第3話 ブラ校入学

 時が過ぎるのは早いもので、僕が吸血鬼に転生して12年が経った。


 ちなみに僕はまだ一滴も人間の血を飲んでいない。その代わりに動物の血を飲んで渇きを凌いでいた。他にも鉄分の多い家畜のレバーや赤身の魚を好んで食べる。吸血鬼版のヴィーガンみたいなものだ。さすがに母親の母乳ならともかく、人間の血は抵抗がある。両親はそんな僕を心配していた。ヴァンパイアですらない可能性も疑われた。だけど犬歯は長いし、鏡にも映らないし、太陽光も苦手だ。日中の日焼け止めクリームと日傘は欠かせない。


 思春期にかぎっていえば吸血鬼と人間の肉体的成長に差はほとんどない。しかし吸血鬼は指数関数的に成長が遅くなるのだ。歳を取ればとるほどに歳を取らなくなる、という世にも奇妙な話だ。吸血鬼は第二次性徴を境に成長が遅くなり、相対的に人間は老いていく。


 僕の住んでいるこの家は2階建て。レンガ造りの一軒家だ。暖炉と煙突つき。広い芝生の庭がある。そこにはトマトが植えられていた。この異世界にもトマトはあるらしい。僕は朝露に濡れたみずみずしいトマトにかじりつく。


「ソラシオ坊ちゃん、入学式の準備はできましたか?」

「心の準備以外ならね」


 今日は待ちに待ったブラッドレッド人外学校の入学式だ。

 ブラ校は制服着用義務があり、男子生徒の場合はブレザーかセーター、女子生徒の場合は黒いセーラー服が主流である。さらに立て襟の黒い遮光性マントが支給されていた。マントの背中には赤い吸血痕と白い犬歯のデザイン。学年はネクタイやスカーフの色で判別可能である。

 ちなみに僕はグレーのセーターを着用していた。セーターを選んだ理由はネクタイの締め方がわからなかったからだ。サエに聞けばいいのだけど恥ずかしかった。


「似合っていますよ。坊ちゃん」

「おおきに」


 前世ではほとんど学校に通えなかったからな。純粋に楽しみだ。

 学校に通えば、この異世界で僕が生まれた意味を見つけられるかもしれない。友達もできるはずだ。たくさん。たぶん。できるよね?

 サエは僕の背中にやさしく手を添える。


「では、入学式に向かいましょうか?」

「父と母は?」

「……それがまだお休みになられていたようで」

「まあ吸血鬼だからね」


 基本、吸血鬼は朝が弱い。


「私が手首を切れば血の匂いで起きるでしょうか」

「朝っぱらからやめて!」

「冗談はさておき」


 サエはクールに続ける。


「坊ちゃんが遅れるわけにはいかないのでご主人様たちは置いて先に学び舎に参りましょう」

「オーケー」


 とそこで、ブッブーと玄関先でクラクションが鳴った。


「オニバスが到着したようですね」

「オニバス?」

「通学用の送迎バスのことです。日差しの中を吸血鬼が歩くのは大変ですからね。ブラ校から一定距離に自宅のある生徒は利用できます」


 サエは僕とともに庭を出て玄関に回る。僕の家のすぐ前はバス停だった。丸いコンクリートの重しのついた時刻表看板が立っている。そのバス停に横付けするかたちで黒塗りのバスが停まっていた。

 前面フロント部には鬼瓦のような顔が佇んでいる。とてつもない存在感を放っていた。その額にはこの国の言葉で『1号機』と書かれている。番号が振られているということは他にも走っているのだろう。車内の赤黒い遮光カーテンは締め切られている。不気味だ。


「では、私のお見送りはここまでです」

「え? サエは乗らないの?」

 

 てっきり僕はサエもついてくるものだと思っていた。


「このオニバスにはブラッドレッドの生徒以外は乗車できません」

「そっか」

「あとからご主人様たちと一緒に参りますのであしからず」

「じゃあ、ここで一旦お別れだね」


 でもすこし胸が高鳴っている自分がいた。

 ひとりでバスに乗るなんて。

 

