第4話 白地のニャッコウ
僕たちは新入生の群れについていく。学校内は遮光カーテンで締め切られている。その代わりまぶしいほどの蛍光灯が輝いている。廊下には白い大理石が敷かれていた。
「どことなく病院みたいだな」
それはきっと消毒液の匂いがしたからなのだろう。
長い廊下を直角に進むと、ドーム型のホールに出た。体育館のようにだだっ広い。天井には絢爛豪華なシャンデリアがいくつもブドウのように生っている。床にはレッドカーペットが敷かれていた。
そのレッドカーペットの先には新入生と思しき、おぼこい顔が並んで椅子に座っている。2階席では在校生たちが高みの見物を決めていた。僕は映画館のように収納されている椅子を下ろして座る。隣には碧眼の子もかけた。
真正面には舞台がある。そのサイドにハの字型に教師陣が腰掛けていた。立て襟の遮光性マントを羽織っている。生徒たちは黒だが教師陣の場合、マントの色は決まっていないらしい。その腰には細く丸めた日傘を帯刀ならぬ
そのなかにひとりだけ異色の人物が紛れていた。その人物はトマトのかぶり物を被っていた。しかし普通のトマトではなく2本の蝋燭の角が生えていた。
「大丈夫なのか、この学校……」
僕の不安をよそに教師陣の中から黒いサンバイザーを被った女教師が立ち上がった。赤毛を三つ編みポニーテールで結んでいる。目の前のステージに登壇するとマイクの前に立つ。
「ただいまより、
僕を含む新入生は互いに顔を見合わせながら会釈する。
「私の名前はシッポキャットです。生活指導を担当しておりますが、なるべく手を焼かせないようにお願いします」
「さすがは火炙りの赤猫!」
シッポキャット先生の挨拶の途中で2階席からそんなガヤが飛ぶ。
「誰ですか? あとで職員室に来なさい。だいたい目星はついているんですからね」
シッポキャット先生がたしなめると、会場からドッと笑いがどよめいた。
「ところで、新入生のみなさんはご自身の血液型はご存じでしょうか?」
「知ってるわよ!」
すると今度は驚くことに1階の新入生席から声が上がった。
例の金髪ツインテールの子である。黒いセーラー服の上から遮光性マントを着崩している。
「吸血鬼なんだから当然でしょ?」
「それはそれは偉いですね。あなたのお名前は?」
「あたし?」
その金髪ヴァンパイアガールは鬼の首を取ったように胸を張って答えた。
「あたしはアリスメリー・V・クリスマス」
「元気がよろしくて大変結構ですね。では、クリスマスさんにクエスチョン。吸血鬼にとって自身の血液型を知らないというのは死活問題です。それはどうしてかわかりますか?」
「吸血鬼は自身の血液型と同じ血液型の血しか飲めないからでしょ!」
「そうです。人間の輸血と同じですね。もし違う血液型の血を飲んでしまうと拒絶反応が出たり、他の合併症を引き起こす恐れがあります。そして最悪の場合死に至ります」
そうだったのか。僕は今まで人の血を飲んだことがなかったので知らなかった。
「というわけで、念のために全員に血液型診断を行いたいと思います。しばし暗くなりますが驚かずにじっとしていてください」
そう言ってシッポキャット先生が指パッチンをした。その瞬間、天井のいくつものシャンデリアがフッと同時に消えた。そして繋がれた鎖が引き上げられてシャンデリアは天井に格納される。
ホール内は暗転して暗闇に包まれる。何も見えないだろう。吸血鬼を除いて。
そう僕は見えている。人間の子供たちは不安そうに辺りをキョロキョロ見回して滑稽に映る。
本当に僕は吸血鬼になってしまったんだなと再認識させられた。
するとドーム型の天井は仄かに光を発し始めた。無数の小さな光が瞬く。人工の夜空には綺麗な星がちりばめられていた。どうやらプラネタリウムになっているらしい。しかし、地球では見たこともない星座が結ばれている。人狼座。ゴブリン座。コビット座。ドワーフ座。エルフ座。おたふくかぜ座。コロナ座。インフルエンザ座。アスペルギルスオリゼー座。
どうやらこの惑星アストは地球よりも相当星が多い。
新入生が星に目を奪われていると、在校生たちは何やら怪しい動きをしている。
「遮光カーテンを揺らしている……?」
ドームの2階の窓を覆っている遮光カーテンがさざ波のように揺れていた。するとその波間から一斉に黒い飛翔物体が雪崩れ込んでくる。人間の生徒は気づいていない。気づけるとしたら夜目の利く吸血鬼のみだろう。
しかし新入生の吸血鬼も天井の星座に釘付けとなっており、不穏な影に気づく気配はない。
「どうかした?」
僕の隣の席に座る碧眼の新入生が僕に尋ねる。
「いや……なんか飛んでる」
「何が?」
「それはわからない」
僕は気の抜けた返事をしながら目を凝らす。
星の数ほどの黒い飛翔物体は星空の下を滑空する。そして、その飛翔物体は座席に座っている新入生の首元に留まる。大きさは10センチから20センチほどだ。そいつの見た目は一見コウモリに似ている。だが驚くべきことに顔と胴体が猫だった。
ネコウモリとでも名付けようか。そのネコウモリはアリスメリーの金髪ツインテールに留まる。金髪をヘアークライミングしてアリスメリーの首筋に到達した。するとネコウモリは口を開く。発達した鋭い牙。そしてアリスメリーの白い首筋に思いっきりカプッと噛みついた。
その次の瞬間、
「キャー!」
と、アリスメリーの叫び声が上がった。
