第19話 銀の杭

 ろくな構えも取らずに、ウルハラはトウモロコメ畑の地面を蹴った。

 トウモロコメのヒゲと葉っぱが舞った。かと思えば、僕の目の前に出現する。あまりの一瞬の出来事に僕の身体は反応できない。日傘でガードするよりも速く、ウルハラの右拳が僕の左頬にめりこんだ。

 まるで鉛の塊で殴られたような衝撃だった。

 すると僕の口から白皙の試金石のようなものが飛び出た。

 あれは僕の歯だ。しかも奥歯。

 せっかく乳歯から永久歯に生え変わったのにな。

 どこか他人事のように僕が思っていると、今度は右頬を殴打された。またもや僕の虫歯ではない永久歯が明後日の方向にすっ飛んでいく。


「ウラァウラァウラァウラァウラァ!」


 長身から放たれるウルハラの連打は的確に僕の顔面をタコ殴りにした。32本中前歯の上下2本以外の28本の歯が抜け落ちる。口内の頬を貫通して外に出ていく歯もあるくらいだ。口の中いっぱいに血の味が広がった。

 ウルハラの戦闘スタイルは超インファイトらしい。

 もっと拳を振って体勢を崩してくるかと思ったけど……案外手堅い。しかし、これだけ殴られれば人狼の骨格構造や腕のリーチやパンチ速度はインプットした。痛いほどに体に叩き込まれた。


「どうした! やられっぱなしか?」


 体が温まってきたのか、さらに声を荒げるウルハラ。


「おまえ、それでも女か?」

「別に僕は男でも女でもどっちでもいいよ。それでも人間でいたいよ」


 どうしてそんな言葉が口を突いて出てしまったのかはわからない。


「カッ、おまえも俺様と同じ正直者らしいな」

「おおきに」

「だがな、人間性なんざ戦場ではクソの役にも立たないぜ。人間を捨てなきゃ勝てねえ」

「…………」

「わかるか? 人間気取りの吸血鬼なんざ、死ぬだけだ!」


 ひときわ重い拳が僕のあごの骨を砕く。体ごとぶっ飛ばした。まるで自動車に轢かれたような衝撃。たまらず、僕はトウモロコメ畑にひっくり返った。その場にパサッと無機質な音を立ててリュウコツヒガサが転がる。

 ウルハラは見下したように見下ろす。


「普通に考えればわかることだ。おまえじゃ俺には勝てねえ」

「……普通っていう言葉こそ、普通からもっともかけ離れた言葉だと思うけどね」


 僕はリュウコツヒガサのステッキを握りながら起き上がる。サメのように生え変わった歯がポロポロと簡単に抜けてしまった。口内なので再生は早いようだけどそれでも追いつかないほどだ。僕は抜けた数本の歯を口内で飴玉のように転がしてテイスティングする。

 たしかに、人狼と吸血鬼ではスピードから筋力から、何もかも違う。

 ましてや僕は前世でもスポーツや喧嘩の経験が乏しいのだ。

 それでも僕は病院のベッドの上でイメージトレーニングを積んでいた時期もあるんだ。

 突如、僕は日傘をウルハラめがけて投げる。

 直接的な目眩ましだ。日傘を貫けばそれもよし。邪魔になる。

 単に払いのけたならこうだ。


「ペッ!」


 僕は日傘を払いのけたウルハラの眼球に向かって、血と唾液を含んだ前歯、奥歯、犬歯を吐き飛ばした。スイカのタネ飛ばしの要領なので誰でもできる小技だ。ついでに余った歯があればだけどね。僕の場合、殴られるたびに抜けた歯をリスのごとく頬袋に溜めていたのだ。

 二段構えの目眩まし――トゥースマシンガンだ。

 ウルハラは日傘を払いのけたほうとは逆の左手で飛んでくる奥歯を払おうとした。しかし、幸運なことに空中で歯同士がぶつかって軌道が変わる。ウルハラは思わず、目蓋を閉じた。

 ここだ!


