第23話 冥土のプレゼント

「なんですって」


 爆風よりも速く前方に移動することによってダメージを抑えたというのか。力業すぎるじゃない。影法師にホールドされていたはずだけど、影法師が爆発する直前の拘束が緩んだ一瞬、いや刹那の隙に逃げたのだろう。しかし、さすがに背中は黒く焦げており火傷の痕があった。

 ルノの影火薬を当てるには、キョクヤの動きを完全に止めなくてはならないというわけね。

 あたしは手話を介してルノに作戦を伝える。

 これならいくらキョクヤの動体視力がよくとも会話内容は伝わらない。


「ふたりだけで何をお話していらっしゃるんですかね?」

「さあ? 足りない頭で考えれば?」

「わかりました。ではあなたがたの脳味噌をほじくり出して食したのち、じっくり考えることにしますか」


 狂気的に微笑むキョクヤ。


同物同治どうぶつどうちのつもりなのかしら? バカの考えそうなことだわ!」

「ひどい言われようですね」

 

 キョクヤにかまわず、あたしは改めて言う。


「あたしは誇り高きヴァンパイアよ。ウルフッコロなんかに負けるわけない!」


 それから氷製のスケートブーツでスケートマトリンクを蹴って駆け出した。トマト噴水広場の周囲を円形に囲む建造物の壁面を慣性と遠心力を利用して滑る。換気扇や手すりやベランダを避けながらタップを踏むように滑る。まるでフィギュアスケートの演目のようにキョクヤの注意を引く。

 あたしが目立てば目立つほどルノの影は薄くなる。その間に作戦の準備を進めてもらう。


「あなたが陽動ですか」


 キョクヤは見透かしたように言う。


「だからそんな奇抜な髪型をしていらっしゃる」

「これはあたしのセンスよ!」


 失礼しちゃうわ。

 ズザーッズザーッと、氷を削りながら華麗に滑る。建物と建物の間の途切れている箇所は、ダブルアクセルで飛び越える。


「ではそろそろ殺めますか」


 キョクヤがスケートマトリンクに踏み込んだ瞬間、ビチャッと音が鳴った。


「?」


 キョクヤは不思議そうに水浸しの足下を見下ろす。

 いや、それは水ではなかった。


「この臭気は……」

「ねえ、知ってた?」


 心優しいあたしは、その液体の正体を教えてあげる。


「ガソリンは氷点下でも凍らないのよ?」


 トマト噴水広場の中央にキョクヤは立っていた。そこはちょうど円形の噴水エリアである。その足下にはガソリンが撒かれていたのだった。

 キョクヤの視線の先には電柱にぶつかって燃料の漏れている事故車。


「トマトラックから漏れ出たガソリンですか」

「イエス」


 ルノがあたしの応援に遅れた本当の理由はガソリンを回収していたからだった。


「今よ! ルノ、やっておしまい!」


 ガソリンの細道がすこし離れたところまで続いている。ルノは影のように出現した。その手に

はガソリンの垂れた瓢箪が握られている。それをポイッと捨ててからクナイと火打ち石をぶつけ合わせて火花を散らした。その火花はガソリンの垂らされた導火線に灯る。一気に燃え広がった。噴水エリアを炎の円陣が囲い込む。その中心にキョクヤは囚われていた。


「これで行く手を遮ったつもりですか?」


 声だけが炎の円陣から聞こえた。かと思えば、スゥゥ~と空気がこすれる音がする。あたしは音の発生源を探した。すると、キョクヤの胸部は鳩胸のように盛り上がっていた。どうやらキョクヤが息を吸っている音らしい。

 そして、次の瞬間――ブウゥフウッ! と、キョクヤは溜め込んだ息を一気に吐き出したではないか。それはスケートマトリンクの表面の氷が剥げるほどの風圧だった。

 あたしは日傘の石突きをアイゼンのように氷上に突き刺して必死に耐える。ルノのほうは正直どうなってるか見ている余裕はなかった。影が薄いから飛ばされてもきっと気づかない。

 その間もキョクヤはコンパスのように回りながら消火活動に勤しんでいた。まるで蝋燭の灯のように噴水エリアに円陣を描いていた炎は立ち消える。


「なんてバカげた肺活量なの」


 あたしは開いた口が塞がらない。たくさん嘘を吐くにも肺活量が必要なのかしら。


「わたくしの吐息は木の家までなら吹き飛ばせますよ」

「ふ、ふーん。レンガの家は無理ってわけね」


 あたしは変なつよがりを見せた。

 ともあれ、本当の下準備はこれで整った。

 ステップ2に移ろう。あたしは腕時計もしていないのに手首を見る仕草をはさむ。


「そろそろ時間ね」

「あなたの人生の時間が――ですか?」

「いいえ。あんたが敗北する時間よ」


 するとちょうどそのタイミングで、ゴーンゴーン! と、鐘が鳴った。全自動の鐘が定刻を知らせる。噴水広場に音が反響した。


「ねえ、知ってた?」


 あたしは言う。


「12時の鐘と同時にトマト噴水が噴き出すのよ」

「それがどうしたというのですか? そもそもまだ11時45分のはず……」


 キョクヤは壁際の噴水時計を見ながら言った。そののちキョクヤは思い至ったように目を見開いた。

 あたしは先回りして答える。


「そうよ。あの噴水時計は凍ったままで止まっているの。でもね、時計は止まったけど時間そのものが止まったわけじゃないわ」


 キョクヤは不審そうに眉をひそめる。それからビチャッと濡れた自身の足下を見た。先ほどの炎の円陣によってスケートマトリンクが溶けていた。さらにキョクヤが立っているのは噴水エリアである。普段であれば噴水エリアには立たないだろう。しかしトマト祭りによってあたりはトマトジュースの海となり、かつそれを凍らせてスケートマトリンクに整地されている。うまい具合にそれがカモフラージュとなっていた。

