恋を食べる

夕立

第1話

 好きな人には自分の知らない恋人がいて、その人に殺されるなんてどんな悲劇だろうか。ああ、やめて。これ以上私を惨めにさせないでよ。何も悪いことなんてしていないじゃない。私はただ、好きな人の好きなものになりたかっただけなのに。


 私の好きな人、Kの好きなものはグミだ。親友に話の流れでそれを聞き出してもらってから一週間、私はグミと格闘していた。毎日違う種類のグミを食べ続けている。グミとしてはメジャーだと言えるフルーツ果汁の味のものやビタミンを摂取できる酸っぱいもの、ソーダやコーラなどの飲料をグミにしたものにあまり一般的にも人気がないとされている海外製の弾力が売りのグミまで様々な種類のグミを食べた。

私は正直に言ってグミが好きな訳では無い。むしろその逆だ。人間がなんであんなグニャグニャしたものを好んで食べるのか全く理解できない。それでも好きな人が好きだと言うのだ。好きになるしかないだろう。Kはグミのどこが好きなのだろうか。どこのメーカーの何味が好きなのだろうか。自分から直接聞いていないからグミであるという具体的なようで抽象的な情報しかわからない。でもそろそろ私の体がグミを食べすぎたせいでゼラチンに変化していてもおかしくないだろう。なんならそうなっていたらいいなとまで思う。もし私がグミになったら無条件で好きになってもらえるし、好きな人に殺されるって素敵なことだと思うから。


 休日である今日も私はグミと格闘していた。この間スーパーで買ったオレンジジュースとぶどうジュース、粉ゼラチンで手作りグミを作るのだ。あの人がどんなグミが好きなのか分からない私は手当たり次第グミと呼ばれる全ての食べ物を食べ、理解し、愛す必要がある。それは私が自分自身に課したものであり、別の角度からみればそれは一種の呪いとも言えるだろう。

 手作りグミのレシピをスマホで検索して材料を用意し、さっそく準備に取り掛かる。

 まずは粉ゼラチンを冷水でふやかす。その次にオレンジジュースとグラニュー糖、水飴を小鍋に入れ、弱火にかける。これをヘラで焦がさないようにゆっくりと煮詰めていく。だんだんと泡立っていくグミの素をかき混ぜながら私は自分がしていることの意味を考えていた。

 正直グミをこうやって作ることも、Kの好きなグミを知るために嫌いなものを食べ続けることも付き合ったり、自分の気持ちを伝えたりするためには1ミリも役に立たないだろう。不毛であると分かっていても貯金を叩いて高2の夏をグミに捧げることを止められない。

 自分の思考を飛ばしているうちに沸騰してとろみが出たグミの素を火から下ろし、すぐにふやかしたゼラチンと混ぜ合わせる。気泡が入らないように静かにヘラでゆっくりと動かしたあと、レモン汁を加えて混ぜる。こうして出来上がったグミの素を100均で購入したシリコンの型に手早く流し入れる。その後、グミの素の粗熱を取ってから冷蔵庫で1時間近く冷やす。グレープジュースも同様に作業を進めていく。

 手作りグミなんて簡単にできると思っていたけれど、気泡を作らないように混ぜ合わせるなどの丁寧な作業が必要なことに驚く。こんなふうにあの人にも私の勘違いしていた意外な一面があるのかもしれない。

 冷蔵庫に入れてから1時間が経過し、シリコン型からグミを押し出す。皿に作った大量のグミを並べていくと時間をかけただけあって達成感を感じる。試しに星の形をしたオレンジ味のグミを食べてみることにする。ブニブニしていてオレンジジュースの味がする。市販のグミと変わらない、多分美味しくできたと思う。よく見ると、あれだけ注意深く調理したにも関わらずほとんどのグミに気泡が入っている。満足していたはずの心もなんだか憂鬱な気分へと落ち込んでゆく。私はもう一種類のぶどう味のグミをひと粒噛んでミネラルウォーターで流し込んだ。残った大量のグミはラッピングして親友にでも渡そうか。


 ある朝、目覚めるとそこはざらざらとした砂糖のようなパウダーがかかった紫色の世界が広がっていた。ここはどこだろう、まだ私は夢を見ているのだろうか。

 ふと自分の体を見ると自分は人間の体ではなくグミになっていることに気づく。夢の中にまでグミが出てくるだなんて私は呪われているのだろうか。あの人がこのグミの世界にいたら、私は食べられてしまうのだろうか。そんな妄想はさておき私はあたりを見回した。

