第17話 ブラッドバイク

 僕は白毛の背中を必死に追う。

 キョクヤをアリスメリーが足止めしてくれている間に急げ。

 アリスメリーなら負けない。それにルノも付いている。ふたりを信じよう。

 それより今はアオハルを人狼王子の魔の手から守るのが先決だ。


 アオハルは土地勘を活かして入り組んだ裏路地を進む。それを壁ジャンプしながらスーパーボールみたいに追う人狼王子。そして最後尾から道路を走って追う僕。

 しかし人間の、ましてや子供の脚力で変狼化した人狼から逃げられるわけもない。

 アオハルはあっという間に人狼王子に追いつかれる。


「おまえ、意外と足速えな」


 嘘というか嫌味を囁かれたのち、為す術なくアオハルは人狼王子の肩に担がれた。その次の瞬間、ピョーンと10メートル以上はあるアパートメントの屋上までひとっ飛びしてしまう。

 人狼王子の肩の上に米俵のように載ったアオハルと、僕は目が合った。


「アオハル!」

「ソラ、シオ……逃げて」


 アオハルはそう言い残した。

 そして人狼王子は純白のマフラーをなびかせながら、屋根の上を飛び跳ねるように去って行く。


「……なんて身体能力だ」


 とてもじゃないが僕の足では追いつけない。何か、何か、何かないか。

 僕はあたりを血眼になって見渡す。そして路上に違法駐車されたとあるものに目が留まった。

 それは錆びついたバイクだった。

 全パーツが赤茶けている。2本のマフラーが後輪横ではなく後部座席の真下に水平二連で設置されていた。斬新といえば聞こえはいいが、なかなかどうしてイカれた設計をしている。この特徴的なバイクに僕は見覚えがあった。


「――ブラッドバイク」


 この国でもっとも有名なバイクである。

 今や見る影もないが、元は真紅のまぶしいフルカウルのスーパースポーツだ。

 さらにラッキー。鍵も付いてる。


「持ち主には悪いけどちょっとの間、借りるよ」


 といっても、この錆びついた感じからして誰かが乗り捨てたもののようだけど。そうなると心配なのが動くのかどうかだ。珍しくヘルメットもハンドルに掛かっていた。この地域ではノーヘルが当たり前だからね。吸血鬼にとって日光以外はかすり傷だ。

 赤を基調としたフルフェイス。おでこに目玉がふたつ付いているような一風変わったデザインである。ヘルメットのくせになんだかヘナヘナしたスポンジのような素材でクッション性に優れているようだ。僕はフルフェイスを被る。シールドを下げた。畳んだ日傘を腰のベルトに差す。そしてスタンドを蹴り上げてからブラッドバイクに跨がった。ハンドルの間のエンジンキーを回すと、ホコリまみれのタコメーターの奥がぼんやりと光を帯びる。それから親指で右ハンドルのセルスイッチを押し込んだ。


「イグニッション!」


 その次の瞬間、グォン! と、威勢のいいエンジン音が鳴る。ピカッと昆虫の複眼のようなヘッドライトが光り、魂を宿した。このブラッドバイクのもっとも画期的かつ特徴的なのは、燃料にガソリンを使わないところだ。

 じゃあ何を使うのかって? 決まっているだろう。

 ブラッドバイク。

 その別名はヴァンパイアバイクだ。

 つまり燃料に使うのは――ブラッドである。

 くびれた血液燃料タンクから伸びた透明なブラッドプラグを掴む。そのプラグの先端は注射針のような形状をしている。

 僕は目を閉じた。

 数秒間、逡巡する。


「時間がないぞ。アオハルが危ないんだ!」


 そう自分を奮い立たせた。

 そして僕は自身の太ももに勢いよく注射プラグを刺した。薄汚れた管に新鮮な血が昇っていく。ブラッドバイクの血液タンクに補給される。ピチョンピチョンと滴り落ちる音が車体に響いた。ちなみに腐った血液では燃費が恐ろしく悪くなるため、給血には新鮮な血液が望ましい。

 このバイクには基本吸血鬼しか乗らないが、たまに変わり者の人間が輸血パックを補給して乗っている場合もある。この国の二輪免許は申請だけで取得可能。しかも二輪なら排気量は無制限という何ともゆるゆるなのだ。


「発進!」


 アクセル全開。勢い余って前輪が浮き上がった。バランスをとりながら拾ったバイクで走り出す。血とゴムが焦げたような臭い。赤色せきしょくのテールランプが血管のような流線型を描きながら街中を縦横無尽に走る。血液燃料タンクを抱え込むように太ももでニーグリップする。鈍く光るマフラーから排気ガスとともに赤い血煙を噴き上げた。トップスピードで地上から追跡する。

 ヒリつくようなバイクチェイスが幕を開けた。

 すると屋根をジャンプして移動する人狼王子を発見した。見失わないように後をつける。しかし屋根を伝う人狼王子と違って、道を走っている僕は分かれ道に突き当たってしまった。追跡するためには回り道が必要だ。

 右か左か。どっちだ。


「いや……路地裏、直進だ!」


 僕はエンジンを吹かして細い道に進入する。道中ゴミ箱をかすめると、緑と黒のまだら模様の野良スイカネコが驚いたように飛び跳ねた。


「ごめんよ!」


 言いながら僕は細い空を見上げる。人狼王子が屋上の縁をスタタタッと走っている。すると僕が追いかけているのを下目に見ながら、人狼王子は屋上のプランターを蹴り落としてきた。