それを皮切りに阿鼻叫喚の嵐が巻き起こった。そのネコウモリは発情期の猫のようにニャーと鳴きながら高い天井の周りをぐるぐると飛んでいる。
「みなさん、落ち着いてください」
シッポキャット先生の天の声がマイクを通じて聞こえる。
「みなさんに留まっているそれは血液型判定に必要な生き物です。特定の血液型だけを吸血するように調教されたニャッコウと言います。ニャッコウの背中にはA、B、O、ABなど対応する血液型が刻印されているはずです」
そんなO型は蚊に噛まれやすいみたいなことを言われても困る。
それにしても、ニャッコウ。かわいらしい名前とは裏腹にちょっとグロい。
吸血鬼が思うのはどうかと思うけど……血を吸うとか、マジかよ。
「ニャッコウは夜行性です。日中は学内の物陰に潜み、夜間飛び回って生徒の安全を見守りパトロールしています。しかし油断していると血を吸われるので注意してください」
正直、狂犬病とか怖すぎる。いや、吸血鬼だから大丈夫なんだった。まだ前世の記憶を引きずっていた。そもそも狂犬病のような病はこの異世界にないのかもしれない。
「ニャッコウは
どうやら狂猫病はあるらしい。
「ニャッコウは血の匂いに敏感で一滴の血で15キロ先まで感知できると言われています。血の匂いを嗅がせれば個人の追跡が可能なのです」
僕の下にも血の遣いが飛んできた。珍しく白い個体だ。
右肩に乗ったかと思えば肌の露出した首筋に昇っていく。小さな爪が引っかかるような感覚がこそばゆい。僕は払いのけたい衝動を抑えながら目を閉じる。まさにそのとき、ニャッコウは僕の首筋に牙を突き立てた。
「うッ!」
チクチュッと予防接種注射のような痛みが走る。チュウチュウ。
僕は耐えること1分。
それにしても吸い過ぎじゃない?
回し車を走ったあとのハムスターくらいチュウチュウ吸っている。
ただでさえ人間の血を吸ったことのない僕は貧血気味だというのに。
いいかげん耐えかねて、僕は首筋のニャッコウを無理やり引き剥がす。すると、なんとそのニャッコウの背中には何も刻印されていないではないか。
「あれ?」
コウモリのような血管の透ける翼を両手でピンと引っ張る。ひっくり返してみた。ためつすがめつしていると、そのニャッコウの背中には徐々に『nullVV』という赤い血文字が浮かび上がってきた。
nullVV《ヌルブイブイ》型。
これが僕の血液型か。
何の気なしに思っていると、どこからともなく声がする。
「久しぶりの血だぜぇ。うめえうめえ」
「ん?」
僕は周りを見渡してみるが、その声の主は見つけられない。
「それにしてもよ、なんて純粋な血だ。永遠に飲めるぜ」
「もしかして……」
僕は嫌な予感をかかえながら両手で掴んでいる生物を注視した。小さな口の端から僕の血を垂らしつつ、流暢に管を巻いている。
「ブラ校の蛇口をひねればこの血が出るようにしてもらいたいくらいだ」
「ニャ、ニャッコウが喋った!?」
僕は驚きのあまり飛び上がりそうになった。
しかしなおもニャッコウは不気味に舌なめずりをする。その視線は僕の隣へと向けられた。
「隣のおまえもうまそうだな。じゅるりっ」
「きもちわるい」
碧眼の子は吐き捨てる。ちょうど暗闇に目が慣れてきた頃だろう。
そこで僕はひとつの仮説を立てる。
「このVV型のニャッコウがきみの血を求めているってことは、ひょっとしてきみも僕と同じ血液型なの?」
「知らない」
碧眼の子は興味なさげに言う。
「そこんとこどうなの? ブイブイ?」
「ブイブイ?」
「きみの名前だよ」
「勝手においらに名前を付けるんじゃねえ。おいらは野生のニャッコウだい!」
「野生?」
「そうだ。文句あんのか! 血ィ吸ったんぞ!」
野生のニャッコウが紛れ込んでいたのか。
でも、だとしたらなぜ背中に血液型が浮かび上がったのだろう。まあいいか。
「で、こっちの子の血液型はどうなのさ?」
僕が続けて問うとブイブイは鼻で笑った。
「ニャフンッ、血液型なんか知るかよ。おいらは新鮮な生き血を吸うんだ。ニャッハー!」
「うわっ!」
翼をバサバサと羽ばたかせて、僕の手の拘束からそのニャッコウは逃れる。そしてあろうことか隣に座る碧眼の子に襲いかかった。剥き出しになった牙が碧眼の子の柔肌に突き刺さろうかとした――まさにそのとき、教壇のシッポキャット先生は腰に差す閉じられた日傘を抜いた。そして先端を天井へと向けると、石突きから閃光弾を打ち上げる。パァッとドーム内は明るくなり夜空の星は消えた。
「眼がぁ~
ブイブイを始めとして、ニャッコウたちは目がくらみ不活化した。
シッポキャット先生はアナウンスする。
「自身の血を吸っているニャッコウの背中を見てください。それがあなたの血液型です。よく見えない場合は隣の人に確認して貰ってください。確認できなかった人は生徒指導室でニャッコウと居残りしてもらいますからね」
なんか身体測定の日に休んでしまって、後日ひとりだけ視力検査やら体重を測られるみたいだね。僕は病院暮らしだったので頻繁に測られていた。だからそういった学校あるあるにすこし憧れてしまう自分がいる。
とそこでシッポキャット先生は指パッチンする。ジャラジャラと鎖に繋がれたシャンデリアが天井から降りてきて明転した。ニャッコウたちは光から逃げるように飛んでいく。遮光カーテンのレールや雨どいの隙間、それから通気ダクトに逃げ込んだ。
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