第15話 迫り来る危機
冷たい汗が額を伝い、斉藤 学は深い息を吐きながらデスクに手をついた。先ほどの奇妙な体験が、まだ彼の意識に鮮明に焼き付いていた。現実の感覚が曖昧になり、時間や空間の感覚が揺らぐ中で、斉藤は自分が危険な領域に足を踏み入れていることを改めて実感していた。
「量子の迷宮…」斉藤はその言葉を噛み締めながら、頭の中で考えを整理しようとした。森下 啓が見たもの、そして彼が言い残した言葉の意味を理解するために、斉藤は再びデータに目を向けた。しかし、手元の資料や画面に映し出された数値は、どれも難解でありながらも、何かを示していることは間違いなかった。
「このまま進めば、戻れなくなる可能性がある…」斉藤は心の中で警鐘を鳴らしたが、それでも森下を救い出すためには、リスクを冒すしかないという結論に達した。森下が「量子の迷宮」に迷い込んだのは、科学的な探求心がもたらした偶然ではなく、ある種の必然であったのかもしれない。
斉藤は、森下が行った実験の再現を試みる決意を固めた。彼は、データに示されたエネルギー値や座標を基に、再び実験を行うための準備を進めた。これが最後のチャンスかもしれないという思いが、彼の胸に重くのしかかった。
研究室の静寂の中で、斉藤は必要な機材を集め、実験のためのセットアップを始めた。彼の頭の中には、森下が語った「量子の迷宮」のイメージが鮮明に浮かんでいた。現実と並行世界が交差するその場所に、再びアクセスするための鍵がこの実験にあると信じていた。
セットアップが完了し、斉藤は深呼吸をして気持ちを落ち着けた。すべての準備が整った今、後戻りはできない。彼はゆっくりと手元の操作パネルに手を伸ばし、実験を開始するボタンを押した。
瞬間、研究室の空気が一変した。機器から発せられる低いハミング音が次第に高まり、周囲の空間がまるで収縮するかのような感覚に包まれた。斉藤はその変化に目を見開き、画面に表示される数値を確認した。エネルギー値が急激に上昇し、予想を遥かに超えた異常な数値を示し始めた。
「これが…『量子の迷宮』か…」斉藤はその場に立ち尽くし、画面に映し出される異常な現象を目の当たりにした。周囲の空間がゆっくりと歪み始め、現実の風景がかすかに揺らめき、ぼやけていく。
「ここに森下君が…」斉藤はその現象に呑まれるような感覚を感じながら、何とか意識を保とうとした。しかし、次第にその力は増していき、彼の意識は再び曖昧になり始めた。
突然、周囲の景色が一変した。研究室は消え去り、斉藤は再びあの異様な空間に立っていた。赤い空、焦げた大地、そして遠くに見える巨大な塔。そのすべてが、まるで夢の中の光景のように不自然に広がっていた。
「これが、迷宮の中心…?」斉藤はその場所に立ち尽くし、目の前に広がる異世界を見つめた。周囲には何も見当たらず、ただ不気味な静寂だけが支配していた。
その時、斉藤の耳に微かな声が届いた。それは森下の声だった。「先生…ここに来ては…危険だ…戻るんだ…」
斉藤はその声に導かれるように歩みを進めたが、足元がふらつき、まるで地面が揺れているかのような感覚に襲われた。彼は必死にバランスを保ちながら、森下の声が聞こえる方向へ進もうとした。
「森下君!君はどこにいるんだ!」斉藤は叫んだが、その声は虚しく反響するだけだった。森下の声は再び聞こえなくなり、代わりに周囲の空間がさらに歪み始めた。斉藤はその場に立ち尽くし、どうすべきかを考えようとしたが、思考が次第に混乱していくのを感じた。
「私は…ここで何をしている…?」斉藤は自問しながらも、次第に現実感が失われていくのを感じた。周囲の景色はますます不鮮明になり、斉藤の意識はどこか遠くへ引き込まれていくようだった。
その時、再び強烈な頭痛が斉藤を襲った。彼はその痛みに耐えながら、目の前の光景がゆっくりと暗転していくのを感じた。そして、気がつくと、彼は再び研究室に戻っていた。
斉藤は息を荒げながら、デスクにしがみついて立ち尽くした。何が起こったのか、彼には全く理解できなかった。ただ一つ言えるのは、「量子の迷宮」が現実と非現実の境界を越えた危険な場所であり、その影響が自分にまで及んでいるということだった。
「もう、時間がない…」斉藤は自分に言い聞かせ、次の手段を考え始めた。森下を救い出すためには、このまま実験を続けるしかない。しかし、その代償が何であるかは、まだ誰にも分からない。
斉藤は再び実験装置に目を向け、決意を新たにした。森下を見捨てることはできない。この迷宮の中で何が待ち受けていようとも、彼は真実を解き明かすために前進するしかなかった。
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