第13話 人狼侵攻

 こんな話をしていると、どこからか厭な視線をふと感じる。

 僕は目だけであたりを見回す。

 すると百鬼夜教会の生け垣に青いスライムの群れがいた。さらに目線を上げると、教会の尖塔の暈十字かさじゅうじが輝く。暈十字とは十字の縦の頂点と横棒の左右の頂点が線で結ばれているものをいう。ちょうど傘のように見える。石突きとステッキ部分にも十字があしらわれている。

 その暈十字の頂点に赤く光るものがあった。


「トマト……?」


 いや、違う。

 トマトは教会の結界に弾かれるはずだ。

 吸血鬼にとって日中なので見えづらい。僕はよく目を凝らすと、その正体を見た。


 それは世にも珍しい――真紅のスライムだった。


 基本的にスライムに知能はなく雑食性で本能の赴くままにエサがある限り無限に食べる。たしか町中に散乱したトマトをスライムが食べて掃除してくれるのだとか。ネズミなどの動物と違って病気を媒介しないので重宝されている。町の掃除屋だ。

 しかし、その真紅のスライムは民衆をまんじりと見下ろしていた。正直、気味が悪い。


「どうかしたの?」


 突如、アリスメリーの顔が目の前に現れた。僕はすぐさま横にずれて彼女から視線を外す。教会の尖塔を再度見たが、真紅のスライムはすでに消えていた。


「いや、何でもないよ」


 僕はそう答えるしかなかった。


「あっそ」


 アリスメリーは仏頂面でふて腐れた。そして一転、彼女は対角線に手を振った。

 何だろう?

 そちらのほうを僕が見やると、赤土瓦の屋根にひとり佇む黒尽くめの人物がいた。

 ルノである。彼はトマト祭りを赤屋根の上から冷たく見下ろしている。アリスメリーに付き添っていたはずだが、いつの間にかいなくなっていた。

 影があまりにも薄いので気づかなかった。

 それからアリスメリーは挙げた手を何やらヒラヒラさせていた。


「それって?」

「あー手話よ。ルノは喋れないから」


 そうだったのか。


「てっきりアリスメリーに虐待されているのかと……」

「あんたね」


 アリスメリーは心外だと言わんばかりだった。


「あたしたちは生まれながらの主人と下僕の関係なの。ルノの生まれたサクライ家は先祖代々クリスマス家に仕える吸血忍者の家系なんだから」

「吸血忍者、ね」


 するとルノはアリスメリーにすぐさま気づく。右手の人差し指と中指を立てて眉間に当てる。今度は両手の人差し指を立て向かい合わせてから、ぺこりとかぎ状に曲げた。

 たぶん挨拶したのだろう。

 祭りの喧噪のなか、遠く離れていても声を張らずに会話できる。手話は便利だ。


 とそこで、赤屋根の上のルノに異変が起きる。それは遠くまで見渡せる建物の上にいたからこそいち早く気づいたのだろう。赤屋根の上に駐留していたのも監視のためだったのだ。

 ルノは慌ただしく手話で訴えた。手話のもうひとつの利便性。それは皮肉なもので手話理解者が少ないからこそ効果を発揮する。要するに手話は暗号としても使えるのである。だからこそアリスメリーはいち早くそれに気づけた。それも敵に気づいたことを悟られずに気づけたのだった。アリスメリーは僕だけに聞こえる声量で囁く。


「敵襲よ」

「は?」

「ここは離れたほうがいいわ」

「急になに? 敵襲って?」

「いいから行くわよ」


 かなり強引にアリスメリーは僕の手を引っ張った。僕は彼女の珍しく鬼気迫った空気に押されるかたちで身を任せる。しかし、逃げようにもこのトマトロードは一本道だ。トマトで町ができるだけ汚れないように配慮して一本の大通りで祭りが開催されていた。

 人混みのせいで僕とアリスメリーは身動きがとれない。日陰からは出られないし、日傘を開けばさらに動きづらくなるだろう。詰んだ。それでもなお、参加者はトマトを投げ合っている。グチュビチュッと果肉が弾ける音がこだまする。


 そして、ついにそのときが来た。


 グチュヒューンボトッと、とある赤い塊がトマトラックの荷台に落ちる。トマトの山に埋もれた。その赤い塊を荷台に乗った人がトマトと一緒に道路に向けて投げた。


「あれ?」


 それを投げたあとに張本人は違和感を覚えた。さらにその赤い塊をぶつけられたヒゲの濃い吸血鬼男性。その後、男性は毛の濃い胸でそれを器用に受け止めた。ためつすがめつする。残念ながらそれの正体はトマトではなかった。

