第7話 デスネーム

 とそこで壇上のシッポキャット先生はバトンタッチする。


「お次はオニトマト校長の祝辞に移りたいと思います」


 そう言ってシッポキャット先生が教師席に戻る。

 それと入れ替わるようにして、教師席の一番壇上側に近い席に座っている人物が立ち上がった。どういうわけかトマトのかぶり物を被っている。目と鼻と口の部分がくりぬかれていた。ジャックオーランタンみたいだ。頭頂には火の灯った2本の蝋燭の角が生えている。その角のあいだにはカッパの皿のように緑のヘタがちょこんと載っていた。そのヘタにドロドロと溶けた蝋が垂れ落ちる。教師のなかでひとりだけあきらかに異彩を放っていた。


「……まさかだよね」


 そんな僕の嫌な予感は的中した。

 そのオニトマト校長は畳まれた赤い日傘を杖代わりとしながらコツンコツンと壇上へ上がる。その日傘の柄には黒竹が使用されていた。先端の石突きと露先は黒緑色。残りの大部分は血飛沫を浴びたように真っ赤だった。


「わしはこのブラッドレッド人外学校の校長を務めておるオニトマトじゃ。わけ合って素顔は見せられんが了承してくれ」

「なぜ素顔を見せられないんですか?」


 僕は気づけば手を上げて質問していた。

 隣のアオハルはやれやれというふうに首を振る。

 オニトマト校長は風変わりな顔面とは打って変わって、優しい口調で答えてくれた。


「ところで、おぬしはアンブレード卿という吸血鬼を知っておるかの?」

「アンブレード卿ですか?」

「――知ってるわ!」


 しかし、答えたのは僕ではない。いじめっ子のアリスメリーだった。僕に対抗して答えたのだろう。彼女は相当な目立ちたがり屋とみた。


「アンブレード卿は致死量の血を人間から吸血する鬼畜外道! 吸血が目的じゃなくて殺害が目的のまさしく殺人鬼よ!」

「うむ」


 オニトマト校長はうなずいた。


「アンブレード卿。奴はかつてこのブラ校に在籍しておった生徒じゃった。そして、わしの同輩に当たる」


 校長と同級生だったのか。


「しかし、アンブレード卿は闇の吸血鬼に堕ちた。いや、吸血鬼とは本来闇の生き物なのじゃ。じゃから規律や戒律、そして法律がある。そのことを自覚せねばならん」


 闇に堕ちないためには法律という光がいる。


「アンブレード卿は吸血鬼の基本能力である魅了、血界ケッカイ瘡蓋カサブタを高次元のレベルで扱える。それらに加え、アンブレード卿の二つの血の特殊能力――血能チスキルについて知っておるかのう?」


 オニトマト校長に問われて新入生一同は顔を見合わせながら首を横に振った。

 僕は問う。


「二つの血能って何ですか?」

「うむ。ひとつは【万有五感ばんゆうごかん】じゃ。アンブレード卿に血を吸われたものは五感を一方的に共有される」

「どういうことですか?」

「たとえばソラシオ、おぬしがアンブレード卿に血を吸われておった場合、アンブレード卿はおぬしの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を感じることができるんじゃよ」

「そんな馬鹿な」


 ということは僕が今見ているこの光景をアンブレード卿に見られているかもしれないということか。純粋に気持ち悪い。ストーカーの究極体みたいな能力じゃないか。思考が読まれないのがせめてもの救いだ。いや、五感が盗み見られているということは思考を読まれても不思議ではない。


「でも、血液型が一致しなければ吸血鬼は拒絶反応が出てしまうから吸血できないんですよね? だったら安心なんじゃないんですか?」

「そうとも言い切れんのじゃ」

「なぜですか?」


 僕は問う。

 するとオニトマト校長は重々しく口を開いた。


「アンブレード卿の血液型は――Rh‐nullVV型だからじゃ」

「それって……」


 僕と同じ。つまりアンブレード卿に飲めない血はない。


「ということは理論的にはアンブレード卿が全世界の生物の血を飲めば、そこらじゅうにアンブレード卿の監視盗聴の耳目じもくがあるようなものではないですか」


 壁に耳あり障子に目ありどころではない。すべての血の通う生物が敵となる。

 文字どおり天眼通てんげんつうだ。


「そしてアンブレード卿、もうひとつの能力について」


 オニトマト校長は続けて言う。


「こちらはいたってシンプルじゃ。その能力名は――【死名デスネーム】」

「死の名前……?」

「うむ。その名の通り、アンブレード卿に名前を呼ばれたものは死に至る」


 でたらめだ。

 名前を呼ばれただけで死ぬなんて……そんなのありかよ。


「【デスネーム】の発動条件は顔と名前の一致じゃ。かならず本名でなければならん。そしてひとたび名前で呼ばれれば吸血鬼でも死ぬ。永遠に生き返らん」


 不死身である吸血鬼の天敵ともいえる。

 顔写真と名前の載った書類が流出したら、このラブラッドは滅びるんじゃないか?


