第9話 牛乳
ブラ校に入学してから月が欠けて満ちようとしていた。
ちなみに僕はアオハルとは学生寮の同室である。僕たちは四六時中一緒にいた。
とある日、僕とアオハルは学内の大食堂で朝食をとっていた。4本の角の生えた節足動物のオブジェが天井から糸で吊られている。アノマロカリスとヘラクレスオオカブトを足して2で割ったような面妖な生き物である。
食堂には不似合いで悪趣味だよな。
食堂は朝昼晩バイキング形式だ。クワガタエビとカブト草のサラダ、血酢の物、ゾウキツツキのからあげ、カラスイヌの赤身心臓ステーキ、闇カレー、蝶々の腸詰め、チャーハンパン、残飯ケーキ、フルーツパンチパーマ……etc.まるで食欲のそそられない学食である。
僕は辟易しながら空のトレイを持つ。隣の人物に話しかけた。
「アオハルは食べ物なにが好き?」
「腐ってなければ何でも」
「味気ないなぁ。じゃあ何が嫌い?」
「そういう質問」
「身も蓋もない……」
僕は肩を落とした。
そう言いながらもアオハルのトレイには次々とおかずが山盛りに盛られていく。皿からこぼれそうだ。トレイがいっぱいになると、マジックのようにトレイの下から重ねてあったもう一枚のトレイを引っ張り出した。2枚目のトレイにさらに盛っていく。
「朝からめっちゃ食べるね、きみ!?」
「タダだから」
「そういう問題?」
「食べられるときに食べないと、待っているのは死」
大げさだけど、それはこの世の真理なのかもしれなかった。
しかし僕は不思議と、吸血鬼になってから渇きはあっても空腹感は感じない。
するとそのとき、バイキングの端っこの小窓から食堂のおばちゃんが顔をのぞかせた。そのおばちゃんはおもむろにアオハルのお盆に200ミリリットルの牛乳ビンを載せる。
その牛乳は
アオハルは薄桃色の牛乳ビンを見つめる。眉間にしわを寄せて露骨に嫌な顔をした。
「牛乳、嫌いなんだね……」
イチゴミルクだけど。
ちなみに人間の生徒の場合、牛乳は必ず配給されるのだ。
それから白い割烹着を着た食堂のおばちゃんは僕に尋ねる。
「あんた、何型だい?」
「夜型」
「なに言ってんだい。馬鹿だね。血液型だよ」
「あっ、そうか。えへへ」
気を取り直して僕は答える。
「僕はnullVV型です」
「へえ、あたしゃーここ長いけど初めて聞く血液型だね」
「さいですか」
「ちょっと待ってね。今、あんたの血液型に適合する輸血パックを用意するからね」
そう言って食堂のおばちゃんは血液型早見表を見比べながら冷蔵庫の中をまさぐる。
「えーっと今日は僕、そんなのど渇いてないかも……」
「なに言ってんだい。あんた、吸血鬼だろ? 血を飲まないと大きくなれないよ」
「動物の血ならともかく、人間の血はちょっと……」
「なんだい。あんた、いま流行りの
「そういうわけでもないんですけどね」
「どっちなんだい」
そんなことを言いながらのらりくらりと僕は煙に巻く。人間の生徒には牛乳が配られるように吸血鬼にはアルミで覆われた輸血パックが配給されるのである。アルミなのは外から中身が見えないように配慮されているのだろう。丁寧にストローまで付いている。オモテ面には太字で血液型が書かれている。僕の場合はどんな血液型でも飲める体質らしいのでよりどりみどりだ。しかしそもそも僕は血が苦手なので、メジャーリーガーの四番のごとく敬遠していた。
「あら、あんたどんな血液型でも大丈夫なんじゃないかい」
余計なことに気づいてしまう食堂のおばちゃん。
「血液不足とは言われてるけどね。あんたら子供は遠慮しなくていいんだよ。あたしらの血を飲んでおくれ」
「面と向かってそう言われるとさらに飲みづらい」
「なんならあたしのピチピチの首筋に噛みついてみるかい?」
なんか誘惑してきた。
朝っぱらから勘弁してくれ、おばちゃん。
「節操がない」
アオハルは白い目で僕を睨んでいた。
「そんな目で僕を見ないでよ」
どう見ても被害者だろ、僕。
無意識に吸血鬼特有の魅了でも発動してしまったか?
僕ははだけたおばちゃんから視線を切って、逃げるようにその場を去る。
「今日は休肝日なんでやめときます! おばちゃん、おおきに!」
「そんなお酒みたいに言うんじゃないよ! ちょっと、あんた!」
もう~。というイチゴミルクウシのようなおばちゃんの声が食堂に響き渡った。
食堂の隅っこの席に僕とアオハルは座る。
直後、アオハルは揶揄するように言う。
「血が怖いなんて。吸血鬼のくせに」
「うるさいなぁ。きみこそなんで人間のくせに牛乳嫌いなんだよ」
「むしろ人間だから。本来牛乳は仔牛のもの」
「意外と正しいことを言わないでよ」
びっくりするじゃないか。
牛乳嫌いの子供は腐るほど聞いたことがあるけど、母乳が嫌いな赤ちゃんは聞いたことがない。つまりはそういうことなのだろう。
アオハルのトレイの隅に置いてある牛乳ビンはサウナに監禁されたようにダラダラと汗をかいていた。一向に手を付ける気配がない。
「僕が代わりに飲もうか? 牛乳」
「任せる」
素直にそう言って、アオハルは僕のトレイに牛乳ビンを移動させた。
「おおきに。じゃあ遠慮なくいただきます」
僕は手を合わせたのち、牛乳ビンの蓋を取るとこれ見よがしに一気飲みした。
「ぷはぁ~」
ほんのり甘くてミルキーなこの感じ。懐かしい。病院食でもよく提供されていた。そこではストローの紙パックだったけど。
「おーさすが吸血鬼」
「棒読みすぎるよ」
案外悪い気はしないけど。
「そういえばアオハル、今日は半ドンだからさ。放課後、付き合ってよ」
「なぜ?」
「実は僕、日傘持ってないんだよ」
「吸血鬼のくせに」
「しょうがないだろ。ブラ校入学のちょっと前に道端のホームレスヴァンパイアにあげちゃったんだよ。ダンボールとブルーシートだけじゃ日差しがきつそうだったからさ」
「偽善」
「手厳しいね」
であれば、僕は攻めかたを変える。
「きみの牛乳飲んであげたじゃないか。これは偽善かい?」
「それは……」
アオハルは言葉に詰まる。よし、もうひと押しだ。
「おねがい! このとおり!」
僕は頭を下げて手を合わせる。
すると最終的にはアオハルは折れた。
まさか牛乳を飲んだことがこんなかたちで役立つとは。
やっぱり牛乳は飲めたほうがいいぞ、よい子のみんな。
しかし、アオハルは交換条件を設けてきた。灰色の右人差し指を立てる。
「1週間」
「は?」
「1週間、牛乳を任せる」
「いいよ。任せて」
僕は牛乳好きだし、1週間といわず卒業まで毎朝飲みたいくらいである。
「交渉成立だ」
僕はアオハルの立てた人差し指をビーチフラッグのように握り込んだ。
やはり持つべきものは牛乳の苦手な友達に限る。
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