第4話

 俺と真弓は、同じ県内と言っても出身地は別で、交友範囲も交わる部分がなかった。そのことはお互い気楽に感じていた。地元学校部活先輩後輩なんて立場が絡むと、面倒なことこの上ない。昔だれと付き合っていたとか、誰と誰がヤッたとか、そんな話にもう興味はないし、好きな女に関することなら内緒にしておいて欲しい。

 普段、麻弓とする話といえば、東京でのこと、俺の店についての顛末、麻弓が勤める会社のことが定番だった。

 麻弓は山間部の出身で、俺は県庁のある町だった。彼女は大学の4年間を東京で過ごし、戻ってきて今の会社に就職した。全国に支店のある大企業だが、支店枠で採用されたから移動はないらしい。東京で就職する気はなかったのかと聞くと、その時は「東京はもういいかな」という気分だったそうだ。「今となっては後悔してる」と付け加えた。

 麻弓から有名企業の内幕について聞くことは、会社というものに勤めたことのない俺にとっては興味深いことだった。総務部でどんな仕事をしているとか、社内や取引先との人間関係とか、会社のイベントについて、そんな他愛もない話ばかりだったが、自分の知らない世界について聞くことは楽しかった。

 麻弓は総務部のおばちゃんの生態について面白おかしく話すことが上手く、いつも笑わされた。総務部には自分の他に三人のおばちゃん―なぜか全員独身らしい―がいて、麻弓の正面に座るおばちゃんが、大した仕事もしてないのに、いつもこれ見よがしに独り言やため息をついたりと忙しいアピールばかりしているのがウザいとよく言っていた。

 彼女には愛社精神みたいなものはないらしく、生活のために働いているだけで、上を目指すという気はさらさらないと言っていた。会社や取引先に良さげな男はいないのか聞くと、いつも適当にはぐらかされた。

 俺は高校を卒業したあとに東京へ出て、十年以上、池袋のバーで働いていた。将来のことはなにも考えず、ただこの地方都市から逃げ出したかっただけだ。夫に先立たれた伯母が赤羽で一人暮らしをしていたので、団地の一部屋を二万円で間借りさせてもらった。伯母は俺のことを「タクちゃん」と呼び、夜型の生活でも文句ひとつ言われず有難かった。向こうで付き合っていた女の部屋に入り浸っていたときも、特に詮索はされず、たまに「早く結婚してあげなさいよ」と上目遣いで言われる程度だった。

 東京での麻弓と俺との直接的な接点はなかった。麻弓は椎名町に住んでいたから、もしかしたら池袋ですれ違ったことがあるかもしれないという程度で、俺が勤めていたバーのことは知らなった。バーは北口から文化通りの奥にあり、女子学生が来るような場所ではなかった。それでも行動圏が重なっていたので、よく池袋の話をしては、懐かしいねと言って笑いあった。

 たぶん、俺たちが惹かれ合う理由はそこだった。ひと時でもこの町から脱出できる共通の方法を持っていたこと。俺たちは池袋の話がしたかった。

 俺が地元に戻ってきたのは、バーで働いてるうちに、自分の店を持ちたくなったからだ。俺のセンスで内装を飾り、閉店時に流すBGMはアートブレイキーのモーニン。客はそれを聞きながら静かに一日を終わらせる。選りすぐりのシングルモルトを、本物を知る人だけに提供する。そんな幻想を抱いていた。東京でバーを持つ金もコネもあるわけがなく、地元に帰ればなんとかなるだろうと考え戻ってきた。

 親に保証人になるように拝み倒して、銀行から開業資金の融資を受け、繁華街に居抜きの物件を見つけて開業にこじつけた。それがこの有様だ。


      ※


 麻弓と出会ってから四年が経ち、五回目の別れが迫っていた。もはや新緑の季節に俺と真弓が別れるのは、年中行事と言ってもよいイベントになっていた。やれやれと思いながら、俺は麻弓の顔を思い浮かべた。出会った頃は年よりも若く見られていたが、この頃はすっかり年相応になってきた。そのことが罪悪感となって重くのしかかってきた。

