第14話 月の牙石

 僕とアリスメリーはふたりの人狼と対峙する。

 アリスメリーは強気に前に出た。


「あたしの国に何しに来たわけ?」

「見てわからねえか? 平和をしに来た」


 わかりやすい空言そらごとである。


「あんたって、もしかして嘘つきライアー?」

「イエス。そういう性癖なもんで」

 

 虚言癖。

 人狼の特性のひとつだ。

 王冠を被った人狼はマフラーをたくし上げながら、今度は僕の足のつま先から頭の先までを観察する。


「なんだおまえ、チビだな」

「誰がチビなのさ」

「うはは。歳いくつだよ?」

「12歳だけど」

「なんだよ、タメかよ」


 それが本当だとすれば、彼は人並み外れた成長速度だった。身長は180センチはあるだろう。声変わりも迎えている。長いマフラーのせいで素顔は下半分隠れているが大人びている。

 それはさておき、王冠の人狼は警告する。


「町には下水道から人狼が各方面に展開している。おまえらに逃げ場はねえよ。血界内に逃げたところで壊されるのも時間の問題だ。黒旗を振るなら命までは取らねえ」

「それを言うなら白旗では?」

「喋れ」


 人狼語を翻訳すると『黙れ』ってことか。


「で、どうすんだ?」

「そんな大事なこと僕の一存で決められるわけがないよ」

「ケッ、おもしろい答えだぜ」


 心底退屈そうに王冠の人狼は言った。


「でも」


 僕は続けて言う。


「きみたちが僕たちから何もかも奪おうっていうなら死ぬ気で抵抗するよ」

「笑えるぜ」


 言葉とは裏腹にその人狼の目はちっとも笑っていなかった。


「先に奪ったのはおまえらだっていうのにな」

「なんだって?」


 どういう意味だ?

 人狼語なら反対の意味になるのか……?

 虚言癖はややこしい。


「まあいいぜ。やるぞ、キョクヤ」

「仰せのままに、王子」


 あいつは王子なのか。

 つまり人狼王子? 

 王冠を被っているとは思っていたけど。

 人狼王子は両耳に三日月のような弓なりのイヤリングをしている。その鉱石は蜂の巣のようにたくさん穴が空いていた。そして右耳のイヤリングだけを外した。


「おまえら、人狼化に必要な条件ってわかるか?」

「そんなの満月じゃないの?」

「まあ半分正解だ。だが、満月の日にしか変身できないんじゃただの阿呆だろ?」


 もっともらしく言って、人狼王子は琥珀の眼を見開く。


「つまるところ、人狼化に必要なのは月のエネルギーだ。そして、この石は月からの贈り物――月の隕石なんだぜ。その昔、隕石地帯であるウシュットガルドに落ちた特大の月の隕石。その名もアカズキン33。石職人がそれを切り出して加工した。それがこの月の牙石がせきだ。けっこう貴重だからよ。先祖代々、家宝として引き継いでいくんだぜ」


 それから人狼王子は月の牙石を親指の爪の上に載せる。ピーンと真上に弾いた。

 大切なものじゃないのかよ?

 ともあれ、太陽と重なるように月の牙石は回転する。三日月のような牙石が太陽の光を吸収した。人狼王子は口許のマフラーにたゆみをつくり、口を開いて上を向く。そのまま月の牙石は王子のマフラーの内側へと吸い込まれるように落ちていった。ゴクリと喉が鳴った。


変狼へんろう!」


 その次の瞬間、人狼王子の白髪がじわじわと伸び始めたではないか。かと思えば、体毛が異様に濃くなる。バフッと口が長くなった。およそマフラーでは覆い隠せないほどに。肉食獣の証である鋭利な牙が整然と並んでいる。全身の骨が太くなり筋肉細胞は活性化する。さらに身長が伸びて2メートルを越した。

 一方、執事のキョクヤは左耳だけにしか月の牙石のイヤリングをしていなかった。そのあとに続くようにキョクヤも片耳のイヤリングを外す。親指と人差し指で月の牙石を摘まんだ。同様に嚥下すると変狼した。

 ワオーン!

