第6話 パードナーの夢

 僕が無理くり納得していると、シッポキャット先生はこめかみを押さえる。


「それにしても弱りました。SSR2G型は稀な血液型ですからパードナーが見つかるかどうか」

「パードナーって何ですか?」

「パードナーとは吸血鬼と人間のペアリングのことです。血合わせとも言います。いくら吸血鬼とはいえ、人間への直接の吸血行為は禁止されていますからね」


 人に噛みついて血を吸うなんて普通に傷害事件だもんな。


「なので基本的には輸血パックを吸引することによって吸血します。しかし緊急時のことも考えなくてはなりません。事前に血液型判定をおこなって適合者同士、特別に直接吸血を許された吸血関係を決めるのです」

「それがパードナー」

「吸血鬼にとって同族吸血鬼の血は毒も同然。なので人間と吸血鬼で組むのが当校の習わしです。もちろんパードナーの許可なしの吸血には退学処分が下され、下手をすれば逮捕されます」


 レッドカード一発退場。少年院送りだ。

 そんな悪さをできないようにニャッコウたちが生徒を監視しているということか。


「ではグレーウォーカーさん。あなたの血液型記入用紙を預かりましょう」

「はい。どうぞ」


 僕が何の気なしに自身の血液型の書かれた用紙をシッポキャット先生に渡した。彼女はそこに書かれた血液型を見る。するとシッポキャット先生は威嚇する猫のように目を見開いた。


「えっと……僕の血になにか異常でも?」

「ここに書かれた血液型は本当ですか?」

「え、ええ。本当です。僕の血を吸ったニャッコウの背中には『nullVV』と書かれていました」


 シッポキャット先生は眉を吊り上げたまま絶句した。それから角の生えたトマトのかぶり物を被った教師のほうを向いてアイコンタクトを交わす。そしてシッポキャット先生は頷いた。


「なんとこれまた珍しい」

「そうなんですか」

「ええ。ちなみにそれはブイブイではなく、ブイツーと読みます」

「ブイツー?」

「どなたに対しても輸血と吸血提供が可能、かつどんな血液型も受け入れる赦しの血です」


 赦しの血。

 喜んでいいのかどうなのか。僕は特殊な血液型と言われて不安になる。いわゆるブラッドコンプレックスというのだろうか。前世が白血病だったこともあり、つい変な質問をしてしまう。


「シッポキャット先生、僕は……長生きできますかね?」

「へ? あー……ふふふ」


 僕のあまりにも素っ頓狂な質問にシッポキャット先生は珍しく笑う。

 こんなふうに笑う人だったんだな。正確には鬼だけど。

 それからふと我に返ったようにシッポキャット先生はコホンと咳払いする。


「そんなに生に執着する吸血鬼は初めてです」

「なぜです?」

「吸血鬼は長生きですから。生きることに飽きてくるのです。あるいは死ぬことに」


 儚げに目を細めるシッポキャット先生。そして切り替えるように続ける。


「もうパードナーは決まりましたね」

「はい?」


 シッポキャット先生は僕とアオハルを交互に見つめた。

 というわけで僕とアオハルは晴れてパードナーになった。いざというとき、僕はアオハルを吸血する。しかし本当に僕にそんなことができるのか。今まで僕は人間の血を一滴も吸ったことがない。

 するとアオハルはボソリと呟く。


「誰の血でもいいなんて……。節操がない。悪食」

「そう言われると落ち込む」


 でもたしかに誰の血も吸ったことのない奴が誰の血でも吸える体質とは……なんというか、皮肉な話だった。しかし、その点において僕に限っては心配ない。


「安心して。僕はきみの血を吸うつもりはないから」

「なぜ言い切れる?」

「僕は人間の血を見ると気絶しちゃうんだ」

「血が苦手な吸血鬼なんて信じられない」

「だろうね」


 おそらくこんな吸血鬼は僕以外にいないだろう。自分の血液型すら知らなかったのだ。

 両親は僕の血液型を知っていたのだろうか?

 ならば、なぜ僕に教えてくれなかったのだろう?

 ともあれ、血液型記入用紙をシッポキャット先生は回収していく。それをもとにパードナーを決めていった。全員のパードナーを決め終わると、シッポキャット先生は教壇の机を叩く。


「ではさっそくですが、今から初めての授業を行います。その内容は痛みを知ってもらうことです」


 どういう授業なのだろう。


「パードナーと向かい合ってください。そして吸血鬼側の生徒は首筋を人間側の生徒に差し出してください」


 要するに吸血鬼が人間に噛まれる授業らしい。

 僕はアオハルと見つめ合う。それからワイシャツのボタンをひとつふたつと外して、襟元をグイッと引っ張る。そして自身の首を差し出した。


「これより初噛はつかみ式を始めます。この初噛み式はこれからさき人間が吸血鬼に噛まれることはあっても逆はないために、今からお互い様にするという意味合いの儀式なのです」


 最初で最後のご愛嬌である。

 するとアオハルは僕の首筋を細い指で撫でてから言う。


「あなた……左の首筋に噛まれた痕がある」

「あー昔からずっとあるんだよ。たぶん黒子じゃない?」

「違うと思う」


 アオハルは僕の左首筋の古傷をさする。空気を読んだように、それとは逆の右の首筋をさらけ出した。そして何の前置きもなく、アオハルは僕の首筋に思いっきり噛みつく。


「――ッ!」


 出血するほど犬歯が深く突き刺さる。ふたつの穴が空いた。


「いってえ!」


 僕この子になんかしたかな?