 時を同じくして勤めていた会社が倒産した。震災後に拡大させた設備が仇となった。復興景気は終わり、多発する豪雨災害で公共事業費は西に多く流れるようになっていた。

 俺は借金の返済について途方にくれていた。ハローワークには蜜に群がる蟻のように人が溢れていた。中高年だけでなく、定年後と思われる人まで職を探していた。全てのPCは塞がっていて、空きを待つ人が背を丸めてぼんやりと宙を見ていた。その姿に自分を重ね合わせ、俺はいてもたってもいられなくなり、受付をしないまま踵を返した。

  二つの出来事が重なり、やるせない気分になっていたせいか、ふと閃いたように、麻弓に殺されることを考えた。愛する女に人生の終止符を打たれるとしたら、それはそれでよいと思えてきた。店を失った時から、人生に対して未練はなくなった。会社も倒産したことだし、いっそのこと死んでしまうのも悪くない。

  今までは麻弓にふられっぱなしだったから、今回は俺から引導を渡してやる。俺自身に。

 しかし、どうやって殺されよう。麻弓に殺してくれと頼んだところで、一笑にふされるに決まってる。もちろん麻弓は人殺しをするような女じゃない。人並み以上に倫理観の強い女だ。

 とりあえず俺は、俺を殺すための道具を探しに百円ショップに入った。ショップには数種類の包丁やナイフが並んでいた。こんなものまで百円で売っているとは、専門店は大変だなんて考えながら、俺は殺されるのに適当なものを物色するために店内をうろついた。飲食物から日用品、化粧品、工具、おもちゃ、ガーデニング用品と、なんの脈絡もなく商品が陳列されている。殺人目線で見ると、いろいろと使えそうなものがあった。包丁にすべきかナイフにすべきか、ロープは必用か、固定具みたいなものはいるか、そんなことを考えていたら、なぜか楽しくなってきた。

 あるものを見て、俺は麻弓に殺される方法を思いついた。

 俺は殺されるための道具を二つ手にして店を出た。しめて二百十六円と思うと笑えてきた。


「こんど仕事が終わったら不動滝に行きたいんだけど。どうかな?」俺はいつもと変わらぬ調子で言った。

「えー、仕事終わってからいくの?暗くない?」彼女は視線を落として、さも面倒そうに言った。

 そういう態度からも新しい男の影を感じてしまう。

「いつものことじゃん」仕事の後、夜に行動するのは珍しいことではない。「別に、嫌なら行かなくてもいいよ」俺はわざと憮然として言った。

「別に、嫌とは言ってないよ。てかさ、不動滝って初めてデートしたとこじゃなかったっけ?」

「え、そうだっけ?寄りを戻してから?」

「違うよ。初めて付き合ったときだよ」麻弓はさして気にする様子もなく言った。

「そうだったっけ?何度も別れたり戻ったりしてるから、初めてがどこだったかなんて忘れちゃったよ」

「嘘。拓斗はそういうことは忘れない。私、分かってるもん」

「分かってるって、なにが?」

「そういうことはマメに覚えてるってこと」

「そうかもね」まぁその通りだ。

「分かったわよ。行けばいいんでしょ。行くから。別に嫌だなんて一言も言ってないし」

「じゃあ、金曜日に行こうよ。天気も良さそうだし。仕事だいじょぶ?」

「金曜は大丈夫だと思う。てかさぁ、拓斗なにか企んでない?」

「なんで?なにも企んでないよ」

「なんか怪しいんだよね」

「さっすが麻弓、するどいね。分かった、白状する。ちょっと寸劇をしたいだけ」

「寸劇ってなに?」

「コントだよ。火曜サスペンス風コント」

「なにそれ。なんで夜の不動滝でコントなんてするのよ」

「いいじゃん。割と楽しそうでしょ」

 仕方ないわねぇと言いながら麻弓はふっと目尻を下げた。

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