 たくさんのハート型のグミの山の向こうにはぼんやりと透明なガラスの窓のようなものが見える。体をねじって窓のもとへ向かう。ざらざらした感覚と若干溶けた砂糖のベタベタが気になってしょうがない。ここが夢の中の空間ではないということをそのリアルな感覚で自覚せざるを得ない。体中が砂糖だらけになってヘトヘトになった頃、窓の外には誰かの部屋の家具のようなものが見えた。

 どうやらここは本当にグミのパッケージの中身で、自分はグミに変身してしまったようだ。はやく自分が食べられてしまう前にここから脱出して人間に戻る方法を見つけなくては。先程まで「自分がグミの姿ならよかったのに」なんて考えていたのに、この状態が急に現実味を帯びてきて今の自分にはないはずの背筋が寒くなる。笑えない。

 グミに変身したことに気がついてから体感で数時間が経過し、外から誰かが帰ってきた音がする。パッケージの窓に張り付いて外の様子を観察する。すると部屋に現れたのは私が思いを寄せるKだった。こんな奇跡、信じられないが見覚えのあるリュックサックを背負って机に置くKの姿を見て実感する。バクバクと胸が高鳴るのが自分でも分かる。私がグミに変身していることに気づいて助けてくれるだろうか。もしかしたら気づかずに食べられてしまうかもしれない。袋の外に住む人が見知らぬ人ではなく知り合い、ましてやKだったことに安心感を覚える一方で、誰にも気づかれずに食べられて死んでしまうかもしれないという恐怖心が急に襲ってくる。そもそも私はグミに変身したことで声を発することができないじゃないか。これで助けを求める最大の手段がはじめから失われていることが確定してしまった。もう自力で脱出するか食べられて死ぬかの二択しか残されていない。必死でどうやって脱出するか考えていると突然視界がぐらついて私は意識を失った。


 再び目を覚ますと、あたりは真っ暗でKの部屋から別のどこかに移動していることに気づく。常に揺れていることからかばんか何かに入れられているようだ。

 自分の死が近づいているような不安がどんどん押し寄せてくる。もう助かることはないのかもしれない。自分の死ぬタイミングなんて突然の事故や病気でない限りもっと遠いものだと思っていたけれど、絶望は自分には想像もつかないような時に降り掛かって来るのだと感じる。こんな姿じゃKに思いを伝えるどころか自分が将来してみたかったこともできないまま公開だけを残して死んでしまうのだろう。でももしかしたらこれは今までの自分の性格や行動が積み重なって、後になってもたらした結果なのかもしれない。

 思えばKがグミが好物であると聞き出したのも親友だったし、自分から動くのではなく誰かに頼ってばかりだったのがいけないのだろう。因果応報という言葉の通り決断力と行動力のない私の生死のタイミングなんて私自身に決める権利など、はなから無かったのだ。そう思えば私がグミに変身して誰にも知られることなく死んでしまうのはこの世の真理なのかもしれない。ほら、光が差し込んで食べられる時が来る。


 Kの部屋にいたはずの私はまた違う場所に移動していて袋の外からKともう一人、人間がいることが声から確認できた。会話を聞いている限り、二人は親密な関係のようで恋人同士なのかもしれない。私が知らなかっただけでKには恋人が既にいて、とっくのとうにKに入り込める隙間など無かったのだ。なんて馬鹿らしいのだろう。これまでグミにに費やしてきたお金も時間も気持ちもはじめから無駄になることが決まっていたのだ。話を聞く限りだと、もともとグミが好きだったのはK自身ではなく相手の方だったらしい。自分が惨めにもほどがあるだろう。この種類の味は相手の大好きなグミだったようで一瞬でもKの好きなものに変身できたと勘違いしていた私の心はナイフでグサグサに刺されたように痛む。

 

 グミのパッケージが開けられ、二人がグミを食べようとする。


 好きな人には自分の知らない恋人がいて、その人に殺されるなんてどんな悲劇だろうか。ああ、やめて。これ以上私を惨めにさせないでよ。何も悪いことなんてしていないじゃない。私はただ、好きな人の好きなものになりたかっただけなのに。つままれて口の中に入る。ぐにゃりと咀嚼されて私は意識を失った。グミのことを呪いながら。


 目をつぶっていても辺りが明るくなってきたことに気づき、目を覚ます。そこは自分の家のリビングだった。どうやら、手作りグミを作る途中で眠ってしまっていたらしい。けれど、なんで自分が嫌いなグミをわざわざ作っていたのかどころか先程まで見ていたはずの夢すら思い出せない。ただ感じるのはグミへの強い憎悪だけだ。私は出来上がって並べられているグミをまとめて生ゴミ用のゴミ箱に捨てた。なんだかとてもスッキリする。

 さあ、明日は学校だ。この変な休日のことでも親友に話そうかと思う。私は上機嫌で明日の支度を始めることにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋を食べる 夕立 @InoueYu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る