妙な面持ちで口を開いた。


「えー、ホームルームを初める前にだ。知らせなきゃいけないことがある。……倉崎さんが、交通事故に遭って重体だ」

「ええぇっ!?」


 私は驚きのあまり声を出してしまった。先生やクラスのみんなの視線が集まる。


「そうか。平間さんは倉崎さんと仲が良かったな」

「だっ、大丈夫なんですか!?」

「倉崎さんは生きてはいるそうだ。後で入院先の病院を教えるよ。でも今日は手術をするらしくて、五日程度はお見舞いはできないからな。他に入院先を知りたい人がいたら僕に教えてくれ。……うん。えー、ではホームルームだが───」


 と、先生が暗い口調で続けていく。

 クラスメイトは先生に気づかれないようにひそひそと、栄美ちゃんについて噂した。心配する声や、どんな事故か考える声や、果ては最近の栄美ちゃんの様子についての噂も飛び交った。

 そんな噂話の中に私が一際気になった声があった。


「手術するって相当じゃね? どのくらいの怪我なんだ?」


 私は顔を伏せた。このことについて考えたくなかった。本当はもっと、耳をふさいだり、教室を出たかったりしたけど、そんなことは現実的に無理だ。

 考えちゃうとどうしても、栄美ちゃんが一体どんな姿なのかを想像しちゃって……、血みどろで大怪我した栄美ちゃんの姿が浮かんでしまう。これが私の不安の現れなのは分かってるけど、でもどうしようもなく辛かった。

 栄美ちゃんのことで話しかけてきたクラスメイトがいたけど、そんな私の顔を見るなり「あ……な、なんでもないよ」と言って黒板に向き直した。



 五日後。私は教えられた市外の病院に駆け込んだ。水曜日の放課後のこと。私はバナナが入った紙袋を持って、駆け足で受付の人に教えてもらった病室に向かった。栄美ちゃんの入院を聞いてから私の中で膨れあがって爆発しそうな不安が、焦りとなって私を突き動かしていた。

 そして個室となっている病室に到着すると、ちょっと無遠慮にスライドドアを開けた。

 ……ベッドの上で腰から下を毛布で覆い、上半身を起こして外を眺めていた栄美ちゃんがいた。栄美ちゃんは息が切れ気味の私に気づく。

 目が合った瞬間、私は心の奥から勢いよく飛び出す噴水のような安心感と喜びを覚えた。

 

「栄美ちゃん!」

「晴香!」

「大丈夫だった!?」


 私は栄美ちゃんのベッドに近づく。

 栄美ちゃんの物憂げだった顔がにっこりと破顔した。そして私も不安に駆られていたのを忘れて微笑み返す。

 ……ある程度近づいた私はあることに気づいた気づいた。

 隠れていて見えなかったけど、栄美ちゃんの左腕が無くなっていた。最初見ただけでは信じ難くて見間違いかと思ったけど、数秒置いてようやくそれが確かなものだと脳が受け入れた。

 私は笑顔から一転引きつった顔になって「ひっ! それっ、どうしたの!?」と聞く。


「あ、これ? これだけじゃないよ」


 栄美ちゃんは自分にかかっていた毛布をめくった。

 私の視線が釘付けになったのは、太ももの途中から先が無い、包帯で全体を巻かれた左脚だった。


「……っ! なっ、なんで!? 任務でなの?」

「そう。一応、任務は成功したよ。でも……爆発に巻き込まれた。本当は爆発までに逃げる手筈だったんだけど銃撃戦が起きたんだよ。作戦に参加して生き残った人は半分だけ」

「……」私は何も言えなかった。

「私は左半身に爆風や船の破片を貰っちゃって、壊死するから腕と脚を切断するしか無くなったんだよ」

「そっ、それ、とんでもない怪我、だったんじゃないの? 切断しなきゃいけないほどって……」

「うん。出血多量で死ななかっただけ奇跡だったんだってさ」


 栄美ちゃんの話によればここは倉崎家の息がかかった大病院らしい。倉崎家の人間も医者として勤務している。普通は事故なんかに見えない状態だったけど、私の想像が及ばない裏工作によって交通事故として処理されたらしい。

 さらに言えばどういう根回しかは知らないけど、作戦に参加して死亡したうちの一人は、栄美ちゃんを轢き逃げして気が動転して電柱にぶつかって死亡、ということになったようだ。


