第4話 ツンデレちゃんの崩壊
栄美ちゃんは私たちを見るなり声をかけてきた。なんだか少しだけ眼力が強い気がする。
「晴香。偶然じゃん」
「えっ、あ、えっ、栄美ちゃん……?」
「そんなに驚くことなくない? ……私が居るのがそんなに嫌? 親友って言ってたのに」
「違うよ! 違うからね。いると思わなくてびっくりしただけ……。待ってたの?」
「待ってなんかないし。ここで買い物してただけ。たまたま晴香が見えたから話しかけただけだよ。アホだから都合のいい解釈しちゃうんだね」
「ねぇ倉崎さん!」
横にいた浜藤さんが一歩前に歩いた。まるで私を庇うように。
「その言い方はないんじゃないの? 平間さんの気持ち考えなよ」
「浜藤さんには関係ないでしょ?」
「あるよ。私だって平間さんの友達だし」
「は? 友達? ……晴香、私より浜藤さんと話してる方が楽しかったりした?」
「ふぇっ!?」
なかなか返答に困る質問だった。ただでさえ空気がひりついていて息が詰まってるのに。私はしどろもどろになる。
「えっと、比べるものじゃないと思うよ? 栄美ちゃんとも浜藤さんとも話してて楽しいし……。そ、そうだ、二人も友達になっちゃおうよ! そっちの方が絶対楽しい……と……思い……ます……」
私は空気を盛り上げるつもりだったけど、二人の間の空気は重苦しいままだ。二人の目から電流がバチバチと通っている感覚を現実で体験した。
ちょっとした沈黙の後、栄美ちゃんが私の手を握ってきた。
「まあいい。私と一緒に帰るよ」
「えっ?」
「勝手じゃない!? なんで倉崎さんが決めんの?」と浜藤さん。
「だって私と晴香は親友なんだから。友達のあなたとは違うの。ほら行くよ晴香」
栄美ちゃんは半ば強引に私手を引っ張ってきた。そしてずんずんと歩き出す。
……私はそれに着いていかなかった。立ち止まってそれで、栄美ちゃんの手を跳ね除けたんだ。
よほど意外だったのか栄美ちゃんは目を丸くして私に振り返った。そして私を刃物で刺すかのようにかなり強く睨んでくる。
私は緊張で震える手をなんとか握り締めて言った。
「栄美ちゃん、なんか変だよ……」
「……っ、はぁ!? 変ってなに!? 何が言いたいの!? 変なのはっ、変なのは着いてこない晴香じゃん! ほんっとバカなんだから! 早く帰ろうよ!」
「……ごめん。今の栄美ちゃんじゃ無理。一緒に帰りたくない」
「なんっ、意味分かんないしっ! 無理ってなに? 私に言ってるの!?」
栄美ちゃんの顔がぐしゃぐしゃに歪んでいく。私は目を合わせるのが怖くて顔を伏せた。
すると浜藤さんが私の肩に後ろから手を回してきた。
「私がいいんだってさ。諦めなって。たまには違う人と帰りたいことだって普通でしょ。あんた、しばらく頭冷やしな?」
「っ! ……くっ! ぐっ……!」
反論出来ないのか、何も言わず歯ぎしりをして私たちを睨む栄美ちゃん。……今思えば頭の中が動揺でいっぱいだったんだろう。
浜藤さんは私の肩に手を回しながら前に歩き、私もそれに合わせるように歩き始めた。栄美ちゃんを置いて。
後ろから栄美ちゃんの視線が突き刺さる。私は『これで良かったのか』という後悔で顔を上げられなかった。……違う。後悔もあったけど、一番の感情は栄美ちゃんへの恐怖心だ。
私が暗い顔をして歩いていると、浜藤さんが肩に回した手をどけて私に囁いてきた。
「よく言えたね。よく頑張ったよ。あんな関係のままだったら平間さんの身が持たないし」
「でも……。栄美ちゃんを傷つけちゃったかもしれない」
「傷つけた? 平間さんは嫌なことを嫌って言っただけだよ。親友同士なのに言えない方が間違ってる。……これで倉崎さんも変わってくれるといいんだけどね」
浜藤さんは私を安心させるように微笑みかけてきた。私の緊張もほぐれていく気がした。
その時、後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえた。私も浜藤さんも、もしかして栄美ちゃんじゃないかと思って振り返る。
そして案の定栄美ちゃんだった。
「ま、待って! 晴香!」
走ってきて私たちの前に立った栄美ちゃんは、今まで私が見てきた中で一番異質だった。
呼吸が過呼吸を思わせるほど荒れていて、目は今にも泣き出しそうなほど赤く染まり、表情にはいつものような余裕が全く無い。幼い頃から大人ぶっていた栄美ちゃんが、まるで不安がる小さな子供になっていた。
いつもの栄美ちゃんが跡形もなく崩れ去っていた。
「何がっ!? 私の何が悪いの!? ねぇ! 教えてよ! ねぇっ!」
「どっ、どうしたの!?」と私。
