第12話 吸血衝動

 僕が胸をなで下ろしていると、トマトラックに忍び寄る影があった。その影はトマトラックの荷台に乗り込む。すると荷台のトマトの山から黒い学生帽だけが顔を出していた。

 その人物は腹ぺこアオハルである。

 ここぞとばかりにトマトをむしゃむしゃと爆食いしていた。緑のヘタをむしり取る。赤い果肉の中のドラゴンの卵のような種をジュルジュルとすする。口元からダラダラとみずみずしい赤い汁が垂れた。アオハルの胃袋はブラックホールだ。


 そんなアオハルの口許から垂れる妖艶な赤い汁を見て、僕はおかしな感覚に陥る。

 どうしたんだろう。体が火照ってきた。無性に喉が渇く。


「ふん、どこに行ったのかと思えばそんなところにいたのね?」


 アリスメリーが道路から呼びかけると、アオハルはこちらに気付いた。荷台から飛び降りてから僕とアリスメリーに赤い実を差し出す。


「いる? トマト?」

「いるわけないでしょ!」


 アリスメリーは差し出されたトマトを親の仇のように握り潰した。

 そこまでしなくても……と思いながら、僕も固辞する。


「いや、いいよ」


 そんなトマトなんかで僕のこの熱い喉の渇きは癒やせない。それよりももっとドロドロした赤いものが欲しい。喉から手が出るほどに飲みたい。吸い尽くしたい。

 トマトラックのタイヤに轢かれて赤い果実が潰れて弾ける。カエルの卵のような果肉が路傍の排水溝に吹き溜まっていた。周辺道路の路面はすっかりトマトジュースの海だった。排水溝がトマトで詰まって水はけが悪くなっている。トマトジュースの水位は10センチほどある。長靴を履かなければ靴はぐじゅぐじゅ不可避だ。

 もうすっかり全員トマトまみれだった。


「帰ったらシャワー浴びないとね。寮母のアメマリアさんにびっくりされるな」

「あんた、人殺してきたと勘違いされんじゃない?」

「……僕のことをなんだと思ってるんだ」


 というか、吸血鬼に両親を殺害された子の前でそういうことを言うなよ。まあアリスメリーは知らないんだろうけど。

 アオハルの灰色の首筋がやけにまぶしく見える。

 青臭いトマトにまぎれていい匂いがする。

 それからアオハルは僕たちに背を向けた。

 もう行くらしい。


「ボク、トマト食べるから」

「え? まだ食べるの? ちょ、ちょっと! アオハ――」


 僕は去りゆくアオハルの肩を掴もうとした。しかし、自分で自分の手を掴んで、なんとか衝動を抑える。抑えこんだ自身の手を見れば鋭い爪が地肌に突き刺さっていた。ツゥーッと血が伝う。そんな僕はどこ吹く風でアオハルはトマトラックを追いかけて行ってしまう。

 よかった。僕の葛藤には気づいていないはずだ。

 でも、そんな挙動不審な僕に気づいている人物が隣にひとりだけいた。


「ヴァンパイアは第二次性徴とともに吸血衝動が強くなる。とくに男子の場合はそれが顕著ね」


 アリスメリーは冷血に言った。


「あんた、人間の血を吸わないと、そのうち本当の鬼になるわよ?」

「……わかってるさ」


 僕は血が出るほど自身の唇を強く噛みしめた。血の味が口に広がる。

 今さっき、僕は友達をどんな目で見ていた?

 自分のこととはいえ考えたくもなかった。


 するとトマトラックは百鬼夜教会の大聖堂前を通過する。教会側にはトマトは投げつけないのが暗黙の了解となっていた。どうせ投げつけたところで強力な血界が張られているので跳ね返されるだけである。教会からは聖歌が漏れ聞こえる。

 その教会の路地裏の影には、吸血鬼の女性が突っ立っていた。露出度の高い派手な衣服を身にまとっている。すぐ横にはダンボールとブルーシートの城が築かれていた。


「あれはいったい……」

「たちんぼと乞食とホームレスね」


 アリスメリーはオブラートに包まずに言った。

 僕は絶句する。

 とそこで、ゴソゴソとダンボールが壊れそうなくらいに激しく揺れていた。


「何やってんだか……」

「ヴァンパイアの売春なんて珍しくもないわ。性病の心配もないし、堕胎も簡単だしね。子宮にナイフを刺せば一発だわ。母体が死ぬ心配もない」

「そんな……命を粗末にするような真似……」

「仕方ないでしょ。貧乏鬼は生きるために身を切るしかない。どうせヴァンパイアは国の許可なく子供を持つことは禁止されてるんだから」

「なんで?」

「重い人口抑制が課されてるの。ヴァンパイアが増えればそのぶん人間の血が必要になるからね。だから他にもヴァンパイアは眷属を作ってはいけない非眷属法もあるの」


 吸血鬼と人間の人口バランスは常に気を配らなくてはいけないというわけか。

 すると今度は、街のあちこちから人間党員のデモ隊が行進した。


「シューマン・ライブズ・マター! シューマン・ライブズ・マター! シューマン・ライブズ・マター!」


 デモ隊はトマトを投げつけられながらもプラカードを持って人間の命の大事さを訴えている。

 アリスメリーは敵愾心を剥き出しにして言う。


「最近はヴァンパイアに頼ることをよく思わない人間党は一定の支持を受けているんだって。彼らが掲げるマニフェストは血税の廃止、防衛費の削減、そしてヴァンパイアの徴兵制の廃止。この国で徴兵制があるのはヴァンパイア種族のみだから」

「どうして?」

「人間によるクーデター抑止の意味もあるし、単純に適性の問題ね。ヴァンパイアなら戦場で簡単には死なないしね」

「不死の軍隊ってことか」

「夜間限定だけどね。だいたいこの国の防衛はヴァンパイア、経済は人間という役割分担で成り立っているはずなのに、バカにはそれがわからないのよ。低脳だから。ヴァンパイアという仮想敵を作ることでしか結束できないなんて、なんともオニバカな種族なのかしら」


 言い過ぎだろう。さすがに。


「特にここ最近の人間党員の吸血用血液の徴収、文字どおりの血税が滞っているらしいわ。はん、黙って血を差し出せばいいものを」

「それはそれでどうかな」

「まあ人間の血を飲まないあんたには関係ないわよね」

「そんなことないよ」


 納血は大事だ。この国の三大義務のひとつでもある。

 血を得る代わりにいざ戦争となれば吸血鬼が徴兵される。前線に送られて国を守るのだ。

 面白くなさそうに笑いながらアリスメリーは続ける。


「でも明日、人間党に対して大規模な弾圧が行われるって噂よ」

「え? だいじょうぶなの?」

「だから今日が最後の抵抗でしょ。人間党も終わりね」


 ちなみに医師の診断書などがあれば献血しなくてもいい場合もある。しかし宗教上の都合などは罪に問われる。悪意があろうとなかろうと脱税は看過できない。そりゃ誰だって血税は払いたくない。だが、吸血鬼にとっては死活問題だ。

 吸血鬼なんて血がなければただの人だ。

 飢饉や災害によって人間が大量に死ぬと血液の値段が跳ね上がる。この国では人間の血液は石油にも勝る。吸血鬼というスポーツカーを動かすためには欠かせないガソリンなのだ。

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