第26話 鬼の法王

 敵の総大将を倒したのだから戦も終わりだ。

 しかし、なんというか。


「……もうどうでもいい」


 国を守ったところでなんだ。

 パードナーを、友達を守れなかったのだから敗北したも同然だ。

 戦いに勝って勝負に負けたとはまさにこのことだ。

 僕は勝利したにもかかわらず天を仰ぐ。冷たい雨が頬を打つ。伝い落ちる頃には僕の体温を奪っていった。アオハルから受け継いだ灰色の肌も雨と一緒に流れていく。


 ふと目を泳がせると横転したブラッドバイク。その付近には僕が被ってきた真っ赤なフルフェイスがだるまのように転がっていた。横には落車時、ウルハラによって輪切りにされた僕の顔面の肉片も転がっている。


 僕はそこで違和感に気づく。


「あれ?」


 僕の顔面はだるま落としのように輪切りになっているのに、なぜあのフルフェイスは無傷のままなんだ?

 たしかあのとき、フルフェイスも一緒に輪切りにされたはず……。

 再生するヘルメットなんて聞いたことないぞ。

 すると、奇妙なことにフルフェイスはもぞもぞと動き出したではないか。


「は?」


 気持ち悪い。生理的嫌悪をかき立てる動きだ。しかも、あろうことかその真っ赤なフルフェイスは、僕の頭部の残骸を包むように食べ始めたではないか。ムチャムチャボリボリ。骨まで残さず貪る。

 僕はその真っ赤なフルフェイス、いや赤い物体に見覚えがあった。


「真紅のスライム」


 群れから一匹だけはぐれた真紅のスライム。どうしてフルフェイスに擬態して僕についてきたんだ?

 僕が不気味に思っていた――その次の瞬間、真紅のスライムは素早い動きで雨に濡れた地面を滑るよう移動した。まるでゴキブリである。

 そして真紅のスライムが辿り着いた先は、なんとアオハルの遺骸だった。アオハルの冷たくなった手に真紅のスライムのモニュモニュとした触手が触れる。


「……や、やめろ!」


 僕は走り出そうとしたが、僕の血でぬかるんだ地面に足を取られて滑ってしまった。


「その子に手を出すな!」


 僕が殺気を孕んで睨みつけるが、真紅のスライムはどこ吹く風でカエルの面に水だった。

 かまわずにアオハルの手から浸食する。

 吸血鬼の殺気に動じないとはやはり他のスライムとは何かが違うのだろう。

 真紅のスライムはとうとうアオハルの遺体を丸呑みにしてしまった。ヘビが捕食したときのようにアオハルぶんの体積が増えて、真紅のスライムは一段と大きくなった。死後硬直前のアオハルは真紅のスライムの中で赤ん坊のように膝を抱えて丸まる。

 僕は真紅のスライムに駆け寄って拳をぶつけた。連打する。日傘で殴打する。


「いったい、なんなんだよ! 僕らに付きまとうなよ!」


 しかし、意にも介さない真紅のスライム。その弾力性のある体に僕は跳ね飛ばされる。尻餅をついてからすぐさま躍りかかる。真紅のスライムに噛みつくが歯ごたえがない。柔らかいマシュマロのゴムでも噛んでいるようだ。また跳ね飛ばされる。

 抵抗も虚しくアオハルの肉体はみるみる消化されて溶けていってしまう。熱々の紅茶の中で角砂糖が崩れていくみたいに。僕は親友の遺体を持ちかえることもできない。このまま骨を拾うこともできないかもしれない。これでは弔うこともできない。


 しかし、果たして僕はこのスライムを責めることができるのか?

 僕はアオハルを食べてよくて、このスライムはなぜ食べちゃダメなのか?

 それは僕のエゴではないのか?

 蟻が昆虫の死骸を食べるのと何が違う?

 自然の摂理。弱肉強食。生態系のピラミッド。生命の円環。それを断ち切ることは、自らの首を真綿で絞めることに繋がるのではないのか。


 人は死ぬと、煙か土か食い物になるという。大食漢だったアオハルが食い物になるというのは、文字どおり皮肉な話なのかもしれない。

 あるいはありきたりで犬も食わない話か。

 いっそこのまま、僕もスライムに食べられれば……アオハルと一緒になれるのかな?

 僕は真紅のスライムに手を回す。まるで大樹の幹を抱いているような、妙な安心感があった。

 次は僕の番だ。


「僕を食べてください」


 しかしいつまで経っても、真紅のスライムは僕を食べてくれない。

 消化に時間がかかっているのか。

 突如、どこからともなく中性的な声が聞こえた。


「食べられない」


 しかも、それはなんと目の前の真紅のスライムから聞こえるではないか。


「だって、おなか壊しそう」

「え?」


 スライムが喋った?