 他の吸血鬼たちの悲鳴が木霊した。しかし、考えてみれば人間の場合はさらに血を吸われるのだ。これが痛みを知るということか。僕の右の首筋には歯形がくっきり。じんじんと熱を持つ。アオハルの唾液が噛み痕に染みる気がした。引かれそうなのでとても口には出せないけど。

 代わりに僕は別の言葉を発する。


「おおきに……」


 アオハルは口元の血と唾液を手の甲で拭う。


「吸血鬼よりも吸血鬼らしいね。アオハル」

「ふざけないで」


 心底心外だと言わんばかりのアオハル。


「ボクは吸血鬼が嫌い」

「どうして? 何かあったの?」

「別に。どうせ言っても、あなたに人間の気持ちはわからない」


 突き放すようにアオハルは言った。

 吸血鬼の物理的な結界と違って、心理的な結界を僕は感じた。この異世界の人間と僕の元いた現実世界の人間が同じ人間なのか知らないけど、僕は人間の気持ちは痛いほどわかる。だって僕は人間なのだから。本当は吉野ヶ里大吉なのだから。

 今や前世の話だけど……。

 心は人間のまま肉体は吸血鬼となってしまった。

 僕は異世界を挟んだある種、変則的なハーフヴァンパイアといえるのかもしれない。


「普通の人間に戻りたいよ」

「普通の……なんか言った?」


 思わず僕は声に出てしまっていたようだ。

 怪訝そうな表情でアオハルは僕を見ているが、それでも止まらない。


「僕だって吸血鬼に生まれたくて生まれたわけじゃないよ」

「…………」


 血が苦手な吸血鬼になんて誰がなりたい?

 でもソラシオ・グレーウォーカーとして生まれたのだから僕は生きなければならない。この世界で僕が生まれた意味があるはずだ。それを見つけられれば前世での僕の人生も肯定される。救われる気がするんだ。

 僕は明るい話題に変える。


「アオハル、きみは夢とかないの?」

「夢なんて聞こえがいいだけ。ようはハイリスクハイリターンのギャンブル」

「それこそ夢がない答えだね……。でも、あるにはあるんでしょ?」


 すると、アオハルは観念したように答えてくれる。目を逸らしながらだったけど。


「……宇宙に行くこと」

「へえ、宇宙飛行士か。いいね」

「ウチュー、ヒコウシ……?」


 どうやらそんな職業はこの世界にはないらしい。そういえば飛行機やヘリコプターどころか、飛行船や気球も見たことないな。この異世界では空はまだ未開拓らしい。

 アオハルは諦め混じりに言う。


「たとえそんな職業があっても、人間はなれない」

「なんで?」

「危険な職業だと思うから。人間には適性がない」


 このラブラッドという国では危険な職業は吸血鬼が担当することが多いのだった。


「関係ないよ」


 僕は人間が宇宙に行けることを知っている。


「アオハル、きみならきっと叶えられる。ロケットを作って宇宙に飛べるはずさ」

「言うんじゃなかった」


 アオハルは後悔したように話題を僕に差し戻す。


「それで、そっちの夢は?」

「僕はね」


 僕は胸を張って堂々と答える。

 この夢を叶えるために前世からわざわざこんな異世界くんだりまで来てしまったといっても過言ではない。


「僕の将来の夢は医者だよ」

「医者?」


 アオハルはどこか冷めた白い目つきだった。


「吸血鬼なんだから医者いらずのはず」

「そうだね。だから人間を治したいんだ」

「?」


 ナチュラルに理解できないというリアクションのアオハル。


「僕は世界初の吸血鬼医者ヴァンパイアドクターになる」

「……鬼医者おにいしゃ

「呼び方は何でもいいさ。吸血鬼の治癒能力を人間医療に転用しようと思ってるんだ。もちろん吸血鬼から人間への臓器提供は法律に違反しちゃうとかいろいろ問題はあるけどね。でも吸血鬼だからって人間を治してはいけないなんて法律はないでしょ?」

「ふふっ」


 僕の夢を聞いてアオハルは不意に口をほころばせた。

 初めてアオハルが笑うところを見た。


「吸血鬼のくせに珍しい」

「馬鹿にする?」

「しない。他人を馬鹿にするのは馬鹿だから」


 誰かに聞かせてやりたい言葉だ。

 アオハルとはこれからパードナーとして仲良くやっていけそうだった。

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