第10話 竜骨日傘

 キーンコーンカーン。授業終わりの鐘が鳴った。トマトがピラミッド型に積み重なった校舎のヘタの部分に大きな黄金の鐘が吊り下がっている。下にズヴォナールという鐘の鳴らし手が控える。定時になると、彼がヒモを引っ張り音を鳴らすのだ。

 僕とアオハルは月見つきみ寮の寮母であるアメマリアさんに断ってブラ校を出た。


「どこに行くつもり?」


 アオハルの質問に僕は日陰で足を止めて答える。


「もちろんブラ校生ご用達の日陰ひかげ商店街だよ」

「なにそれ?」

「いろんなお店がしのぎを削ってる通りのことだよ。日陰商店街でそろわないものはないって言われてるんだ」

「そう」


 アオハルは興味なさげに呟く。


「ところで、お金はあるの?」

「うん。サエから1万ラブ渡されてる」


 ちなみにラブとは、このラブラッドの通貨である。血の染みこんだような真っ赤な紙幣だ。

 そんなこんないっているうちに日陰商店街に到着した。石畳にはこの国のラブ語で日陰商店街と彫られている。日の届かないほど仄暗く広い通りにはさまざまな店が軒を連ねていた。


 団子屋。八百屋。居酒屋。パン屋。古本屋。おもちゃ屋。鍛冶屋。ライブハウス。血液専門店。大人のお店。モンスターハンバーガー屋。密猟ペットショップ。黒魔術専門店。賭博場。


 アオハルはハンバーガー屋を横目で見ながらヨダレを垂らしつつ我慢していた。

 先ほどあれほど食べたばかりなのにまだ食欲があるらしい。


「何か買いたいものがあったら言って。おごってあげる」

「いい」


 アオハルはヨダレを拭いて黒い学生帽を被り直した。

 そしてついに僕はお目当ての店舗を発見する。そのお店は大きな傘型の屋根をしていた。軒先には開いた日傘がインテリアのように置かれている。看板には『日傘屋』と銘打たれていた。淡い赤色の暖簾をくぐると店内は薄暗かった。一個の丸い裸電球が揺れていた。さらには開かれた6本の日傘が天井から吊られている。両サイドには静かに閉じられた日傘が所狭しと物干し竿にぶら下がっている。まるで日傘のカーテンだ。


 その店の奥にはレジ台があり、その向こうにひとりのおじいさんが座っていた。こちらを向いているが頭に小さな日傘のようなかさを目深に被っているため目許は見えない。ただ大きな鼻が特徴的である。


「いらっしゃい。こりゃ若いお客さんじゃね」

「こんにちは」

「はい、こんにちは。ブラッドレッドの新入生かね?」

「そうです」


 アオハルは警戒しているのか無言でおじいさんを睨みつけていた。

 やめとけよ。おじいさん相手に。


「かっかかか。わしはここでずっと日傘を売っとる傘爺かさじいじゃ。どうぞ好きな日傘を見ていきなされ」

「おおきに」


 僕はそう答えて店内を物色する。はじめての傘買い。無地や花柄や水玉やフリルのついたものなど、色とりどりの日傘がコウモリのようにぶら下がっている。

 僕はそのうちの黒い一本の傘を手に取る。見かけによらず妙に重たい。


「傘爺、開いてみてもいい?」

「どうぞ。開けるもんならの」

「?」


 含みありげな傘爺だった。

 かまわず、僕は巻かれた日傘のネーム紐の留めパッチを外す。ファサッとゆるやかに広がる。それから僕はステッキ部分を持ちながら、歯のような下はじきのポッチを押し込んだ。


 しかし、日傘は一向に開かない。


 僕は下はじきのポッチを押し込みながら、今度は力尽くで開こうと試みる。日傘の中心の骨の下部に付いたろくろを押し上げようとする。だが、頑なに日傘は口を閉ざしたままだった。

 そんな僕の様子を見ながらアオハルは口を尖らせる。


「きっと壊れてる」

「壊れてはおらんよ」


 しかしそう答えたのは傘爺だった。もっさりと立ち上がる。体格は小柄な甚平姿。机に隠れていて気づかなかったが傘爺には両足がなかった。その代わりに2本の閉じられた傘が生えていた。2本の日傘の先端で地面を踏みしめ、器用に歩行できるようだ。

 二本傘足。

 足を傘にしてしまうとはどんだけ傘が好きなんだろう。そして欠損しているということは吸血鬼ではない。傘爺は僕から黒い日傘を取り上げるとフッパン! と、いともたやすく日傘を開く。まるで魔法のようだった。


「日傘は人を選ぶ。好かん者には心を固く閉ざし、真の持ち主に巡り会えたときに初めて、心を開くものさね」


 粋なことを言う傘爺だった。


「おまえさん、ちょいと手を貸してみなされ」

「はあ」


 傘爺は黒い日傘を小首に当てて差し、僕の左手を両手で揉む。

 手相でも見られるのか?

