第6話 君と初めてのドロドロキス

 十一月の半ば頃に私は栄美ちゃんの家に呼ばれた。学校が終わってから家に直行する形だ。家に行くなんてよくあるけど、要件を知らされないで家に招かれるのは初めてかもしれない。

 栄美ちゃんの家は両親が居ないことが多い。今日も姿が見えなかった。

 自分の部屋に入った栄美ちゃんはシングルベッドに腰掛けて、そして隣のスペースに「座って」と私を案内した。

 私は座るなり栄美ちゃんに聞く。


「話ってなに? 部屋に呼んでまでなんて」

「うん……。それがさ、私に大掛かりで危険な依頼が入ったの。ターゲットはだって。倉崎家の本家にとっても重要な依頼らしくて、その作戦に私も加わることになったんだ。もしかしたら私も無事じゃ済まないかもしれない」

「あっ……、それは、残念というか……」


 私が返答に困ったのが分かったらしい栄美ちゃんが口を開く。


「慰めなくていいよ。優しいんだね晴香は。……これが最後になるかもしれないから、晴香とお喋りがしたかったんだよ」

「や、嫌だよ! 栄美ちゃんが帰ってこないなんて。お願いだからそんなこと言わないで」

「ふふっ。そっか」


 栄美ちゃんは嬉しそうに両手で自身の頬を覆った。そして手を下ろすとまた私を見つめて話し始める。


「私ね、晴香のために頑張ってくるんだよ。親とか、倉崎家とか、そんなのどうでもいい。私は晴香のために依頼をこなすの」

「そ、そうなんだ」

「晴香も私が帰ってきたら嬉しいでしょ? 私が居ないなんて寂しいでしょ?」

「うん! も、もちろん! 栄美ちゃんに死んで欲しくないよ!」

「だよね……。私、絶対に生きて帰ってくるよ。晴香に会うために」


 栄美ちゃんは私にニコッと笑いかけた後、私がベッドに置いていた手に自身の手を重ねてきた。


「ねぇ晴香。キスってしたことある?」

「ふぇっ!? いきなり何!?」と、私は声が上ずってしまった。

「どうなの?」

「いや、そりゃ、うん、な、無い……よ。急になんてこと聞くの? びっくりしちゃった」

「……私はある。この前の暗殺依頼で、ターゲットを懐柔するためにキスしたんだよ。ここでは武器の使い方以外にも、そういうことも叩き込まれてきたんだよね。晴香の知らない大人のキスだよ」

「そっ、そう、なんだ」

「あぁ安心して。性行為はまだだよ。いつか必要になるかもしれないけど……」


 重い話からの重い話に私はくらくらしてきた。いくらなんでも栄美ちゃんがかわいそうだ。でも私はそばに居ることしかできない。

 そんな私の表情を気にかけたのか、栄美ちゃんは私に優しく語りかけた。


「ごめんね。重い話ばっかり」

「いっ、いや大丈夫。栄美ちゃんが謝ることじゃないよ」

「そっか。……私、初めてのキスは晴香が良かったな」

「……あっ、うん」と、反応に困ってそんなことしか口にできなかった。

「晴香は初めてなんだから、私も初めてが良かったのに」

「……えっ?」


 すると栄美ちゃんが私の手の上に置いていた手にググッと体重が乗った。そして栄美ちゃんの顔が、私の肩辺りまでに接近してきた。


「でもね。ターゲットにしたキスなんか、あんなの偽物のキスだから。愛情なんて無い。本物のキスは晴香が初めて。それで許して? 私だって本当は晴香が良かったんだから」


 栄美ちゃんは私の頬を抑えるようにフッと触れてきた。そして栄美ちゃんの顔が私の顔にに接近してくる───


 というところで、私は後ろに倒れてベッドに背を付けた。その時の私の顔は多分真っ赤だっただろう。

 栄美ちゃんが困惑した瞳で私のことを見つめている。とりあえず私は背を起こした。


「ど……どうしたの?」と栄美ちゃん。

「そっその! いくらなんでもおかしいんじゃないかな!? 私たち親友同士だけどその、き、きき、キスなんて、間違ってるんじゃ……」

「嫌なの?」

「へっ!?」


 栄美ちゃんを見ると、さっきまでのような優しげのある瞳をもうしていなかった。この時の瞳は例えるなら、廃棄物で黒く濁った川のようだ。その黒い瞳が私に恐怖を思い出させた。

 そして私は呼ばれた理由をようやく悟った。栄美ちゃんは本当は危険な任務の直前で気が張り詰めていて、私で気を紛らわしたかったんだ。私を介して任務のことを忘れたかった。私を利用したとかじゃなくて、私に救いを求める形で。

 つまり死ぬかもしれないというストレスがかかっている今、栄美ちゃんは今までで一番刺激しちゃいけない。逆らっちゃいけない。

 それを物語るように、栄美ちゃんが私に早口でまくし立ててきた。私はその圧に呑まれてしまう。


「なんで嫌なの? 嫌じゃないよね。両思いなんだから。お互い大好きなのに。えっ大好きって言ってくれたよね? 嘘だったの? 嘘だったから嫌なの? ねぇ、違うよね? そうだよね。お願い違うって言ってよ。そうじゃないと私、私、何も無くなっちゃう! 晴香にっ、晴香にまで愛されなかったら、私どうしたらいいの!? 全部嘘だったなんて私耐えられない! ねぇ晴香お願い私を見捨てないで! 大好きなんじゃなかったの!? ねぇ、ねぇ───」

「う、うん! 大好き! 栄美ちゃんのこと大好きだからね!」


 圧の中で私が踏ん張って出した言葉がこれだった。栄美ちゃんを落ち着かせることができたけど、運命からは逃げられなかった。


「……じゃあ、キスしてくれる?」

「うん、する……。大丈夫。するからね……」


 私がそう言うと、栄美ちゃんはもう一度私の頬に手を当ててきた。


「ありがと。ふふっ。照れてる晴香、かわいいよ」


 栄美ちゃんは私の唇に唇を押し当てた。

 それだけじゃない。栄美ちゃんの舌が私の唇の隙間を割って入ろうとしてくる。私は思わずびくっとなったけど、脱力してそれを受け入れた。

 私の舌が栄美ちゃんの舌と接触する。そして栄美ちゃんは私の舌に愛でるように、そして自らも愛を求めるように自分の舌を絡みつかせる。まるで私と栄美ちゃんが溶け合って混ざって一緒になっちゃうような、ドロドロした熱いキスだった。

 私は栄美ちゃんのキスを一方的に受け入れた。正直、そのキスは私に感じたことの無い快楽を授けてくれた。脳にふわふわした快楽が伝う。キスの上手さ下手さなんて分からないけど、きっと栄美ちゃんは上手いんだと思わされた。

 だから悲しかった……。栄美ちゃんがこんな技術を覚えなきゃいけないなんて。それに栄美ちゃんのキスからは、複雑な感情がありありと伝わってくる。栄美ちゃんのこれからの不安と、母乳を求める赤子のような甘えたい欲求が伝わってくる……。

 栄美ちゃんのその感情を肩代わりできるなら、キスも受け入れられた。


 栄美ちゃんは私の唇から唇を離した。お互いの舌から糸が引いた。

 私は慣れない快楽に上手く頭が回らずしばらく放心気味になっていたが、栄美ちゃんは慣れたように自分の髪を手で直した。

 満足そうに微笑む栄美ちゃんは私の瞳を見て話す。


「……気持ちよかった。これで何も怖くないよ。私、絶対帰ってくるからね」



 だけど、栄美ちゃんは無事には帰ってこなかった。

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