 と、唸ると町中の至るところから遠吠えが返ってくる。何かしらの合図や伝令なのだろう。こんなにもオオカミの遠吠えがこの国にこだまする日が来ようとは思いもしなかった。

 一方で朗報もある。それは民間人は一通り逃げたことだ。残ったのは日傘を差した吸血鬼。というのも吸血鬼のなかには民間軍人も多い。徴兵制の賜物だ。血の気が多いのはご愛嬌である。しかし吸血鬼の場合、日陰で戦うか日傘が手放せないだろう。圧倒的不利だ。


 日傘を差した吸血鬼集団とマフラーを巻いた人狼軍団。

 双方が赤い海の上で睨み合っていた。

 まさに戦争の火蓋が切られようかというときにグチュグジュッと、みずみずしい音が住宅街に響いた。その音の発生源は電柱に追突したトマトラックの方向からだった。全員の意識と視線がそちらに向けられる。そして、トマトラックの荷台からとある人物がひょっこりと顔をのぞかせた。荷台から飛び降りる。それはまさかの僕のパードナーだった。

 呑気にもアオハルは口にトマトを咥えていた。


「アオハル……」


 おそらく、トマトラックの荷台のトマトの山の中に埋もれていたせいで逃げ遅れたのだろう。トマトの山がクッション材となって事故の衝撃を吸収したに違いない。

 しかし、アオハルは最悪のタイミングで顔を出してしまった。


「まだ雑魚が残っていやがったか」


 人狼王子の眼はアオハルに完全にロックオンされていた。


「アオハル、逃げて!」


 僕が叫ぶのと人狼王子が駆け出すのは、ほぼ同時だった。

 人狼王子が蹴ったトマトの海にビチャッと波が立つ。


「え?」


 アオハルが吐息を漏らす次の一瞬で、人狼王子は間合いを詰める。その距離、ざっと50メートル。人狼王子は左手のこわごわと伸びた鋭利な爪を横からえぐるように薙いだ。5本の切れ味鋭い爪がアオハルの灰色の肌に食い込もうとした――まさにそのとき、絶妙なタイミングでアオハルは足下の潰れたトマトを踏んづけて、ズルッと足を滑らせた。


「――ッ!?」


 予想外のアクシデントによって人狼王子の爪はトマトラックの荷台に穿たれた。鉄が切り裂かれてトマトの山が崩れてゴロゴロと道路に散らばる。その衝撃波に背中を押されるようにして、アオハルは勢いよく駆け出した。裏路地に逃げ込む。


「待て。この灰色野郎!」


 人狼王子はトマトラックにハマった手を引き抜くのに苦労する。強引に毛むくじゃらの手を引っこ抜く。その鋭利な爪には潰れたトマトが突き刺さっていた。手を振ってトマトを飛ばす。赤く染まった爪を舐めてから人狼王子はアオハルを追った。

 僕もこうしちゃいられない。


「アリスメリー、ここは任せた」

「ちょっ、あんた!?」


 アリスメリーを無視して僕は駆け出した。

 しかし、人狼執事のキョクヤが僕に追いすがろうとする。


「逃がしませんよ」


 それと同時に青い日傘が広がってキョクヤの前に立ちはだかった。いきなり広い面積が眼前に広がると、生物は本能的に警戒してしまうものである。翅を広げて威嚇するカマキリのようなものだ。


「ザンネン、行かせないわよ」


 アリスメリーは前方に日傘を差しながら、僕に怒り肩を見せつけてきた。


1個ワン、貸しだからね!」

「おおきに!」


 僕はアリスメリーにお礼を言う。

 そしてアオハルを追う人狼王子の白い尻尾を追いかけた。


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