 この年代の人ってほんと手相が好きだよね。


「ほう、これは転生者の線があるのう」


 僕は内心ギクッとする。

 完全に油断していた。

 どうにか誤魔化さなければ……。


「……み、見間違いじゃないですかね?」

「見間違い? ないない。ほれ、おぬしの手のひらの中央に星型があるでな」

「言われてみれば」


 たしかに☆に見えなくもない。

 でも手の皺なんてそんなもんじゃないのか?


「ちょっと待っとれ」


 そう言って、傘爺は店の奥の倉庫に引っ込んでいった。


「胡散臭い」

「まあまあそう言うなって、アオハル。気のよさそうなおじいさんじゃないか」

「ソラシオはいつか騙される」

「そうかなぁ?」


 とそこで、傘爺が店の奥から戻ってきた。

 その手には一本の灰色の日傘が握られている。


「傘爺、それは?」

「これはな、特別な一本だの。不死鳥の羽根の膜が水を弾き、風を受け流し、火を妨げる。持ち手にはユニコーンの角が使われておる。そして傘の骨には龍骨を使用した、その名も――龍骨日傘りゅうこつひがさ

「なんかめっちゃ高そうだね」


 予算1万ラブしかないんだけど。


「じゃが今までこの龍骨日傘を開けたものはおらん。おぬし、試してみなされ」

「普通に考えて今まで誰も開けたことがないんだから、僕に開けるわけないと思うけど……」

「よいから、よいから」


 あれよあれよという間に灰色の日傘を僕は受け取ってしまう。しかし持った瞬間、ズシンと重みが両手に伝わった。ついよろめいてしまう。人間の子供では持つこともできないだろう。

 僕は厳重に巻かれたネーム紐を解く。リュウコツヒガサにファサッと軽くゆとりができる。あとは龍骨があしらわれているという傘骨の下はじきのポッチを押し込んで開けばいいだけだ。僕は下はじきのポッチに右手の親指をかける。左手は心棒をスライドさせて傘を開くための下ろくろに添える。深呼吸したのち、僕はリュウコツヒガサを人のいない天井に向けた。


 そして意を決して開いた。


 その次の瞬間、ジュウウウゴロゴロロオオーバァァァアアアン! と、およそ日傘とは思えない音が鳴った。まるで落雷か咆哮である。しかし僕がおそるおそる手元を見れば、リュウコツヒガサは龍のような口を開いていた。16本の内骨が放射状に広がっている。


「……開いた」


 僕が呟いたのも束の間、突如店内に突風が吹き荒れた。

 物干し竿にかかった日傘が右に左に揺れる。ついには鉄棒のように一回転する。挙げ句の果てにはいくつかの傘が青空に飛んでいってしまった。まるで他の日傘たちが怯えて逃げ出したようである。アオハルは飛ばされないように店内の柱にコアラのようにしがみつく。僕自身もリュウコツヒガサを絶対に離さずにアオハルの足首にしがみついていた。

 しばらくして突風はおさまった。リュウコツヒガサは開いた状態で僕の肩に担がれていた。しかし店内は嵐に遭ったような惨状だった。

 最悪だ。


「傘爺、ごめんなさい!」

「かーっかっかっか!」


 日傘を差しながら頭を垂れる僕を見て、傘爺は大笑いしていた。そして日傘を杖代わりにしながら立ち上がる。


「日傘には魂が宿ると言われておる。龍骨日傘はおぬしを選んだようじゃ」

「……僕を選ぶ」


 しかし日傘にも魂が宿るとはよく言ったものだ。

 日傘を差すのは吸血鬼の証であり伝統だ。

 これで僕も一人前の吸血鬼になれただろうか。

 でも、大事なことを忘れてはいけない。


「ところで、お金は……」


 弁償代も請求されるだろう。

 1万ラブで足りるわけないよね。

 今日からこの店で傘洗いのバイトかな。


「代金はいらん」


 しかし、僕の心配をよそに傘爺はつっぱねた。


「その代わり日傘を大事にするんじゃぞ。鬼の小僧」


 なんて心優しいおじいさんだろう。

 胡散臭いなんて言ってごめんなさい。僕は言ってないけど。


「おおきに。でも鬼の小僧じゃなくて、僕の名前はソラシオです」

「そうか。ソラシオ」


 傘爺は頭にかぶった笠を整える。


「持ち主が窮地に陥ったとき、日傘は真の力を発揮するじゃろうて」

「真の力?」

「まあそれなりの代償を払うことになるがのう」


 最後に意味深なことを言う傘爺。

 まさか呪いの日傘を押しつけられたとかじゃないよね?

 僕とアオハルは落ちた日傘を拾う。店内を整頓したのち日傘屋をあとにした。

 日陰商店街を出て、日の高いミニトマ町を歩く。

 さっそくリュウコツヒガサを差した。体感全長2メートルはある。大きい。重い。

 そのリュウコツヒガサを僕はアオハルのほうにそっと傾ける。


「ずっと日差しの中を歩くのは暑いでしょ?」

「別に。ボクは人間だから」

「人間だって熱中症になるよ」


 もしかしたら、アオハルは吸血鬼だと思われるのが嫌だったのかもしれない。

 しかし、アオハルは日傘から出ようとはしない。リュウコツヒガサの落とす影の下には、ふたりの等身大の影がなかよく肩を並べていた。

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