第25話 ヴァンパネッラ

 突如、脳内に膨大な光景シーンが流れ込んでくる。

 灰色の顔。青い目。柔和な女性の顔。まぶしい太陽のような笑顔。屈強な灰色の男性。白い口ヒゲ。薪を割っている。


 これはアオハルの記憶?


 おそらく血を飲むことによって、僕の中に対象の記憶が蘇ったのだ。血はすべてを憶えている。

 先ほどの男女はアオハルの両親だろうか?

 太陽一族。太陽に透かす手のひら。血が薄く透ける。灰色の肌ではない人間に石を投げられる。ひまわり畑に隠れる。燃やされる村。血まみれで抱き合う男女。年老いた太陽一族の女性に手を引かれる。アオハルの祖母か。

 突如シーンは切り替わる。暗いオニバス車内。緋眼の少年が隣の席に座る。それは僕だった。


「隣いいかな?」


 僕たちの出会いがアオハル視点でリフレインされた。

 そして現在に戻る。傘の下、僕の顔を見上げる。なんと驚くべきことに僕はアオハルと入れ替わっていた。違うな。正確にはアオハル視点になっている。僕は自分の頭を撫でながら、自分に血を吸われていた。僕がアオハルで、アオハルが僕だった。永久機関のように。輪廻転生するように。僕らは僕らの体を触媒として、ぐるぐる廻っていた。血は命をめぐる。

 しかし、ついに終わりが訪れる。視界が青みがかって暗くなってきた。

 アオハルは僕の頭をめでるように撫でる。


「ありがとう。ボクと友達になってくれて」


 それがアオハルの最期の言葉だった。青い瞳から光がなくなる。僕は僕のなかに戻ってくる。

 雨のせいでジメジメと湿度が高くなっていた。すると活発になった死肉掃除屋スカベンジャーがいつの間にか僕たちを取り囲む。野生のスライムどもだ。スライムは乾燥に弱く、湿気を好む。そして何でも食べる。雑食の王だ。アオハルの亡骸を狙って群がり始めていた。

 僕は顔を上げた。口から友人の血を垂らしながら鋭い眼光で威圧する。


 ――これは僕のだ! 近付くな!


 僕の意志を察知したように、野生のスライムたちは蜘蛛の子を散らすように這いずり去る。

 百夜の王にとって、スライムなんてフナムシのようなものだ。

 それから僕は弔いの意味を込めて、親友の目蓋を下ろす。心臓部の銀の槍をバキッと片手で割り箸のようにへし折る。カランカランと槍の切れ端を放り捨てる。パードナーの頭をゆっくりと丁寧にその場に下ろすと立ち上がった。ポタポタと雨粒が日傘を叩く。蜂の巣になったリュウコツヒガサからは雨漏りしていた。


 一説によれば、人の魂の重さは21・3グラムらしい。それは胎児が堕胎できなくなる妊娠22週に相当する重さだ。人間は元を辿れば精子と卵子という細胞から始まる。母親の子宮で1グラム、2グラム、3グラム……と、体重を増やしていく。ならばいつ、人間は魂を獲得するのだろうか? とどのつまり魂の重さとは、幸せの重さではないだろうか。僕たちは21グラムの幸せを与えられてこの世に生まれてくるのではないだろうか。僕はそう思う。


 こんなにも悲しいはずなのに……なのに、未だかつてないほどに力がみなぎっている。こんな感覚は初めてだ。まるで減量中のボクサーの食事制限が解除されたときのような解放感。産声を上げた赤ん坊が母乳を口にしたときのような安心感。

 これが本来の僕の力。


「いきなし飛び込んできたそいつが悪いんだぜ」


 ウルハラは言い訳がましく言った。

 続けて鼻をピクピクと不審に動かす。


「おまえ、さっきの奴とホントに同一人物か? ニオイが変わって……」


 ウルハラのその質疑を僕は無感情に言いすくめる。


「僕はボク」


 僕は雨に構わず、スバッと日傘を閉じる。

 それから日傘を左手に持ち、雨露を払った。


「月光浴にはまだちと早えぜ?」


 そんな僕を見て茶化すウルハラだった。途端、声色が変わる。


「なんだ、その肌の色は……まるで死んじまった奴みたいじゃねえか」


 ウルハラの言うとおり、僕の全身は灰色に染まっていた。その次の瞬間、一瞬にしてウルハラとの間合いを詰める僕。僕の灰色に染まる左手に握られた日傘がウルハラの左テンプルにめり込んでいた。先ほどよりパワーもスピードも格段に上がっている。


「――ウガッ!」


 ウルハラは呻いた。たたらを踏む。

 次に僕は日傘を両手に持ち直して、ウルハラの長い口の先の鼻に打ち込んだ。反射的に怯むウルハラだったが鋭い爪を薙ぐ。僕の腕はプラモデルのようにスパッと切断された。しかし分離した腕は空中ですぐさま接合してしまう。超合金のロボットみたいだ。