 僕が顔を起こして膨張した真紅のスライムの中をのぞき込む。すると墨汁を垂らしたようなふたつの青い魂がうねっていた。それは青い眼球となり、パチパチッとこちらを見つめ返してくる。そして僕と目が合った。その青い目に僕は涙が出るほど見覚えがある。

 この透き通るような青い目は――


「……アオハル、なの?」

「そう、みたい?」


 真紅のスライム、改めアオハルスライムは頷いた。

 それから徐々に小さくなっていき、標準サイズのスライムの大きさへと戻った。だいたいメロンくらいのサイズだ。

 スライム転生を祝福するように雨が上がる。ちょうど雲間から太陽が差し込んでアオハルスライムの体を透過した。世界一柔らかいダイヤモンドのように美しい。


「でも、どうして?」

「ボクにもわからない」


 戸惑っている様子のアオハルスライム。

 しかし、これはアオハルの振りをしているスライムの可能性もある。なぜなら確実に僕はアオハルの死脈をとった。直接看取ったのだから。

 ここはひとつ合言葉が必要だ。

 僕は子供と目線を合わせるようにしゃがんで問う。


「アオハル、ひとつ聞いてもいい?」

「なに?」

「きみが嫌いな食べ物は?」


 僕が尋ねるとアオハルは逡巡する。

 それからビヨーンと触手を伸ばして、自身の口に突っ込んだ。体内から黒い学生帽を器用に引っぱり出す。被り直してから伏し目がちに答えた。


「牛乳」


 やはり本物だ。

 単細胞のスライムに好き嫌いは語れない。


「つまり、アオハルがスライムの肉体と意識をどういうわけか乗っ取ったってこと?」

「みたい」

「みたいって……」


 正直、意味がわからない。まるでメルヘンチックなお伽噺じゃないか。

 でも、何はともあれ。


「よかった。本当によかった。アオハルが助かってよかった。死ななくて。ちょっとトマトみたいなフォルムにはなっちゃったけど……」

「ボク、トマト、好き」

「それは何よりだね」


 まさか自分を食べたスライムを、逆に喰らってしまうとは……。


「きみは誰よりも吸血鬼らしいよ」

「違う。吸血鬼でもなければ人間でもない――ボクはスライム」


 青い目を輝かせてアオハルは言った。

 人は死ぬと煙か土か食い物になるという。それがまさかスライムになるとは人生わからないものだ。

 そんな和気藹々とする僕らの様子をウルハラは傍から見ていた。


「泣けるねえ」


 あいかわらず思ってもないことを口にする人狼だった。

 とそこで、ウルハラに異変が起こった。突如、ウルハラが見えない力によって持ち上げられたのだ。地上から20センチほど宙に浮く。まるで首を吊られているようだ。


「ウグッ!」


 そして自身の首元を押さえるウルハラ。ボキボキと生理的嫌悪をかき立てられる音が鳴った。

 直後、ウルハラはだらーんと腕をぶら下げて全身から脱力してしまった。彼の首に巻かれた長い純白のマフラーが地面にこすれている。


「なんだ……?」


 僕は目を凝らす。

 すると、その人物はシャボン玉が割れるように徐々に姿を現わした。どこから現れたのか、いつからそこにいたのかわからない。あれは光学迷彩だろうか? 透明化が解けると、銀製の日傘が露わになった。その日傘の石突きと持ち手はそれぞれ十字を模していた。

 僕は警戒してアオハルを肩に乗せると動向を窺う。同時に奴は完全に姿かたちを現わす。立て襟の純白の神父服キャソック。長い銀髪に白い学生帽。白い厚手の手袋。首には十字の注射器のネックレスを提げている。そして特筆すべきは顔面がゼリーのように波打っていることだろう。縦のセンターから白と黒で分かれているツートンカラー。白地には黒目、黒地には白目。光のない両眼が僕を睨みつけている。奇妙に変形する仮面を被っているのだ。まるで生きた仮面である。


 そのとき、空が翳る。僕が見上げると黒い太陽がのぞいていた。

 いや、あれは日食か?

 同時多発的にいろいろ起こりすぎて僕は呆気にとられていた。

 すると、突如アオハルは両目を触手で覆った。さらに呻いて痛がる。スライムには痛覚はないはずだが……いったい、どうなってるんだ? とそこで、アオハルの青い眼がまばゆく光っていることに僕は気づいた。


「アオハル……?」


 僕は左肩に乗ったアオハルに心を砕く。

 しかしその次の瞬間、僕のほうも左首筋の古傷が疼き始めた。反射的に黒血刀を落として右手で押さえる。日傘を杖代わりにしてなんとか立っていた。


「なんだよ、これ……」


 僕がその手のひらを離してみると血が付着していた。入学式の日にアオハルに指摘された吸血痕らしき古傷だ。今まさにその古傷から血が漏れ出していた。

 僕は奴を見た。というより睨みつけた。


「あんた、誰だ?」


 すると、白い神父は首を締めていたウルハラを投げ捨てる。

 そして銀製の十字傘を差しながら、もったいぶらずに名乗った。


「吾輩の名はアンブレード。百鬼夜教の法王である」


 それは血の通っていないようでありながらも美しい声だった。


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