「はっ、晴香にまで否定されたらっ、私何も無くなっちゃう! ねぇっ、見捨てないでよっ! そばにいてよ! しっ親友でしょ!?」
「お、落ち着いて! 栄美ちゃん!」
「悪いとこなら直すから! 晴香に言ってたこと、もう辞めるから! 素直になるから! おっ、お願い! 晴香が居なくなったら私、なんで生きてるのか、分かんなくなっちゃう!」
「栄美ちゃんってば! 道の真ん中だよ!?」
すると浜藤さんが栄美ちゃんに、ちょっと怒ったような、諭すような口調で言った。
「いい加減にしなよ! 冷静になれって。あんた重いよ?」
「お前は関係ない! 首突っ込むな!」
「っ! ……どうしちゃったんだよ? 平間さん見てみな。怯えてるじゃん」
「それはっ、お前のせいだ! 晴香に変なこと吹き込むから! 晴香が、私を否定なんて、するはずないのに!」
「あのさ、その態度が悪いって分かんない? 甘えすぎたんだよ。そんな態度してるから優しい平間さんも───」
「うるさい! 私から晴香を奪いやがって! 許さない!」
栄美ちゃんは目にも止まらぬ速さで浜藤さんの後ろに立ち、そして浜藤さんの右腕を両手で握った。するとその腕を歪な方向へと徐々に曲げようとして、浜藤さんは悲痛な表情を浮かべる。
「いっったたたたたい! 痛い! なにしてっ、痛い!」
「折ってやる、この腕っ! 晴香を連れてく腕!」
「うそでしょっ、いった! 離してよ、離して! 痛い痛い!」
その光景に耐えられなかった私は栄美ちゃんに近づいて、彼女の腕を握った。恐怖で固まった私にはそうするしかできなかった。だけど足止めにはなったようで栄美ちゃんの力が弱まる。
私は栄美ちゃんを止めるために話し始めたけど、きっととても恐怖でガチガチなように見えたと思う。
「やめて、離して。お願い。分かったから……」
「なんで? なんで庇うの? 私が間違ってるの? 私より浜藤さんの方が大事なの?」
「ち……違うよ。栄美ちゃんが一番大事……」
私がそう言うと栄美ちゃんは浜藤さんの腕をバッと離した。解放された浜藤さんは距離を置いた後で栄美ちゃんをキッと睨む。
「さいってい! 暴力なんて!」
「あっ、浜藤さん……。できればその、許してあげて」と私。
「平間さん! 危ないよその人は! 離れた方がいい!」
私はゆっくりと首を動かして栄美ちゃんの顔を伺った。色々な負の感情に踏みならされたような歪んだ顔。……刺激しちゃいけない、と私の恐怖心が察した。
「いや私は、悪いとこ直してくれるなら許すよ。そういうことなら」
「本気!? 平間さん!」
「晴香……」
栄美ちゃんの顔がほのかに明るくなる。
かと思えば目元からぼろぼろと涙を流し始めた。その涙はあの時のように雑に拭き取られることはなかった。
そして、私は栄美ちゃんにハグされた。締めあげられるような、もう二度と離れられないんじゃないかと思えるほどの力強い抱擁だった。
「ありがとう……っ! 大好き! 大好きだよっ!」
「う、うん……」
「晴香も私のこと大好きだよね?」
……そう聞かれた時、一瞬だけ安心した私の心が、莫大な恐怖でくるっと包まれる感覚があった。
だって分かっちゃったから。栄美ちゃんは何も変わってない。顔は明るくなったけど、心の状態は私に走ってきた時と同じだ。追い詰められて壊れたままで、今は壊れた欠片を積み上げて無理やり栄美ちゃんだとしたような、歪な状態……。
横を見ると顔が引きつっている浜藤さんがいた。ドン引きとはまさにあのことを言うんだなとちょっと気が逸れた。
ともかく、この壊れた欠片で出来た栄美ちゃんを崩しちゃいけない。私はそれが最優先事項だと思った。
だって栄美ちゃんは人を殺す訓練を受けた殺し屋だ。そして抱える感情は重苦しい。本当に合理的な判断ができなくなったら、私は無事で済まないかもしれない。
……私は栄美ちゃんとの友情よりも、その感情でそう決めたんだ。
私は栄美ちゃんを抱き返す。
「もちろんだよ。大好き。栄美ちゃん」
間違いだったのかもしれない。この時に私がちゃんと意志を持って、はっきりとちゃんと栄美ちゃんを落ち着かせれば、あんな事にはならなかったかもしれない。『大好きだけど、今の栄美ちゃんはやっぱり変だよ』なんて言って、本当に向き合っていれば未来は変わってたのかな……。
私は恐怖に負けちゃったんだ。
その日の翌日からの栄美ちゃんは、厳しい物言いこそしなくなったものの、一緒に居て疲れることには変わりなかった。栄美ちゃんの愛の重さと恐怖に押しつぶされそうだったから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます