第24話 はじめてのきゅうけつ

 黒い学生帽がポトリとぬかるみに落ちる。アオハルは僕の手の中で瀕死の状態だった。銀の槍によって貫かれた心臓部からはおびただしい量の血が流れている。

 スタッと体操選手のように着地したウルハラは僕たちを黙って見ていた。追撃してこないのはつまり僕たちに勝ち目はないということの証明だった。


 ポツポツと雨雲が泣きだして地表をしとどに濡らした。

 僕は日傘を差して肩にかける。膝を突いてその上に乗せるようにアオハルを抱え起こした。そのアオハルの心臓部には銀の槍が突き刺さっており、虫の息だった。銀の槍は抜かないほうがいいだろう。血が噴き出すだけだ。せめて僕は銀の槍をへし折ろうと試みるが諦める。今の僕では力が足りない。


「どうして……僕なんか助けたんだよ。吸血鬼なのに」

「気づいたら、体が動いてた」


 アオハルは失笑を漏らす。いつも無表情なのに珍しい表情だ。


「再生力はもう残されていない。銀の槍で貫かれたらソラシオは死んでた」

「放っておけばよかったのに」

「ボクはソラシオに死んで欲しくなかった」

「僕は……! きみに……」


 言葉がまとまらない。

 そして気づけば、僕は涙がとめどなく流れていた。


「きみの夢はどうするんだよ!」

「もう、いい」

「いいわけない! 絶対叶うよ! だからこんなところで諦めちゃダメだ!」


 僕は必死に説得する。

 すこしでも意識を持続させるために。


「うん。あきらめない」

「そうだよ。その調子。その意気だ!」


 僕は無理矢理テンションを上げる。その間も涙がポロポロとこぼれる。

 そして、アオハルは息も絶え絶えにとんでもないことを口にした。


「だから、ソラシオ、ボクを――食べて」

「え?」

「ボクの、ぜんぶ……ソラシオに託す」

「……なに言ってるんだよ」


 いい加減にしろよ。


「アオハルは吸血鬼が嫌いなんだろ? 自分の血を吸われるなんて、きみがもっとも忌み嫌う行為なんじゃないのか。きっと今きみは冷静な判断ができなくなってるんだよ」

「ちがう」


 アオハルはひどく冷静な声色で言う。


「ボクはソラシオならいい。血を吸われても」

「どうして……」

「ボクに初めてできた、ともだち……だから」

「とも……だち」


 そうだ。

 僕たちはブラ校の入学式の日に友達になったんだ。

 僕にとってもこの異世界で初めての友達だった。

 友達の吸血鬼だから血を吸われてもいい。友達になら食べられてもいい。

 そんなのっておかしい。それは果たして友達といえるのか?

 いや、友達だからこそなのか?

 でも、そんな瀕死の怪我人に鞭打つ行為できるわけない。

 僕がトドメを刺すようなものじゃないか。


「ボクはずっと自分に流れる血が怖かった」


 アオハルは告白した。


「太陽一族とか、本当の自分とか、性別とか、知らない。なんで石を投げられるのかもわからない。家業とか興味ない。血縁とか関係ない。ただ……ただ、ボクはボクが嫌い」

「そんなこと……言うなよ」

「なんで?」


 そんなの決まってる。

 おそらく前世から。


「僕が、アオハルのことが好きだからだよ」


 友達として。ひとりの人間として。生理的に好きだ。

 これ以上の理由が必要かい?

 しかし僕の思いとは裏腹に、アオハルの心臓部からの出血は止まらない。

 そんな流れる鮮血を見て、なぜか僕は心臓がドキドキしていた。唾液が止まらない。

 なんて罪深いのだろう。業が深いのだろう。どれだけ綺麗事を並べたところで、人間と吸血鬼との間には純粋な友情は成立しないのだろうか。男と女がそうであるように。

 僕はなんだかとても死にたい気分だった。今まさに死のうとしている友人を前にして。

 しかし、アオハルは正反対のことを僕に言うのだ。


「ボクの血を吸って」

「でも……」

「一生のおねがい。ボクの……血を吸って、吸って、吸って。そして、生きて」

「僕は……」


 正直迷っていた。

 しかし、アオハルの言葉を聞いて決心した。

 もう生きることを迷わない。生きることを惑わない。生きることを諦めない。生きることをいとわない。


「僕は、生きる」


 アオハルを抱き起こして頭を傾けさせた。火山灰のように灰色の肌が露出した。青い頸動脈が弱々しく脈打つ。アオハルの青い瞳と目が合う。僕は顔を近づけてアオハルの首筋に犬歯を這わせた。耳元で囁く。


「いただきます」


 そして2本の牙をアオハルの首筋に突き立てた。ガブッとむ。トマトを丸かじりするようにジュルジュルと流動液が溢れてくる。

 これが人間の血。

 僕の前世の記憶では血は錆びた味だった。それがどうだ。この肉汁と果汁を乾燥昆布で混ぜたような味は。まるで生命の出汁だ。唾液と調和して舌をやさしく愛撫するように包み込む。僕の味蕾みらいを絶頂させる。

 日傘のもと、僕たちは交わる。僕の横顔にアオハルの手が添えられる。やさしく撫でられた。今日だけ、これは一夜限りの関係。もうきっと戻れないのだろう。いやだな。もっと一緒に遊びたかった。もっと一緒に話したかった。もっと一緒に学校で過ごしたかった。もっと一緒に笑いたかった。もっと一緒に泣きたかった。もっと、もっと一緒に……。


 この日、僕は初めて人間の血を吸った。

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