「人狼にもついてるもんはついてるんだろう!」


 僕は右足を後方に振り上げる。勢いを利用しておもいっきり振り上げた。黄金の右足はウルハラの股間にガーンと命中した。なるべく軽装にするためか、変狼するためなのかは知らないが、局部に股間保護のファールカップなどを装着していなかったのが彼の落ち度だ。


「ぐはっ!」


 ウルハラはその場に膝をつく。僕はさらに畳みかけるようにウルハラの毛むくじゃらのあごに膝アッパーを食らわせる。のけぞり局部を押さえるウルハラの片手を取り、手前に引き込む。入れ替わるように後ろに回り込むと軽くジャンプしてウルハラの首に太ももをかけた。

 後ろ三角締めだ。

 前世で視聴した格闘技の真似事に過ぎないが奇跡的に極まっている。頸動脈が締まって理論上はやがてブラックアウトするはずだ。

 このまま、このまま、どうか落ちてくれ。

 しかし、僕の思いとは裏腹にウルハラは落ちる気配がまったくない。


 うまく三角締めが極まっていなかったのか?

 僕の体重が軽すぎたか?

 それともひょっとして人狼という生物は気を失ったりしないのか?


 するとあろうことか、首に後ろ三角締めをかけられたままウルハラは立ち上がった。

 傍から見れば、僕を肩車しているような恰好である。

 それからウルハラは深くしゃがみ込む。そして、その次の瞬間――僕を肩車したまま、垂直跳びをした。しかし人間の想像する垂直跳びではない。絶叫マシンも真っ青のレベルだ。まるで山を飛び越えるような大ジャンプである。実際は300メートルくらいだろうか。東京タワーもエレベーターいらずだ。などと言っている場合ではない。

 僕は空気抵抗とGによって振り落とされそうになる。必死にウルハラの首に掴まった。ついには垂直跳びの頂点まで到達する。ふっと浮遊感がややあった。重力を置き去りにした。そこから見える景色は龍谷の森。その向こうには狼山。さらにその向こうのウシュットガルドまではさすがに見えない。すると無重力から一転、今度は当然自由落下する。


 ウルハラはきりもみ飛行しながら、頭から一面真っ黄色のトウモロコメ畑に墜落する。隣の動物園では2匹のクビナガザルが毛繕いしていた。とそこで、ウルハラの首を組み挟んでいた僕の足が解けてしまった。つまりトウモロコメ畑に真っ逆さまである。

 バキッグシャッ! と、鈍い音が体中に響いた。膝から後ろ向きに落ちたので、背中とお尻がくっついて海老反りのような恰好になってしまう。これは背骨と腰が粉砕骨折している。おまけに内臓破裂も起こしているだろう。海老反りした僕の視点からはウルハラが上下逆さまに見えた。

 しかし、当のウルハラは無傷だ。体操選手のように綺麗に着地している。

 いったい、どんな強靱な骨をしているんだ。


「そんなグチャグチャになっても死んでるとはな。気持ちのいい野郎だ。おまえいったい、どん

な体してんだ?」


 ウルハラも僕に対して同じようなことを思っていたらしい。骨と骨がくっついて再生していく。そして僕はゼログラビティーのように手を使わずにその場にすっくと立ち上がった。

 振り返ると、ウルハラと対峙した。

 それから満を持したように、ウルハラは甲冑の太ももに手を忍ばせる。左右それぞれの足に合計3本。隠されていた無骨な武器を取り出した。それは細い杭だ。しかも最悪なことに銀製だった。銀といえば吸血鬼にとって毒である。ウルハラは銀の杭を人差し指、中指、薬指、小指の間にそれぞれ挟む。ダガーナイフならぬダガーペグだ。


「おまえとずっと遊んでいたいんだぜ。俺様たちずっと友達でいような?」


 台詞とは裏腹にウルハラは冷徹な瞳で殺意満々だ。

 そんな彼の瞳を見るやいなや、僕は灰色の日傘を拾い上げながら差した。次の瞬間、ウルハラは銀の杭のうち、1本を僕に向かって投擲した。左手の人差し指と中指の間に挟まれていた銀の杭だ。僕は反射的にリュウコツヒガサを前方に下げてガードする。しかし、銀の杭の威力は凄まじい。いともたやすく日傘の生地を突き破る。そのまま銀の杭は僕の右胸を貫通した。