 なぜなら、トマトはドックンドックンと脈打ったりはしないのだから。

 吸血鬼男性はそれを見て呟く。


「……心……臓?」


 吸血鬼男性の所有物となった何者かの赤々とした心臓。

 それに気づいた他の参加者の吸血鬼女性が悲鳴を上げた。あかい目が恐怖の色に染まる。


「キャアアアアアアアー!」

「ち、違う! 誤解だ! 俺じゃない!」


 ヒゲの濃い参加者はあらぬ容疑をかけられたと思って、冷や汗が噴き出る。気が動転したのか男性は心臓を取り落とす。赤い液体の付着した手であろうことか叫ぶ女性の口を塞いだ。


「ンヴーーーンッヴン!」


 なおも吸血鬼女性はパニックに陥る。

 その次の瞬間、悲鳴を上げた女性と心臓を持っていた男性の首が飛んだ。ふたつの頭部の額が上空でごっつんこする。どこからか飛んできたトマトが叫ぶ女性の口にトポッと入った。そして首なし男性の体には女性の生首が、首なし女性の体には男性の生首が載った。フィギュアのように頭部が入れ替わった形だ。

 そのふたりを囲んでいた人垣が割れて日が射した。男性と女性の吸血鬼は蒸発するようにその場で灰になった。

 そんな狂気じみた惨劇を犯したのは――トマトラックの警備員だった。5本の鋭い爪からは鮮血が滴っている。手刀によってふたりの頭部を切断したのだ。


「なんで……」


 思わず、僕はそんな疑問が口から漏れた。

 間髪置かずに次はトマトラックが暴走を始める。突如、アクセル全開で人垣に突撃した。人間党のデモ隊に突っ込む。次々と人を撥ねて撥ねて轢き倒した。挙げ句の果てにはトマトラックは百鬼夜教会に突っ込む。だがしかし、あえなく血界に阻まれた。軌道が逸れると教会の外壁に車体を擦りつけながら木製の電柱にぶつかった。

 ややあって、ガチャンとトマトラックの運転席のドアが開く。放射状に割れたフロントガラスがバリバリと木っ端微塵に落ちた。その運転手に警備員が駆け寄った。


「ご無事ですか?」

「ああ。ぜんぜん痛くも痒くもあるな」


 運転手は首を押さえながらコキッと鳴らした。

 その運転手と警備員の周囲には円状に人垣ができていた。あたりを緊張感が包む。トマト祭りに乗じて民衆の中に外敵が紛れ込んでいたのは明白だ。吸血鬼の日差し対策が逆に隠密に利用されてしまったのだ。

 そして、運転手と警備員は黒と黄色のレインコートを同時に脱ぐ。サングラスも外した。警備員のほうはなかに燕尾服を着用していた。丸眼鏡をかけている。首元には黒いマフラーを深く巻いていた。

 一方の運転手のほうは白を基調とした甲冑を纏う戦士。ひときわ豪華な金の装飾がちりばめられている。背中には赤いマントがはためいていた。純白のマフラーを口許まで深く巻いていた。地面につくほどに長いマフラーである。そして白髪の頭には、権力の象徴である王冠を被っていた。重そうな甲冑のせいで暴走運転してしまったと思いたいが、真実は違うのだろう。上級国民であっても到底許されることではない。


 そしてまさにそのとき、立て続けに毛の生えた赤い塊が空から落ちてきた。今度は人の頭部だった。もぎたてのトマトのように次々と頭部が降ってくる。いや、瞳が赫いのでこれは吸血鬼だ。だからどうした? 吸血鬼だったら死にはしないって? そんなことはない。

 太陽を浴びた吸血鬼の生首はジュクジュクと焼きただれたのちに灰と化した。トマトの海に灰の小山が降り積もる。


 直後、祭りの参加者たちはパニックに陥った。赤い海の上を走り回ることしかできない。トマトの果汁なのか誰かの血なのか、もはや区別がつかなくなっていた。

 これではトマト祭りではなく血祭りである。

 まさに地獄絵図だった。

 さらに不穏な気配が立ちこめる。示し合わせたかのようなタイミングで、トマトラックの後方から甲冑の軍団がザッザッと行進してきた。その数、ざっと1000。話し合いをしに来たわけではないのは一目瞭然だった。そしてなんと全員が全員マフラーを深く巻いていた。


「穏やかじゃないね、どうも」


 僕は嘆息する。

 すると、目の前の王冠を被った人物が言う。


「俺様たちはウシュットガルドから来た人狼だ」

「人狼だって?」


 僕は呆気にとられた。とそこで、ウーウー! と、緊急警報サイレンが鳴り響く。町中のスピーカーから避難命令が発令された。


「ミニトマ町に人狼が確認されました。付近の住民は速やかに血界指定区域内に避難してください。繰り返します――」


 血界指定区域とは各自治体によって定められた緊急避難基地のようなものである。たとえば僕らの通うブラ校などがそれに該当する。有事の際には血界専門の吸血鬼によって強力な血界が張られる。そこに逃げ込めば、ひとまず身の安全が約束されるのだ。

 民間人たちは安全地帯を目指して、人狼軍団から必死に逃げ始めた。


 しかし、僕とアリスメリーはその住民の流れに逆らうように、その場に留まっていた。

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