「じゃから、アンブレード卿にけして名前を明かしてはならん。それに伴い当校ではニックネームやあだ名、源氏名や芸名を推奨しておる。無闇矢鱈に本名を名乗ってはならんぞ」


 なんだか登下校中に名札をひっくり返すみたいな本末転倒な教育方針だった。


 ともあれ、呼ばれたら死ぬのだとしたら鼓膜を破れば対策できるかもしれない。であれば聾唖者には【デスネーム】は効かないのか? いや、相手本人に聞こえていなくとも呼ぶという行為は成立する。

 その人物の肩を叩いて名前を呼べばいい。

 ならば相手が人間じゃなくて植物だったとしたら? それでも固有名詞をつけて呼ぶことができる。この場合植物の死、つまりは枯れてしまうのか?

 あるいは、いっそのこと寿限無のように長い名前にでもしてしまおうか。


 それだ!


 今日から僕の名前は『じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの、ちょうきゅうめいのちょうすけ、ソラシオ・グレーウォーカー』――にしよう。


 僕がそんなトンチを考えているのを見透かしたようにオニトマト校長は言う。


「かといって、本名を忘れてしまってもいかん。本名を忘れた瞬間、呼ばれている名前が本名にすげ変わってしまう」

 

 つまり戸籍とか関係なしに本人が本名だと思っている名前が本名だということだ。たとえば作家のペンネームでも【デスネーム】が発動してしまう可能性があるということを意味する。


「先ほども言ったとおり、わしとアンブレード卿は同輩のために相性が悪いのじゃ。じゃからわしは改名して印象の濃いかぶり物を被り、匿名性を担保しておる。以前の名前は現存する文書から抹消したのじゃ」

「オニトマトというのは改名後の名前ということですか?」

「いかにも」


 オニトマト校長の前の名前は聞かないほうがいいのだろう。でもまさか、あの頭に蝋燭を差した丑の刻参りのような恰好が【デスネーム】への対抗策のひとつだったとはね。かぶり物を被ることで影武者も用意しやすいというメリットもある。


「アンブレード卿の傘下には世界三大宗教の一角――百鬼夜教ひゃっきやきょうというカルト宗教団体がある。アンブレード卿が法王を務め、7人の幹部は鬼7オニセブンと呼ばれておる。幹部たちは魅了によって人間の狂信者を増やし、毎週日曜日の礼拝の時間に献金とともに血を捧げさせておるんじゃ」


 百鬼夜教。

 その名前は僕も新聞やニュースで聞いたことがある。

 アリスメリーは腕を組みながら足を組みかえて、偉そうに言う。


「百鬼夜教と人間党はよくバカみたいに争ってるわよねー」

「そうじゃな。吸血鬼至上主義と人間至上主義の対立じゃ。そして、現政党の太陽党は人間寄りの中道派といえる」


 オニトマト校長は国の未来を憂う。


「ただでさえ、人間党の献血拒否デモによってこのラブラッドは万年の血液不足じゃ。それにともない祖国血界が弱まっておる。吸血鬼が倒れればこの国の防衛は立ちゆかん」

「祖国血界とはなんですか?」


 僕はオニトマト校長に質問した。


「吸血鬼は勝手に建造物には侵入できない性質は知っておるかの?」

「はい」


 まさに今朝、僕が校舎の出入り口前で体験したことだ。

 見えない透明な壁に阻まれた、例のあれである。


「うむ。その招かれざる不可侵の性質と鏡に映らない特性を転用した血界が祖国血界じゃ。ラブラッドの国境線には強力な血界を維持しておる。人狼王国ウシュットガルドを始めとして、諸外国からの侵攻を物理的に阻んでおるのじゃ」


 吸血鬼の血界で防衛しているらしい。たしかこのラブラッド国は大陸の南西に位置しており、国土は日本の100倍はあったはずだ。だからこそ大部分を内需で賄えてしまう。4つの国と面しているが国交は薄い。それぞれの隣国と春夏秋冬の戦争を行ってきた歴史がある。


「ウシュットガルドとの国境には自然の要塞である龍谷りゅうこくの森が立ちはだかっておるがの」

「龍谷の森?」

「龍の棲まう森じゃ。森の中心には雲を貫く龍樹という神木がある。その龍樹の梢には龍の巣があると言い伝えられておるのじゃ」

「はっ! バカね! ドラゴンなんて実際にいるわけないわ!」


 アリスメリーは嘲笑するように僕とオニトマト校長の会話に水を差した。

 オニトマト校長は特に気分を害したふうもなく寛大に微笑む。


「ほほほ。アリスメリーくんのような子がおれば、このラブラッドの未来は安泰じゃな。では退屈な校長の四方山話はこれくらいにしようかの」


 しゃがれた声でオニトマト校長は言った。

 それから騒がしい会場内に格式張って宣言する。


「これにて第2024回ブラッドレッド人外学校の入学式を閉会とするのじゃ。ちなみにパードナーは原則卒業まで変わらん。くれぐれも後悔のない学校生活を送るんじゃぞ」


 アオハルを見やるとあくびを噛み殺していた。

 興味なさそうである。

 打って変わって僕は胸が高鳴っていた。

 これから始まるんだ、僕の学校生活が。

 友達100人できるかな。

 願わくば、恋人はひとりでいい。

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