夢の中の夢は現実か
@hiyokomachi
第1話
零時、一時、二時……時計の針が早送りされるかのように刻々と時が過ぎて行く中、さつきは本の世界に没入していた。ひたすらページをめくる。最後の一ページをめくったとき、糸が切れるように寝落ちした。
じっとりとかいた汗の不快感に目を覚ました。周囲に視線を這わせ、布団の横に鎮座するタイマーの切れた扇風機をしばらく見つめると、緩慢な動きで付け直す。わずかに涼しくなり満足した私はもう少し寝てしまおうと再び目を瞑った。昨夜は姉から拝借した本に夢中になるあまり、つい夜ふかしをしてしまったのだ。
うつらうつらと微睡んでいると、私の名前を呼ぶ声が聞こえ、重たい瞼をわずかに持ち上げる。うるさいなぁ、そう思いつつ、ぐっと気合を入れさらに目を開くと、目の前に長い髪を緩やかに巻いた女の人がいた。
「へ?誰ですか?」
「何?寝ぼけて、姉の顔も忘れちゃったの?」
そう返事を返され、困惑した。
姉は私より四つ年上で、溌剌としたショートヘアがトレードマークである。しかし、目の前の人は髪が長い。
「お姉ちゃん?何で髪が長いの?」
「は?私はここ数年ずっとロングよ?」
姉と名乗った人はそう答える。ますます、困惑した。確かに、顔は姉にそっくりである。これは夢だろうか。
一度頭を整理しようと思い、目を瞑る。私は十六歳だ。めんどくさがり屋で読書が趣味の高校生である。そして、姉は二十歳。とにかくパワフルでいつも朝に起こしに来る。美人で自慢の姉。私と姉の情報を頭の中で思い浮かべていると、
「ちょっと!寝ないで。今日は一緒にかき氷を食べに行くんでしょ!」
ガクガクと肩を揺さぶられる。あぁ、この乱暴さは姉に違いない。
それに夢ではない。この光景が夢ではないと理解したとき、大いに動揺した。いったい何が起こったのだろう。先程まで私は布団の上で惰眠を貪っていたはずなのだ。
そこでふと、昨夜夢中で読んだ本の内容が脳裏に浮かんだ。主人公がある日目覚めるとそこは十年後の世界で、大人に成長していた。そして、自分の力で未来を切り開き、充実した生活を送るのである。
今の状況はこの本の内容にそっくりではないか。そう気付いた私は姉に年を聞いてみた。
「三十よ?どうしたの?今日はいつにも増してぼーっとしてるわよ」
「ぼーっとしてるんじゃなくて状況を整理してるの」
そう答えて改めて実感する。私は十年後の世界に来たのだ。
姉を部屋から追い出し部屋を見渡した。ここはどこだろう。実家ではないようだ。ふと、涼しいことに気づき上を見るとエアコンが点いている。くるりと右側をむくと鏡があった。猫のようにしゅっと移動し覗き込む。鏡に映る姿は確かに私だが、顔つきが大人っぽい。姉が三十歳だから私は二十六歳なのだろう。立ち上がってみると身長はあまり伸びていないようだった。
きょろきょろと回りを見渡すと自分の部屋のはずなのに知らないものがあって面白い。しばらく、くるくると部屋の中を動き回り、はっと姉が言っていたことを思い出す。かき氷を食べに行くのだ。十年分の記憶がないので外に出るのは少し不安だが、好奇心がそれを上回る。外に行ってみたい、そう思った私は慌ただしく出かける準備に取り掛かった。
都会だ。北海道の田舎に住んでいた私は外を甘く見ていた。出不精の私は田舎を出て引っ越していてもせいぜい札幌市あたりだろうと思っていたのだ。だが、違った。私は姉と東京で二人暮らしをしていたのだ。
私は北海道のデザイン学科のある大学に進学し、その後、夢であるインテリアデザイナーとして東京に就職したらしい。普段から室内で過ごすことの多い私は過ごしやすい空間を作りたいと思っていた。長年の夢がかなったのだ。感動に打ち震える。
しかし、電車を降り姉を追って歩きだすとすぐにそれどころではなくなった。
人、人、人、ビル、ビル、ビル……
すべてに圧倒された私はかき氷屋にたどり着いたときにはもうへろへろになっていた。
「情けないわね。いい加減東京にも慣れたでしょ」
そう言われたが、私は今日の朝まで田舎にいたのである。まったく慣れていない。
ふと、もう私は元の生活に戻れないのだろうかという不安がよぎる。私はタイムリープをしたのか、それとも十年分の記憶が抜け落ちているだけなのだろうか。
「どうかした?かき氷溶けるわよ」
姉の十年前と変わらない声が胸にしみる。
「あのね、私昨日まで高校生だったの。朝、二度寝して起きたらこっちにいて」
恐る恐る話し、姉の表情を伺う。信じてくれるだろうか。
「そうなの。朝から挙動不審だったのはそういうことね。二度寝ってあなたらしい」
なんだ、あっさり信じられて拍子抜けである。
どうやら、自分のことや過去の話をさり気なく聞いてくるのが不思議だったらしい。察しの良い姉がいて良かった。理解してくれたことにこれ程の安心感を感じるのは姉だからだろう。かき氷を少しずつ食べながら、姉に詳しく説明した。