 続けて、僕は日傘を握りしめて打撃攻撃を繰り出す。面、胴、小手、脚。そして最後に日傘の石突きで喉を突いた。


「尿が!」


 おそらく、ウルハラは『糞』と言いたかったのだろう。

 別にどっちでもいいけど。

 たまらず僕から距離を取ろうとしたウルハラ。しかし僕は日傘を上下逆さまに持ちかえてウルハラの足にステッキ部分を引っかける。後退を封じられたウルハラは逆にステッキを振り切るように蹴りを放とうとした。しかし、そのウルハラの足に事前に僕の足の裏を当てて力を込められなくする。ウルハラの蹴りを殺した。腕力で敵わないのなら後の先を制するしかない。

 それからウルハラは拳による打撃を繰り出した。


「生きろ!」


 焦燥と激昂を含んだ拳が僕に迫る。僕はウルハラの足から日傘を外すと、今度は地面に石突きを突き刺す。リュウコツヒガサを信じて体重を預けた。ウルハラの拳を受けるたびに日傘を起点にしてぐるぐるとポールダンスのように回って力を逃がす。そして逆に回ることによる勢いを利用して蹴りをウルハラの土手っ腹に叩き込んだ。


「グゥ、おまえケバブみたいに回ってんじゃねえよ……!」

「いいよ。ならノーガードで殴り合おう」


 支柱の日傘を地面から引き抜いて構え直す。僕は巨漢のウルハラと向き合った。次の瞬間、ウルハラのラッシュパンチが飛んできた。そこに戦略性のかけらもない暴力的な拳が、僕に降りかかる。僕の身体は木っ端微塵に砕け散って爆散した。血飛沫が飛び、骨が砕ける。まるでミキサーにかき回されたようだ。僕の眼球は眼窩を飛び出して宙を舞う。満足げに肩で息をするウルハラが見えた。


「どうだ。このオニ野郎」


 しかし、僕の血だるまになった肉体は、雪が固まって雪だるまになるようにすぐさま再生した。ウルハラは閉口するしかない。さらに僕の再生した右手には、血液を凝縮したような赤黒い日本刀が握られていた。それはカサブタのような黒血刀こっけつとう。切っ先の刀身から柄頭までが赤黒い。鞘はない。しいて言えば鞘は僕の身体である。

 ウルハラは驚嘆する。


「なんだよ、それ?」

「これは黒血刀――ヴァンパネッラ」


 僕の左手にはリュウコツヒガサ、右手にはヴァンパネッラ。

 日傘と黒刀の二刀流だ。


「もう終わり? なら今度はこっちから行く」


 僕は日傘と黒刀で、ウルハラを滅多打ちにした。殴打と斬撃の波状攻撃。しかしさすがだ。ウルハラは黒血刀のほうを的確に鋭い爪で弾いている。黒血刀に気が向いている隙に、日傘の石突きで喉を突く。さらに鼻の穴を突く。ウルハラも負けじと対抗してくるが、ぬかに釘だ。爆散した次の瞬間には僕は再生してしまうのだから。さぞかし不気味に思っていることだろう。先ほどとは再生力が桁違いだ。


 人間の血を飲んだ僕は誰も止められない。もう僕自身でも無理だ。水が上から下へ流れるように。火が下から上に燃えるように。とめどなく、止まらない。今の僕が負けることはない。

 言うなれば、ウルハラの攻撃速度が僕の再生速度を上回るか否かの勝負になっていた。

 ウルハラは人殺しハイになったのか、気が狂ったように笑いだす。


「いいぜ。もっと、もっと、もっとだ。おまえを生まれる前の状態にしてやんよ!」


 血で血を洗うような死闘。

 ウルハラの拳が僕の頭を爆散させる。その間に日傘でガードしながら、僕の振った黒血刀がウルハラの獣耳を桜型に斬った。去勢した猫の印のようである。

 もはや最強の矛と最強の盾のぶつかり合いだ。しかし、そこに矛盾はない。ウルハラは尻餅をついた。その眼前には日傘の石突きと黒血刀が突きつけられている。彼の左右の瞳それぞれに日傘と黒血刀の切っ先が映り込んでいた。僕は頭部や腕や足や内臓を欠損していた状態だったが、それもすぐさま治癒する。しかし再生力はだいぶ削られてしまった。


「俺は負けてねえ。だから降参もしねえ。死んでも参らねえ」


 その言葉とは裏腹にウルハラは両手を挙げた。

 おかしな奴。でも、ある種ウルハラの嘘は信用できる。


「降伏宣言をして」


 僕は傘と刀を突きつけたまま要求する。ウルハラは僕を上目遣いで睨みつけた。

 緊張感が漂ったあと、あごを上に向けてワオーン! と、ウルハラは遠吠えをする。

 その敗戦の遠吠えはミニトマ町じゅうにこだまする。それはやがて輪唱となり、同じような遠吠えがあちこちから聞こえた。やはり人狼は遠吠えでコミュニケーションできるらしい。

 もしかしたら人狼の本来の言葉とは遠吠えのほうなのかもしれない。だから他種族と話すときは虚言癖が口を突いて出てしまうのかもしれない。吸血鬼の僕の耳には、街中からの遠吠えは泣いているように聞こえた。

 とはいえ、泣いても笑っても勝敗はここに決した。

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