「晴れときどき花ってな」


 ヒューンッと、オレンジ色の素焼きプランターが次々と僕の頭上めがけて落っこちてきた。いくらフルフェイスを被っているとはいえ、命中したらバイクの運転どころではない。ただでさえ狭い路地裏を右に左に移動してなんとかプランターをかわす。背後ではパリーングシャと、花たちの断末魔が聞こえた。プランター地獄を切り抜けると道幅が広がる。

 しかし一難去ってまた一難。

 今度は僕の目の前に鉄製のフェンスが立ちはだかった。


「ど、どうしよう!」


 今さら引き返したんじゃ、人狼王子を見失う。

 フェンスを突き破るか? いや、このオンボロバイクじゃ故障する可能性がある。バイクを一旦停めて、フェンスを破壊するか? だからそれじゃ間に合わないって。

 とそこで、路肩に黒のセダン車が停車していることに気づいた。もはやこの方法しかないだろう。僕はギアを上げる。アクセルを開けてエンジンの回転数を上げると、急加速する。


「ええい、ままよ!」


 僕はセダンの後方に突っ込む。別にイタズラに掘りたいわけじゃない。セダンに追突する直前、ブラッドバイクをウィリーさせた。前輪がセダンのトランクに乗り上げる。そのまま車体の上を走り抜けて大ジャンプした。即席のジャンプ台だ。セダンのリアウィンドウはもちろん蜘蛛の巣状に割れてしまうが仕方ない。ギュイーンと飛び立ったバイク。タイヤが空転する。そしてサスペンションを軋ませながら、無事に鉄フェンスを越えてバイクは着地した。


「僕ってバイクの運転の才能あるかも」


 調子に乗りながら、路地裏を抜けて大通りに出た。人狼王子を追うためウィンカーを出して右折する。

 すると、バカでかい風車がいくつも見えてきた。しかもパンタレイ風車だ。丸太のような円筒のプロペラの後ろに平たい輪がある。円筒プロペラを空気がすり抜けて後ろの輪の面にぶつかることによって、渦の気流を生み出し回るという最新鋭の風車である。プロペラが遠くから見るぶんにはゆっくり回っているように見える。その一帯には一面のトウモロコメ畑。トウモロコメとはトウモロコシと米のハイブリッド品種である。平野に黄色の絨毯が敷かれていた。

 さらにパンタレイ風車群の隣には、カザグルマ動物園が併設されている。龍谷の森の動物たちや外国の動物たちが展示されていた。他にもこの惑星アストの恐竜の化石などが展示されている恐竜館などもある。この一帯の電気は風車の風力発電によって賄われていた。

 ややあって、人狼王子は観念したのか、その風車の櫓塔の頂上に降り立った。


「諦めのいい野郎だぜ」


 人狼王子は肩に担いだアオハルのお尻をしばきながら言う。


「そんなにこの女が大事か?」

「女?」


 いや、虚言だとしたら逆に……なるのか?

 真偽はどうでもいいか。

 所詮は凸と凹だ。

 人狼王子はアオハルのお尻のにおいをしきりに嗅ぐ。


「いんや……このニオイは混ざってやがるな?」


 アオハルは頬を赤らめながら、怒ったようにカッと目を見開く。後ろに手を回しながら人狼王子の顔をまさぐる。すると王子の長い口の先にある湿った鼻の穴に、アオハルの人差し指と中指がそれぞれ突き刺さった。


「フンガッ!」


 鼻フックをされてブタッ鼻を鳴らす人狼王子。思わず肩に担いだアオハルを下ろす。そのまま片手で細い首を掴むかたちとなった。地上から30メートルはある風車塔の上でアオハルは宙ぶらりんの状態になる。

 僕はブラッドバイクに跨がりながら声を張り上げずにはいられなかった。


「アオハルを離せ!」

「断じて断る。ぜってー離さねえ」


 と言いながら、あろうことか人狼王子はパッと手を離した。

 まったく息をするように嘘を吐く男だ。

 当然、風車塔からアオハルは真っ逆さまに落ちる。僕はアクセルを開いてエンジンを吹かせると落下ポジションにバイクを走らせた。


「間に合え!」


 そんな僕の思いがブラッドバイクにも通じたのか、自由落下するアオハルをギリギリ両手でキャッチすることに成功した。ハンドルを離してお姫様抱っこするかたちだ。

 アオハルは久しぶりに呼吸をしたようにゴホッゴホッと咳き込んだ。


「アオハル、大丈夫?」

「たぶん」


 そう言って、アオハルは微笑んだ。

 しかし、僕が安堵したのも束の間、そのタイミングを狙われる。風車塔の上には人狼王子はすでにいない。こちらに向かって飛び降りていたのだ。そして自慢の凶暴な爪でもってアオハルキャッチの瞬間を虎視眈々と狙っていた。5本の鋭い爪が僕のフルフェイスヘルメットをザクッと切り裂く。僕の頭部はフルフェイスごと輪切りにされてあたりに散らばった。そのままバランスを崩してブラッドバイクはクラッシュしてしまう。

 頭を失くしてもなお、僕は本能的にアオハルの頭部を抱えて防護する。ふたりともバイクから落車して、ゴロゴロと一緒に農道を転がった。

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