 プッシューと蒸気音が鳴った。折りたたみ式の細長いドアが横に開く。昇降口の高い段差に足をかけて乗車する。ちらりと振り返るとサエが小さく手を振っていた。

 僕はサエから目線を切ると、すぐ目の前に運転席がある。そこには影がいた。影としかいいようがない。全身真っ黒ののっぺらぼうの運転手である。制服と車掌帽子でかろうじて運転手とわかる。


 目はちゃんと見えているのか? アクセルとブレーキは踏めるのか? 影なのに? むしろ踏まれるほうだろ。


 僕は不気味に思いながら、そそくさとバスの後方へ向かう。遮光カーテンを閉め切られた暗い車内にはすでに何人か子供が乗っている。その突き刺すような、値踏みするかのような赫い視線が僕に向けられた。吸血鬼の目は暗闇に這入ると赤く光る性質がある。

 おそらく僕と同じ新入生たちだろう。

 僕は視線を合わさずに奥に進む。リアウィンドウには電光掲示板の役割もあるようで『ブラッドレッド人外学校行き』と鏡文字で表示されている。


 そんな暗い車内で一カ所だけ妙に明るい席があった。最後部座席のひとつ前の席。カーテンを開け放ち、太陽光がガンガンに差し込んでいる。


 そこに座っていた男の子は黒髪碧眼だった。しかも、その肌の色は世にも珍しい灰色である。頭には使い古された黒い学生帽を被っていた。その子の青い瞳に見蕩れていると、僕は足下が疎かになっていた。

 何かにつまずいてしまった。

 そして何を血迷ったか、僕はその男の子の隣に吸い込まれるように着席した。


 前の席からケラケラと笑い声が漏れ聞こえた。二つの緋眼が細く歪んでいる。そこで僕は故意に足を引っかけられたのだとわかった。なぜそんなことをするのか。僕にはちっとも理解できなかった。おそらく足をかけたのは金髪ツインテールの女の子のようである。ヘアゴムはつけていない。頭髪だけでリボン結びされたリボンツインテールだ。


 しかし、人間の男の子の隣に座ってしまった手前、席を変えるのははばかられた。相手を傷つけてしまうかもしれないからだ。僕自身、僕に足を引っかけたあの金髪ツインテールの子と同じになってしまう気がしたのだ。

 ともあれ、座ってしまったものはしょうがない。オニバスもプッシューと扉を閉じて、排気ガスを吐き出しながら発進してしまった。もうこの席に留まるしかない。


「……ふう」


 それにしても暑くて熱くてあつい。朝日がまぶしい。僕の太ももの上に直射日光が当たっていた。僕はまだ子供だからいいけど、大人の吸血鬼は太陽光に当たると照射箇所は灰になってしまう。

 とはいえ僕も日焼け止めクリームは欠かせない。どれだけUV対策をしても脂汗がとまらない。加えて頭痛と吐き気に襲われる。明らかに熱中症の兆候だ。さらに露出した手の甲から湯上がりのように蒸気がもわもわと立ちのぼる。老婆のようにシワシワと乾燥してきていた。

 吸血鬼にとって日焼けは大敵だ。


 しかし、自分から隣に座っておいてカーテン締めてくれない? とは言いにくい。

 窓側を向いている僕の右半身がミイラのように渇く。

 すると隣からため息が聞こえる。


「これだから吸血鬼は……」


 隣の席の男の子は気だるそうにカーテンを閉めてくれた。

 いや、この声は女の子かな?