「――ウッ!」


 右胸を貫通した銀の杭は後方の地面へと突き刺さった。だが、これで終わりなわけがない。追撃が来るはずだ。銀の杭に貫かれた部分がジュクジュクと変に痛む。

 回復が遅い。まずいぞ。

 僕は日傘に空いた穴から前方の様子を窺う。

 しかし、ウルハラの姿を捉えることはできない。


「どこだ?」


 僕は呟く。その疑問の答えは、意外なところから聞こえた。


「ここだ」


 それは僕のすぐ背後からだった。

 初撃の銀の杭は日傘を下げさせるための見せ球だったのだ。日傘によって僕の視界が塞がれている隙に一瞬にして僕の背後に回り込んだ。しかもさらりと後方の地面に刺さった杭まで回収している。一連の人間離れした動作は脚力が尋常ではない人狼ならたやすい。


「ウラァウラァウラァ!」


 僕がウルハラの存在に気づいたときには、僕の背中は合計6本の銀の杭によって滅多刺しにされた。まるで焼き鳥の串打ちのように。


「ガァアアア!」


 僕は反射的な判断により前方に走り出した。すぐさま反転して、リュウコツヒガサを差し向けた。しかし、そんなものはウルハラからすれば関係なかった。立て続けに、合計6本の銀の杭がリュウコツヒガサの生地を蜂の巣にした。

 頭で考えても身体が追いつかない。もしかしたら僕の思考スピードよりも、ウルハラの身体的スピードのほうが速いのではないかという気すらしてくる。

 さすがにそんなわけないよね?

 ズタボロにされていく日傘の向こうからウルハラの狂犬のような眼差しがのぞく。


「エサの意見なんざ聞くから血液不足に陥るんだよ」


 ウルハラは言った。


「その結果、血界に穴が空き、他国に侵略される。滑稽の極みだぜ。人間なんざ、家畜のようなものだろう。なぜ征服して支配し、飼わない?」

「人間と家畜は違う」

「うはは。馬鹿な鬼だぜ」


 ウルハラの口ぶりからするに人狼たちは家畜を飼いならして、その肉を食べて生活しているのだろう。そのほうが効率的だ。ラブラッドの人間たちだってそうやって暮らしている。

 でも、それとこれとは別だ。


「きみに生まれてからずっと日陰を歩いている者の気持ちがわかるか?」

「あ?」

「わからないだろう? つまりはそういうことさ」


 今まで人間と吸血鬼は寄り添い合って生きてきた。人なら鬼の気持ちをわかってくれるはず。

 だから。


「僕は人間を守る」

「そらそうだ。大切な食糧だもんな!」

「違う。大切な友達だからだ!」


 僕は日傘の前面でウルハラを押し返した。


「吸血鬼にとって人間は太古の昔からの友人なんだ!」


 アオハルの寝顔を見る。それから僕はウルハラに向き直った。


「ただ一緒に心から笑いたいと思って何が悪い?」

「カッ、所詮、てめえも人間に飼われている動物園のブタザルどもと変わらねえよ」


 僕に負けじと、ウルハラの銀の杭の乗った拳は苛烈を極める。


「人間というお荷物を抱えながら、吸血鬼どもがどこまでやれるか見物だぜ」


 ウルハラに押し返されると日傘の骨が激しく軋む。反発によって僕は後方に吹っ飛ばされた。数十メートルは吹っ飛ばされただろうか。景色が前に流れていく。止まる気配がない。

 ドンガラガッシャーン!

 と、僕は背中を強く打ち付けてやっと静止した。

 白いホコリが周囲に立ちこめている。

 どうやらここはパンタレイ風車塔の内部らしい。倉庫に突っ込んだのか。そこで僕は気づく。この周囲に舞っているのはホコリではない。小麦粉か?

 いや、違う。

 これはトウモロコメを原料とした飼料用の米粉だ。

 この風車では発電だけでなく粉挽きも行っているらしい。

 僕は立ち上がろうとすると、銀の杭に穿たれた傷口が痛む。

 まるで人間に戻ったみたいだ。


「あはは。人間に戻ったみたい……って、僕はもうすっかり吸血鬼になっちゃったんだな」


 自嘲気味に笑いながら風車塔内部を見渡す。案外内部は広い。円形の石臼に連結された主軸は風車の羽根と連動していた。風車が回るたびに主軸の円周を石臼が転がる。トウモロコメを1トンの力ですり潰していた。壁際には米粉の麻袋が山積みにされている。

 そして僕はさらに視線を滑らせる。


「あれは……」


 そこでとあるものに目が留まった。

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