「す、すごい話だね……」

「まぁまだ工作は終わってないらしいけどね。でも倉崎家の本家には警視長と警視正がいて、それくらいなら簡単に偽装工作できるってさ」

「わぁ……。私が知っちゃいけない世界だよ。倉崎家ってすごいんだね」

「ふふっ。もっと面白い話してあげよっか?」


 栄美ちゃんはそう言って微笑んだが、私にはそれが妙にぎこちなく見えて違和感を覚えた。


「……面白い話?」

「そう。私、親から要らない子だって言われたんだよ。どう? 面白いかな」

「えっ……」


 私は一瞬頭の中が真っ白になった。そしてその白い頭の中に怒りの色が塗りたくられる。


「そんなっ! おかしいよ! 栄美ちゃんを向かわせたのは親なのにさ! こうなったのも親のせいなのにさ! それでなんとか生きて帰ってきたのにっ、要らない子って言ったの!? ひどいよ!」

「……晴香がそう言ってくれるだけで私は嬉しいよ。こんな身体になったから、もう殺し屋できない私は倉崎家に必要ないんだってさ」


 そう言うと栄美ちゃんは視線を私から自分の無くなった左脚に移した。


「こんな身体になったから、って……」


 すると栄美ちゃんの目が潤んできた。時間を置かずにぽろぽろと溢れた涙が頬を伝う。

 栄美ちゃんは最初は涙を流していても無表情だったけど、だんだんと悲しみで顔をくしゃくしゃにしていった。さらに嗚咽を上げ、涙も激しさを増す。


「う゛っ……!う゛ぅ……っ!うああぁぁ……っ! ああぁっ! うぐっ、う゛ああぁぁっ! うぅっ……! ぐぅっ、あ゛あああぁぁぁっ!───」


 私への強がりなんて忘れてわんわんと泣き出した栄美ちゃん。

 栄美ちゃんの悲しさや、無念や、怒りや、やるせなさが、私の胸に痛いほど響いてくる。

 私の目元にも悲しみが溢れてくる。親友の栄美ちゃんがこれほどまでに追い詰められて、泣きじゃくる姿なんて、見たくなかった。栄美ちゃんを泣かせた全部が許せなかった。

 こんな仕打ちを受けていい子じゃないはずなんだ……。そんな涙、栄美ちゃんには似合わない。


 私は用意された椅子を立って栄美ちゃんに寄り添った。自分から流れる涙を気にしないで。

 そして泣きじゃくる栄美ちゃんの肩に手を当てて、抱き寄せるように肩を手前に動かし、栄美ちゃんの顔を私の胸部分に宛がった。私が栄美ちゃんの涙を全部背負いたかった。

 栄美ちゃんは私の胸に顔を押し付けてきた。私に縋るように。少しでも安心感が与えられたみたいで良かった。


「わっ……ぐすっ、私はっ、栄美ちゃんが帰ってきて、ぐすっ、すごく嬉しかったんだよ……っ!」

「う゛ううぅぅっ! うぐっ、うああぁっ! う゛ぅぅ、う゛あぁっ! あっ、ああぁっ!」

「おかえりっ、ぐすっ、おかえりなさい……」


 私はここで強い決心をした。

 栄美ちゃんの支えになるんだと。

 栄美ちゃんには今までたっくさんお世話になった。いっぱい遊んでもらった。楽しませてもらった。

 今度は私が支える番だ。



 この時の私はそう意気込んだのは確かだけど、実際はどうだったか分からない。

 実のところ私は、栄美ちゃんがそう思っただけじゃないのか。感じていた恐怖心が薄れたからなんじゃないのか。栄美ちゃんが暴走しても、なんとかできると思ったからなんじゃないのか。

 栄美ちゃんの心の中自体は、任務に向かう前と何も変わってない。むしろあの時よりも強いショックがかかった状態だ。

 本当に栄美ちゃんの支えになるつもりだったらちゃんと向き合うべきだったんだ。そうすればにならずに済んだだろうし。


 私の感じた『支えになりたい』という気持ちは、一時だけのまやかしで、本当は栄美ちゃんの重圧から逃げられた気がしたんじゃないのか?

 今となってはよく分からない。

 

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