 あたしは日傘をその場に置くついでに湿った冷凍トマトを拾い上げた。その冷凍トマトを握りしめてから大きく振りかぶる。そして何の変化もない直球(ストレート)を投擲した。


冥土めいど土産プレゼントよ」


 しかし、その冷凍トマトの弾道はキョクヤからすこしズレていた。それもそうだ。あたしが狙ったのはキョクヤではないのだから。


「その冷凍トマトにはあたしの血が纏わせてあるわ」

「いつの間に……」

「もう忘れたの? さっきあんたがあたしのおなかに風穴を空けたでしょうが」


 しかし、今さら気づいたところでもう遅いけどね。

 その次の瞬間――キョクヤとあたしとの間に赤いトマトジュースの壁が立ちはだかる。お待ちかねのトマトジュース噴水ショーが始まったのだ。足下から一気にトマトジュースの噴水を浴びるキョクヤ。あたしの投げた血液付き冷凍トマトは噴水に触れた。一瞬にして、血能により凍る。ビキビキと水分が結晶化していき、温度が奪われていく。


「『絶対零血ゼロ・クリスマス』」


 それでも氷が迫る前にキョクヤはなんとか逃げようとする。ジャンプして噴水から脱出しようと試みたが、あと一歩のところで及ばない。トマト噴水がキョクヤの足を捉えてガチガチに凍らせてしまった。キョクヤの下半身から上半身までがあっという間に冷凍される。

 冷凍人狼の一丁出来上がりだ。しかし、首から上はまだ動いていた。


「ガルルゥー」


 と、唸って必死にもがく。そして、息を吸い込みだしたではないか。

 まさか吸い込んだ空気で体を大きくして氷を割るつもりなの?

 しかし、先ほどの化け物じみた肺活量ではありえない話ではない。


「なんて生命力なの」


 あたしが呆気にとられていると、背後からあたしの肩を叩く人影があった。


「ルノ」


 いつも通り何も言わないルノ。彼は一歩前へ出て、丁寧に印を結ぶ。

 左手の人差し指を立てて、右手の3本指で握る。そのまま流れるような動作で両手を合わせた。次に両手の内側に巻き込むように5本指を交互に組む。

 ここまでで『影』と『遁』と『黒』。

 今度は両手の親指と人差し指同士を合わせて大きな輪を作る。それから最後に爪を立てた両手のひらを上に向けて重ね合わせた。

 あたしは印を翻訳した。


「『影遁えいとん黒陽炎くろかげろう』」


 刹那、8つの影が氷像に囚われたキョクヤを取り囲んだ。まるで子供がふざけて輪になり手を繋いで遊んでいるようだ。黒魔術の儀式のようにも見える。氷と炎の混合必殺技。ひとりの影の頭の髪の毛が一本こちらに伸びている。

 ルノはその導火線に火を点けるべくクナイを構えたが、あたしは手を握って制止した。


「これ以上あんたに血は流させない。あたしがやるわ」


 あたしはルノのクナイを受け取る。

 そんなあたしにキョクヤは草食獣のような目で訴えかけてきた。


「降参しますから! あなたがたにもう何も致しません! だからやめてください!」


 しかしキョクヤを見つめ返しながら、あたしは無慈悲に言い放つ。


「ウルフボーイの言葉なんて誰が信じるのよ」


 そう言って、あたしは右手に持ったクナイで左手のひらをひと思いにザクッと切る。スゥーッと血が滲んで手のひらを握り込む。痛みの代償に血が絞り出された。拳を伝った血は伸びた影の髪の毛めがけて落下していった。

 滴り落ちる血と反応して影の髪の毛はボワッと燃え上がる。影の導火線が氷上をネズミのように走り抜ける。そしてキョクヤを取り巻く影法師に引火した。さらに手を繋いでいる隣の影に連鎖して大爆発を巻き起こした。


 トマト噴水広場が爆心地グラウンドゼロと化した。

 大きな爆風があたしの肌を灼くかに思われた。

 別に死ぬわけじゃない。今さら気にしない。

 しかしその直前、あたしの前にルノが躍り出る。ルノの手には青い日傘が握られていた。日傘が開かれるとあたしはパードナーの意図を察する。血を流した自身の手をルノの手に添えた。血能によってルノの手を伝い、日傘全体に氷結加工を施す。それと同時に爆風が直撃して、あたしとルノは日傘もろとも吹っ飛ばされてしまった。

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