第13話 隠された実験

森下 啓との予期せぬ再会から数日が経過したが、斉藤 学の胸に去来するのは、未だ解けない疑問と深まる不安だった。森下が現実に戻ってきたはずなのに、彼の言動はまるで別の世界に取り残されたかのように曖昧で、どこか現実感を欠いていた。斉藤は森下が再び姿を消した後も、その影を追い続け、彼が残した手がかりを必死に探し続けていた。


斉藤は大学内での講義を終えた後、研究室に戻り、机に広げた資料を再度整理し始めた。森下のデータの中にあった、あの謎めいた符号。解読が進むにつれて、それが何かを示している可能性があることが明らかになってきたが、それが具体的に何を意味するのかは依然として謎のままだった。


「この符号が指し示すのは…場所か、あるいは人物か?」斉藤はメモに目を落とし、ひとりごとのように呟いた。符号を調べていくうちに、どうしても頭を離れない人物がいた。国立研究所で森下と共に働いていた佐々木 崇である。


斉藤は、森下が最後に行った実験について佐々木が何かを知っているのではないかと考え、彼に直接接触することを決めた。森下の言葉が示唆するように、斉藤自身もまた危険な領域に足を踏み入れていることを自覚しながらも、その危険を無視することはできなかった。


翌日、斉藤は国立研究所を訪れ、佐々木 崇に会うために受付を通った。佐々木は長年の友人であり、また同僚でもあったため、直接会うことに問題はなかったが、斉藤は彼が自分にすべてを話してくれるかどうかについては確信が持てなかった。


研究所の薄暗い廊下を歩きながら、斉藤は心の中で佐々木と何を話すべきかを整理していた。森下の失踪、そして彼が関与していた実験――それらが何か重大な事態を引き起こした可能性が高い。だが、佐々木がそれにどこまで関与していたのか、それを確認するためには、慎重に話を進めなければならないと斉藤は感じていた。


「斉藤先生、久しぶりですね。」研究室のドアを開けた先で、佐々木は穏やかな笑みを浮かべて迎えてくれた。彼の様子は、かつて斉藤が知っていた頃と変わらず落ち着いて見えたが、その瞳には何かしらの緊張が感じられた。


「佐々木さん、突然お邪魔して申し訳ない。」斉藤は椅子に腰を下ろしながら言った。「森下君のことについて、少し話を聞かせてほしい。」


佐々木は一瞬、視線を逸らし、微かに表情を曇らせた。「森下君のことですか…。彼が行方不明になってから、私はずっと彼のことを心配しています。でも、何も手がかりが掴めなくて…。」


「実は…」斉藤は言葉を選びながら続けた。「森下君は、先日、私の研究室に現れました。」


その言葉に、佐々木は驚いた様子で斉藤を見つめた。「えっ、彼が戻ってきたんですか?それは一体…?」


「ただ、彼は何かに怯えているようでした。彼の話は断片的で、何があったのかははっきりとは分かりませんが、彼は『量子の迷宮』という言葉を何度も口にしていました。」斉藤は佐々木の反応を注視しながら言葉を続けた。「佐々木さん、あなたはこの『量子の迷宮』について、何か知っているんじゃないですか?」


佐々木はしばらく沈黙し、その後ゆっくりと息を吐いた。「正直に言います。森下君が行った実験には、私も少し関与していました。彼は、現実と並行宇宙を繋ぐための理論を実証しようとしていたんです。」


「やはりそうだったんですね。」斉藤は頷いた。「でも、彼の実験が成功した結果、何が起きたのか…それが全く分からないんです。彼が何を見て、どこへ行ってしまったのか、それを知るためにはもっと詳しい情報が必要です。」


佐々木は再び視線を逸らし、言葉を選ぶようにして話し始めた。「彼が最後に使った装置は、私たちの研究所の中でも極秘扱いされているものです。その装置が持つ力は、私たちの理解を超えていました。私は彼に、危険だからその実験を中止するように何度も説得しましたが、彼はどうしてもやめなかった。」


斉藤はその言葉を聞き、森下が抱えていた葛藤と強い意志を思い起こした。「彼は何かに取り憑かれていたのかもしれませんね…。」


「その通りです。」佐々木は静かに言った。「彼は、並行宇宙に存在する何かを見たと言っていました。それが何なのかは、彼自身にも理解できなかったようですが、彼はその後、どこかへ消えてしまったんです。」


「そして、彼は戻ってきた…」斉藤は言葉を継いだ。「でも、彼は以前の彼とは全く違う人間のようでした。まるで、別の世界から来たような…。」


佐々木は深くため息をつき、椅子に背を預けた。「斉藤先生、私が言えることはこれが限界です。私たちが研究していたこと、そして森下君が行った実験には、私たちの想像を超えた何かが関わっています。私もそれ以上のことは分かりません。ただ一つ言えるのは…先生、これ以上深入りするのは危険です。」


「危険…?」斉藤はその言葉に疑問を抱いた。「どういう意味ですか?」


「森下君が戻ってきたということは、何かが既に動き出しているということです。彼が何を持ち帰ったのか、それは私たちにも未知の領域です。先生も、彼を追いかけることでその危険に巻き込まれるかもしれません。」


斉藤はその言葉に背筋が凍る思いをした。森下が何を見たのか、そして彼が戻ってきたことが何を意味するのか。それはまだ謎に包まれているが、斉藤はその真実に迫るために進むしかないと決意を固めた。


「佐々木さん、ありがとう。」斉藤は静かに言った。「私がすべきことは分かっています。森下君を救うために、私はこれ以上迷宮に足を踏み込まなければならない。」


佐々木は黙って頷き、何かを言いかけたが、結局言葉を飲み込んだ。斉藤は彼に別れを告げ、研究所を後にした。これから待ち受けるのは、さらなる困難と危険であることを感じつつも、斉藤はその決意を胸に秘め、森下の真実に迫るための道を歩み始めた。


夜の闇が再び広がり、斉藤は一人、次の手がかりを求めて再び森下の研究ノートに向き合うために大学へと戻った。森下が見たもの、その全貌を明らかにするために、斉藤は決して諦めないと心に誓った。

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