 でもブレザーを着ているので男の子かもしれない。

 ともあれ、僕は一命を取り留めた。


「おおきに」


 僕はお礼を言った。それから遅まきながら断りを入れる。


「隣いいかな?」

「もう座ってるけど?」

「……そうだね」


 そんな半ミイラの僕に、その性別不詳の子は無言を返した。閉めたカーテンの外側に顔を出してひとりきりで車窓を眺めていた。

 カーテン一枚を隔てることによって僕に拒絶の意思を示してきたというわけだ。

 今はそっとしておいたほうがいいだろう。


 そんなこんなで、ブラッドレッド人外学校に到着した。

 ブラッドレッド人外学校――略して、ブラ校はミニトマ町から東に直進し、大通りを抜けて裏道を進んだところにある。オニバス1号車はだだっ広いアスファルトの駐車場に停車した。前列から順々に新入生が降りていく。あとは僕と隣の子しか残っていない。


「着いたみたいだね。降りよっか」

「…………」


 僕が声をかけると、その名前も知らない子はカーテンから仏頂面を出した。火照っている。

 さすがに人間でも日差しは暑かったらしい。


「まったく強がってんじゃないよ」

「つよがってない」


 ボソッとその子は否定した。

 僕たちは一緒にオニバスを降りる。外は黒い巨体に埋め尽くされていた。一言でいえばオニバスの大渋滞である。なんだか地獄みたいだな。僕は一度死んでいるようなものなので笑えない。入学前から不安になってきた。


 背後には赤錆の校門が開かれていた。まるで鬼の顔だ。あそこをくぐってきたのか。その反対方向には円形を描いたドーム型の校舎が建ち並んでいる。校舎は真っ赤でまるで真夏のトマトのようだ。鏡餅のように団子状に縦に重なっている。最上階には傘のような緑の屋根が覆っていた。先端の石突きは避雷針の役割もあるようだった。


 その校舎に圧倒されているといつの間にか僕はひとりになっていた。オニバスのヘッドライトの眼が僕を睨みつけている。僕は校舎のほうに小走りで向かう。やっとこさ子供の群れと合流した。これまた丸い校舎の扉をくぐって新入生は歩く。玄関の先には長い廊下が続いている。


 僕は意を決して校舎への一歩を踏み出した――その次の瞬間、バイーン! と、鼻っ柱を強打した。文字どおり出鼻をくじかれた。頭上に星が散る。


 何が起こったのかすぐには理解できない。まるで目に見えない壁にでもぶつかったようである。しかし、その僕の感想は間違いではなかった。

 僕が目の前の空間を手で押すと、ピタッと張り付いた。何度も張り手を繰り出すも同じ結果だ。傍から見ればパントマイムでもしているように見えるのだろう。お先に校舎の中を進んでいた金髪ツインテールの女の子がこちらを振り返りながらクスクスと笑っていた。


 あんな性格がオワッてる子が入れるのに僕は入れない。どうして?


 すると見えない壁の向こうに人影が現れた。

 それはオニバスで僕の隣の席に座っていた青い目の子だった。


「なにしてるの?」

「えっと、なんか入れなくってさ」


 僕は気まずそうに答える。


「あなた、保護者は?」

「寝坊しててまだ来てないと思う」

「そう」


 その子は静かに頷く。それから僕に向かって手を伸ばしてきた。しかし僕の手を握ろうとしてすこし躊躇う。結局、その子は僕のセーターの裾を引っ張った。

 するとなんということだろう。一歩、二歩と校舎の中に入ることができたではないか。


「お、おおきに」

「おおきに?」


 僕のお礼の言葉にその子は引っかかったらしい。


「ありがとうって意味だよ。昔、入院してたときに憧れの先生がよく言ってたんだ」

「そう」


 その子は興味なさそうに相づちを打つ。一方の僕は振り返ると、校舎の出入り口の空間を恐る恐る押してみた。しかし今度は見えない壁は消えていた。


「いったい何だったんだろう?」

「吸血鬼は招かれなければ建物に這入れない。ただそれだけ」

「あー」


 その子の素っ気ない解答を得て僕は納得した。

 たしか吸血鬼の性質にそんなのあったっけ?

 この子がいなければ、あやうく僕は学校にすら入れないところだった。

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