「へぇー、十年前か〜懐かしい。でも、記憶を無くすようなショッキングなことはなかったと思うから、やっぱり十年前から未来に飛んだんじゃない?」
なるほど、そうなのかもしれない。悩んでも仕方がないと吹っ切れた私は、かき氷の最後のひと掬いを味わった後、東京案内をしてもらいあちこちを見て回った。
翌日、姉は仕事に行った。食品メーカーで管理栄養士として働いているらしい。私も仕事があるはずだったが、姉にぼろが出そうだと言われ泣く泣く休むことにした。どんな職場か見たかったのに…。
一人になった家は静かで僅かに寂寥感を感じた。頬をぺしっと叩いて気持ちを切り替える。何をしようか悩み、結局本を読むことにした。自分の部屋に本棚があり、まだ読んだことのない本がたくさんあったのだ。上から順に目を通していく。一番下の段に目線を移し、あっ、とある本を見つけ手に取った。これはこちらに来る前に夜ふかしをして読んだ本だ。姉に返すのを忘れていたのだろうか。
なんとなくぱらぱらとページをめくる。主人公は一人で社会に適応していったが、これが中々に大変だ。昨日で何度も実感した。十年という月日の間に技術は進歩し、情報は移ろって行く。知らないものに囲まれていると、自分が自分でなくなってしまうようだ。自分の両手をじっと見つめた。この本の主人公は、はたしてもとの世界に戻ることができたのだろうか。
仕事を一週間休み続け、怠惰に過ごしているとスマホに電話がかかってきた。出るか一瞬逡巡し、通話ボタンを押す。
「もしもし。先輩げんきですか?一週間連絡がないのでみんな心配してますよ」
どうやら私には後輩がいるらしい。
「あ、はい、元気です?」
「どうして敬語使ってるんですか、いつもの先輩らしくないですね」
焦りつつ、会話をしてわかったことがある。いままで私は欠勤したことがないらしい。あと、私は後輩に慕われているようだ。明日は仕事に行くという約束をして電話を切った。
今の私は二十六歳の社会人だ。不安はあるが、帰れないかもしれないのだからいつまでも家にこもっているわけにはいかない。帰ってきた姉に明日は仕事に行くということを話し、早めに寝ることにした。
次の日、私はぱちりと目を覚ました。窓から朝日が燦々と降り注いでいる。大きく息を吸い込み、起き上がる。キッチンでは髪をポニーテールにした姉が朝ご飯を作っていた。いつもはパンと牛乳だけなのに珍しい。
「おはよう、何作ってるの?」
「あ、おはよう。ふっふっふ、今日は仕事に行く妹のためにチーズ入りオムレツ作ってるの」
「やった、私が好きなやつだ」
姉は私が高校生の時にはまっていたチーズ入りオムレツを覚えているらしい。
二人で朝ご飯を食べていると
「元の高校生に戻りたいって思うことある?」
ぽつりと姉に聞かれた。
「うーん、戻れるなら戻りたいかな。だって、高校生活を楽しみたいもん。それに、この未来を目標に、今なら高校生に戻って勉強を頑張れる。」
「そっか。じゃあ、私が十年前に貸した本があるでしょ。あれ持ってきて」
どういうことだろうか、と疑問に思いつつ取りに行く。一番下の段から取り出した。
「あった?」
急に声をかけられびっくりして振り向くと姉がいた。
「で、この本を持ってベッドに入って」
「でも、仕事に行くんだけど」
「いいから、いいから」
急かされ、取りあえずベッドに入る。本は頭の横に置かれた。
「仕事はちゃんと自分で勉強して大学入って、就職してから行けばいいんだから」
その言葉に、え?戻れるの?と姉の艷やかな笑顔を見上げたそのとき、ぐにゃりと視界が歪むのを感じた。
「もう、いい加減に起きて!」
大きな声に驚き、がばりと起き上がった。目の前に姉がいる。ショートヘアの姉だ。
「お姉ちゃん、髪切ったの?」
「切ってないよ?ロングの巻き髪やってみたいって話したでしょ。頑張って伸ばすんだから」
あぁ、帰ってきたようだ。姉は帰り方を知っていたのだ。約一週間の記憶は今も鮮烈に残っている。私の右手にはあの本が握られていた。私が晴れてインテリアデザイナーになれたら、姉はこの本について話してくれるだろうか。
姉の少し幼さの残る顔を見つめ、にっこり笑いかける。
「長い髪すごく似合ってたよ」
「何の話?」
「ううん、何でもない」
そこまでストーリーをなぞったところで、さつきはふっと夢から覚めた。
私は、読んだ本の世界を夢で見ることができる。夢の中では何にでも誰にでも変身できるのだ。今回は、さつきと同じ本好きの女の子に変身した。十年後にタイムリープするが、本の力で元の世界に戻るお話。ふふ、とても楽しかった。
さあ、次はどんな夢を見ようかしら。そう思いながらさつきは本棚に手を伸ばすのだった。
夢の中の夢は現実か @hiyokomachi
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